ケガレの歴史 ~神の怒りと災いを呼ぶもの

 ケガレ。それは、はるか古代に生きた人々が極端に恐れ、避けようとした「不浄なもの」。平安時代の貴族などは、ケガレを避けるために「物忌み(ものいみ)」と呼ばれる謹慎を行ったことが知られています。

 一方、現代の私たちにおいても、ケガレと聞くと、「きたないもの、よごれたもの」というイメージが浮かぶと思います。とはいえ、現代では物忌みをするといったことはあまり耳にしませんね。

 日本におけるケガレという概念は、どのように生まれ、どのような変遷をたどってきたのでしょうか。今回は、ケガレの歴史や背景、ケガレを浄化する儀式などについてまとめました。

ケガレとは何か

 ケガレは漢字で「穢れ」と書き、「忌まわしく思われる不浄な状態」という意味があります。不浄とは「清浄ではないこと」、すなわち異常な状態であり、人々から恐れられ、避けられる対象でした。

 日本におけるケガレの解釈は多様で、特に歴史学や民俗学などにおいて議論されてきたという歴史があります。

歴史学から見たケガレ

 歴史学は、明文化された史料や物的証拠などをもとに分析・研究する学問です。そのため、神道の決まりや過去の法律、祭祀の記録、貴族の日記などが主な研究対象となります。

 文献に登場するケガレとしては、『古事記』において伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が伊耶那美命(いざなみのみこと)のいる黄泉国(よもつくに/死者が行くとされる冥界)を訪れた後に言った次の言葉があります。

「いなしこめ、しこめき(とても醜い、醜い)穢(きたな)き国に到りてありけり」
『古事記』より

 また、平安時代の康保4年(967)に完成した法典『延喜式』の臨時祭の条では、「穢悪事(けがらわしきこと)」として以下が定められ、謹慎するべき日数(忌日/いみび)が記載されています。

  • 人の死:30日
  • 人の出産:7日
  • 六畜(家畜/馬、羊、牛、犬、豚、鶏)の死:5日
  • 六畜の出産:3日
  • 六畜の肉を食べる:3日
※日数は忌日
※六畜のうち、鶏の死・出産は忌まないとされる

 その他にも、忌日が必要な物事として、以下が挙げられていました。

  • 改葬(お墓を別の場所へ移動すること):30日
  • 失火(家の火事):7日(神事があればこの日数を忌む)

 こうした決まりは、さらに細かい慣例があったようです。例えば、人の死体は、全身が揃っていれば忌日は30日ですが、野犬が死体の一部を運んでくるなどの場合であれば、忌日は7日と短くなりました。

 また、失火については、家が火事になった者だけでなく、消火や防火を手伝った者もケガレとされたということです。

民俗学から見たケガレ

 民俗学は、民間に伝わる口頭伝承や祭祀、伝統などを採集して研究する学問です。

 民俗学においても、ケガレとは「汚穢(おわい/きたないもの)・不浄なもの」であり、精進潔斎(しょうじんけっさい)の祭祀や忌籠もり(いごもり/ケガレを避けて家に籠もること)によって避けられるとしています。

「産屋」「別火」にみられる出産のケガレ

 民間伝承において、出産のケガレは死のケガレよりも強く忌避される傾向にあります。

 妊婦は出産の際に「産屋(うぶや)」と呼ばれる小屋へ籠もり、産後しばらくは他の家族と離れて生活をするという習俗が、多数の地域で行われていました。特にケガレは火を通じて移ると考えられており、食事を作る際に使う火を、妊婦と他の家族とで分けるという「別火(べっか)」も広く行われたといいます。

産屋のイメージ
産屋のイメージ

 また一部の漁村では、妻が妊娠すると、その家の船は魚が取れなくなることが多いとされます。

「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」

 民俗学でのケガレは、民俗を研究する際の分析概念としても扱われてきました。この「分析概念」とは何なのか、「ハレ」と「ケ」の話題にふれながら説明します。

 民俗学で「ハレ」と「ケ」の話題を大きく取り扱ったのは、民俗学者の柳田國男氏です。柳田氏は「晴衣(晴れ着/はれぎ)」と「褻衣(褻着/けぎ)」の差、また食べ物についても「晴(はれ)の膳」と「褻(け)の飯」とが区別されていることを示しました。

 晴れ着は、特別な日に着るもの。褻着とは、普段の生活で着るもののことです。それに加えて、特別な日の食事と普段の食事も、「ハレ」と「ケ」で分けられているとしました。この柳田氏の説からハレとケに対する「ケガレ」という概念が浮上し、研究者の間でさまざまな議論が生まれたのです。

