事実はフィクションより弱い!? ~忠臣蔵と吉良上野介
- 2025/05/07

昭和の時代、年末になるとよく放映されていた時代劇がありました。赤穂浪士による吉良邸の討ち入りを描いた『忠臣蔵』です。旧暦で元禄15年(1702)12月14日に討ち入りがあったため、年末の風物詩のようにしてテレビ放送や映画が公開されていたのです。
ですが、最近はすっかり見なくなりましたね。時代劇が少なくなってきたということもあるのでしょうが、もしかしたら別の理由があるのかもしれません。
ですが、最近はすっかり見なくなりましたね。時代劇が少なくなってきたということもあるのでしょうが、もしかしたら別の理由があるのかもしれません。
フィクションとしての『忠臣蔵』のはじまり
『忠臣蔵』とは、元禄14~15年(1701~1702)にあったいわゆる「赤穂事件」を題材にした作品です。赤穂事件がなぜ忠臣蔵と呼ばれるようになったかというと、寛延元年(1748)に初演された『仮名手本忠臣蔵』が大人気となったためです。赤穂事件の詳細は後述しますが、浪士たちの討ち入りは江戸の庶民には好意的に受け入れられたようです。元禄15年(1702)の討ち入りの後、翌年には早くも舞台化(ただし、設定は鎌倉時代の曽我兄弟の仇討ちを借りたもの)され、さらに4年後に近松門左衛門による人形浄瑠璃『碁盤太平記』が作られました。
この『碁盤太平記』も、時代を南北朝のころに置き換え、登場人物の名前も変えて作られています。というのも、赤穂浪士は法に照らせばあくまでも罪人であり、彼らを讃えるような内容の芝居をすれば、幕府からおとがめを受ける可能性があったからです。
実際、赤穂事件を題材にした芝居の中には、幕府により禁止されたものもあったといいます。それでも赤穂浪士の人気は収まらず、時代を変え名前を変えて物語は上演され続け、事件から46年後、その集大成のように誕生したのが『仮名手本忠臣蔵』でした。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作による人形浄瑠璃ですが、すぐに歌舞伎でも演じられるようになりました。
浅野内匠頭(劇中では塩冶判官)への理不尽な仕打ち、仇討ちを決意した浪士たちに降りかかるさまざまな苦難、それらに耐えに耐え、ついに果たされる討ち入り……そのカタルシスに人々は熱狂しました。
『仮名手本忠臣蔵』の人気はすさまじく、客入りの悪い劇場でも上演すれば必ず満員御礼になったことから「芝居の独参湯(気付け漢方薬)」とまで呼ばれていたとか。あまりの人気にパロディやスピンオフなども量産され、有名な鶴屋南北の『東海道四谷怪談』などもその中から生まれました。『仮名手本忠臣蔵』が大当たりしたことで、以後は赤穂浪士を扱う作品を『忠臣蔵』と名付けるようになったのです。
明治以降は幕府を恐れることもなくなったので、時代を元に戻し、実名での作品が増えていきます。
大衆に賞賛された赤穂浪士の「仇討ち」
なぜ、民衆はそれほど忠臣蔵を好んだのでしょうか。もともと勧善懲悪は庶民が好む題材の1つですが、「これは本当にあった出来事なのだ」という意識から、より物語への共感や没入感が大きくなったのかも知れません。赤穂事件のはじまりは旧暦の元禄14年(1701)3月14日のこと。江戸城の松の廊下で、赤穂藩主である浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)が突然刀を抜き、吉良上野介義央に斬りかかったのです。
事件の当日、幕府は朝廷の使者を接待している真っ最中でした。浅間内匠頭はその饗応役であり、吉良上野介は彼の指南役でした。朝廷への面子もあったことから時の5代将軍・徳川綱吉は激怒し、浅野は即日切腹、浅野家は赤穂の領地を没収のうえで改易となってしまいます。
一方の吉良に対してはお咎めはありませんでした。これを不服としたのが赤穂藩士の一部です。彼等は浅野内匠頭の仇討ちを決意し、赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助をリーダーとして吉良邸への討ち入りを計画。そして翌元禄15年(1702)12月14日に討ち入りし、吉良上野介を討ち取るのです。
