江戸のヒットメーカー・蔦屋重三郎が現在の出版業界、書店等に与えた影響とは?
- 2024/10/29
来年(2025年)1月の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』の主人公といえば蔦屋重三郎。江戸時代中期の人物で吉原出身の版元(出版社)です。
蔦屋重三郎は喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎といった多くの浮世絵師や、十辺舎一九、曲亭馬琴といった戯作者を見出しました。現代でいうところのアーティストの卵や宝石を見つけて世に出す敏腕プロデューサーといったところでしょうか。
今回は蔦屋重三郎が、現在の出版業界や書店等にどんな影響を与えてきたのか、みていきましょう。
蔦屋重三郎は喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎といった多くの浮世絵師や、十辺舎一九、曲亭馬琴といった戯作者を見出しました。現代でいうところのアーティストの卵や宝石を見つけて世に出す敏腕プロデューサーといったところでしょうか。
今回は蔦屋重三郎が、現在の出版業界や書店等にどんな影響を与えてきたのか、みていきましょう。
「TSUTAYA」の由来
書店・レンタルビデオの大手である「TSUTAYA(蔦屋書店)」を日本で知らない人は少ないと思います。TSUTAYA(蔦屋書店)の名前は、創業者である増田宗昭(ますだむねあき)さんの祖父が営んでいた事業の屋号が「蔦屋」であり、蔦屋重三郎の名前から取ったことが由来となっています。
屋号だけでなく、書店・出版業というつながりから、蔦屋重三郎の革新性や文化への貢献にも共感したと考えられますね。それだけ蔦屋重三郎は日本の出版界において伝説的な存在なのでしょう。
東京に出版社が多いのは蔦重のおかげ!?
18世紀の日本は、世界トップクラスで文字を読み書きできる人間の数が、人口に対してかなり多かったようです。その背景には- 各地に寺子屋が普及していたこと
- 日常的に手紙でのやりとりが行われていたこと
- 商いでの計算の必要性があったこと
- 現在の新聞にあたる瓦版や支配層が発布する御触書を読むこと
等がありました。このため、知識層を除いた一般庶民の識字率が高かったのです。
文字を読み書きできる人たちの当時の娯楽は、書物や絵画でした。現在では大手出版社や大型書店の本社は東京に集中していますが、かつて版元は京都・大坂がメインでしたが、やがてその勢力は江戸へ移り変わっていきます。
徳川幕府のお膝元である首都・江戸は、政治・経済の中心地となって多くの人々が行き交いしました。その江戸において、蔦屋重三郎は現在の書籍や絵画にあたる「浮世絵(うきよえ)」をブレイクさせました。
現代でもSNSやアプリ、ネットニュースや雑誌を見るように、当時の人々は書籍や絵画から流行を取り入れました。いまの東京が出版の中心地となったのは、首都であるから当然といえば当然なのですが、蔦重のような革新的な版元が出現したことも一因にあったのではないでしょうか。
有名な浮世絵師を輩出した蔦屋重三郎
蔦屋重三郎は吉原出身であり、吉原の一角で版元としてスタートします。当時、吉原・遊郭の遊女たちというのは、男性を魅了するだけでなく、女性たちの憧れの的でもありました。ある部分では、現在でいうところの「モデル」「女優」、最先端のファッションやメイクを取り入れて流行を作るファッションリーダー的な存在の「インフルエンサー」でもあったのです。
蔦屋重三郎は最初のうちは遊郭にちなんだ遊女の本を出していましたが、それを契機に江戸の中心である日本橋へ進出。当時は軽視されていた「大衆文学」や「絵画」に目を付けて大進撃を始めます。
現在の社会や歴史の教科書・参考資料で目にする喜多川歌麿の美人大首絵や、富士山を題材にした葛飾北斎の『富嶽三十六景』、東洲斎写楽の歌舞伎役者の絵などをプロデュース。さらに当時大ベストセラーになった『東海道中膝栗毛』の十辺舎一九、現代でも数多くの小説や漫画・アニメ・ゲームに影響を与えている『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴もプロデュースしました。
当時は自然災害のほか、幕府の財政悪化と政策等、様々な要因から物価高騰が起き、庶民は苦しんでいました。蔦屋重三郎は暗い雰囲気で沈んでいる人々の心を明るくし、出版物を安価で刊行することによって吉原を活気づけたのです。これらの作品は日本国内にとどまらず、国外の絵師を始めとしたクリエイターや貴族・王族といった知識層にも影響を与え、名を轟かせました。
旅行雑誌、漫画、ラノベ、小説等は売られていた!?
ところで江戸時代の人たちは、どのような本を娯楽として見ていたのでしょうか?実は現在のように江戸時代にも一般的な小説やラノベ、イラスト集・画集が売られていました。「浮世絵」は現在でいうところのイラストレーターの出版する画集です。「名所図会」(めいしょずえ)は旅行雑誌や旅行本にあたります。このほか、イラストが多く用いられたラノベとして、遊女との遊び方などをユーモアに描いた「洒落本」、女性向けの恋愛小説である「人情本」、漫画を連想させる「仮名草子」(かなぞうし)が存在していました。
蔦重は窮屈な世相によって鬱憤が溜まっていた人々がいることを察知し、時代を風刺した作品を発売しました。これは幕府や官僚を直接的に弾劾するものではなく、江戸庶民の心を代弁して茶化した作品だったため、発行時は取締の対象となりませんでした。
200年前の江戸時代を生きた人たちも、21世紀の令和を生きる現代人である私たちのようにイラストや漫画、小説、ラノベを楽しんでいたのです。
おわりに
このように蔦屋重三郎は現代の出版、書籍関連にも影響を与えていました。もしも彼が存在していなかったら今も大阪や京都が出版社や書店の拠点となっていたかもしれませんね。それだけでなく、ゴッホを始めとした日本国外の絵師に影響を与えたり、浮世絵が世界に知られないで消失し、浮世絵が日本国内外の美術館に展示されることもなかった可能性もあります。
昨今はAmazonのKindleを始めとした電子書籍で本を購入する層が増えて、紙の書籍が以前ほど売れなくなりました。実際、業績不振で出版社の雑誌・漫画などは休刊に追い込まれ、地方の書店も潰れています。
「これも時代の流れ」と一蹴してしまうのではなく、来年の大河『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』をみて、蔦屋重三郎が江戸時代にどうやって出版業界を活性化したのか、今後の日本の出版業界や書籍、書店などについて一考してみるのもよいですね。
【主な参考文献】
- 伊藤 賀一『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化: 元祖・敏腕プロデューサーの生涯と江戸のアーティストたちの謎を解き明かす』(学研、2024年)
- 倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(講談社学術文庫、2002年)
- NHK公式HP 大河ドラマ「べらぼう」作・森下佳子 × 主演・横浜流星 蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く!
- Sponichi Annex 25年大河主人公・蔦屋重三郎とは?“江戸のメディア王”TSUTAYAの由来?「べらぼう」に込めた意味
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