 例えば「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」の相互関連を示した波平恵美子説や、「ケ」=「気」が枯れる(離れる)ことを「ケガレ」とした桜井徳太郎説、「ケ」=「気/霊的生命力」が絶えると「死」となり、死を忌む観念から「ケガレ」が派生したとする宮田登説などです。

 民俗学におけるケガレは、数々の説をはじめとして議論が繰り返されてきたものの、いまだ共通認識となる定義は決まっていない状態なのでした。

貴族の間で伝染するケガレ

 ケガレの歴史は、平安時代の貴族たちの間で強くケガレを忌む慣習が広まり、やがて庶民へと伝搬していったと考えられています。

 平安時代の貴族は、宮中や神社などでの神事の際に取りまとめを行うという職務がありました。貴族がケガレになると、神事の日程が延期や中止となります。それによって神への奉仕が滞ると、神の怒りにふれ、災害などにつながると考えられていました。そのため、貴族たちはケガレに触れないように行動し、やむを得ずケガレの状態になった場合は家に籠もったりお祓いをするなど、さまざまな方法で対処していたのです。

 当時、ケガレは「伝染するもの」と考えられていました。これは一部例外があるものの、家などといった垣根で閉鎖された空間においては、一旦ケガレが発生するか入り込むと、そこにいた人々までもケガレの状態になるとされたのです。

 こうしたケガレの解釈はケースバイケースであり、判断するのも難しいように思われます。当時も「この場合はケガレになるのか」と法家(ほうか/法律家)や他の貴族に問い合わせたり、自分がケガレであると気づかずに宮中へ参内してしまって広範囲の人にケガレを伝染させたりするなど、多くの問題が起こっていたとのことです。

ケガレを清める儀式

 ケガレを取り除くために、忌日以外にはどのような対処がされていたのでしょうか?

 先に紹介した『古事記』では、黄泉国から帰ってきた伊耶那岐命が、自身のケガレをすすぎ流すために「禊ぎ祓え(みそぎはらえ/身体についた罪・穢れを水で払い除くこと)」をしたと書かれています。

 こうした風習は、仏教では「水垢離(みずごり)」と呼ばれ、神仏に祈願する際、冷水を浴びて心身の汚れを清める儀式にも見られます。現代においても、私たちが神社などへお参りする際には手水舎(ちょうずしゃ)などで手を洗って清めますが、これも同じ意味と言えるでしょう。

 また、禊ぎ祓え以外にも、ケガレを除去するための神事として「大祓(おおはらえ)」というものがあります。

 神道において、「祓(はらい/はらえ)」は「悪穢(あくあい)を去り災厄を除く行事」であり、「大祓」とは「百官以下、天下万民の罪穢を祓除(ばつじょ/災いを除き、けがれを祓うこと)せんが為に行わる儀式」とされます。特に大祓は、広範囲のケガレのために中規模以上の国家祭祀が滞る場合に行われる儀式とされていました。

大祓(おおはらえ)のイメージ
大祓(おおはらえ)のイメージ

 平安時代の貴族たちがここまで「ケガレ」というものに対して敏感だったのは、現代よりも天災や疫病などへの対処が不十分だったためと考えられます。災いはケガレに対する神の怒りであり、それを鎮めるために忌日をもうけ、大祓などの儀式によってケガレを除去しようとつとめたのですね。

おわりに

 私たちは腐ったものや汚れているものに対して、本能的に不快や恐怖を感じます。ケガレの歴史をたどってみると、そうした感覚は古代の人々にとっても同じことだった、と考えるのが自然なように思えます。

 ケガレへの対処は、災いの予防や災いそのものを鎮めることが目的だったと考えると、死体に触れるリスクが高ければ、よりケガレに近いとした古代の人々の考え方は、ある意味理にかなっているとも思います。とはいえ、ケガレについては差別などの根強い問題がひそんでいることも忘れてはなりません。

 災害や神の怒りといったコントロールできないものを、ケガレ・禊ぎ祓え・大祓といった、コントロールできるもので対処しようとした古代の人々。そこから、「ケガレになると悪いことが起こる」という民衆の習俗へ伝わっていったこと。これらは時と共に変化し、現代においてもその影響を色濃く残しています。

 一方で、私たちが生きる現代でも、さまざまな研究機関や自治体などにより防災計画・災害対策などが施されてなお、無慈悲に襲いかかってくる災害のことを思うと、自然の力はあまりにも強大だと思い知らされるのでした。


【主な参考文献】

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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