当時、武家は「喧嘩両成敗」の意識が慣習法として残っていました。喧嘩両成敗とは、その理由を問わず喧嘩した者は両方とも処罰するという法律です。
これに従うならば、確かに吉良への処罰がないのはおかしいことになるのですが、幕府にも言い分があります。というのも、吉良は刀には手もかけずに斬られているのです。つまり、これは「喧嘩」ではなくて「一方的な暴力」と判断したのです。
一方的に言い掛かりをふっかければ相手も裁かれる、となれば「自爆テロ」のような真似がまかり通ってしまいますから、そりゃあ慎重にもなりますよね。浅野が吉良に斬りかかった理由は今もはっきりしていません。記録によれば、浅野は吉良に対して「遺恨があった」と発言したとのことですが、どういう遺恨なのかは語らなかったからです。
吉良がウソを教えたのだろう
吉良が浅野をいびったのだろう
吉良が指南役であったことで、当時から上記のような噂がされていたようですが、少なくとも信頼のおける史料にそうした情報は確認できません。ちなみに吉良側は「心当たりはない。浅野の乱心では」と言っています。実は浅野にも切腹を免れる道はありました。「乱心」ということにすれば、命までは取られず、蟄居閉門ですんだ可能性があるのです。もしかしたら吉良としてはそういう狙いもあったのかもしれません。
けれど、浅野は頑として乱心ではないと言い張り、切腹の刑に処されます。この事件を知った民衆の反応は、最初はそこまで浅野寄りではありませんでした。当時の落首も「吉良の欲の皮が厚いから切っても切れなかったのだろう」といった吉良を揶揄うものもありましたが、「二回も切りつけておいて殺せなかったのは武士として恥ずかしい」と浅野側を批判するものもあったのです。
しかし赤穂浪士たちが討ち入りを果たすと、世間の風向きは一気に浪士側へ傾きます。赤穂浪士たちは自分たちの行いを「主君の仇討ち」と称していました。1年以上過ぎても主君への恩を忘れず、仇を討つとはあっぱれ、と民衆は彼らを讃えたのです。
とはいえ、本来仇討ちは親兄弟などの身内にのみ認められていた制度で、主君には適応されません。そして「仇討ち」という題目を外せば、浪士たちがやったことは「自分たちの主張を通すために徒党を組んで老人を襲撃した事件」であり、現代の視点から考えるとテロリズムと変わりがありません。
幕府は彼らの仇討ちを認めず、浪士たちを全員切腹の刑に処します。ただし、今回は喧嘩両成敗の慣習に基づき、吉良側も改易され、後継者の吉良義周は配流という厳しい処分になりました。
フィクションに上書きされた事実
『アマデウス』という作品があります。1984年に製作された映画版はアカデミー賞8部門に輝きましたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。もとはピーター・シェーファーによるブロードウェイミュージカルで、1979年に初演され、こちらも大評判となりました。天才音楽家モーツァルトとそのライバル役であるアントニオ・サリエリの人生を描いた作品なのですが、作中でサリエリはモーツァルトの才能に嫉妬し、自分が彼を毒殺した犯人だと告白します。サリエリがモーツァルトを殺したという噂は、モーツァルトの死後30年ほど経った1820年頃に突然囁かれだした噂で、当時は多数の人が信じていたそうです。
もちろん事実ではありません。実際にはサリエリは後進の育成や若手音楽家への助力を惜しまなかった人物で、オーストリア皇帝の即位式に自分の曲ではなくモーツァルトの曲を演奏したぐらい、モーツァルトのことも評価していました。
宮廷音楽家の地位にあるサリエリを敵視していたのは、どちらかというとモーツァルトの方だったようなのです。それも当初だけの話で、後年は一緒に曲を作ったり、自分のオペラをサリエリに賞賛されて喜んだりしていたようです。
余談が長くなりましたが、この『アマデウス』の例は、『忠臣蔵』ととてもよく似ていると思います。現在ではモーツァルトの死因は病気によるものだとほぼ判明していますが、最近まで毒殺で犯人はサリエリだと信じる人はいましたし、殺さなくとも嫉妬していたのは事実だろう、と今でも思い込んでる人はいます。
史実を脚色したフィクションがあまりに大衆に人気となったため、事実が上書きされてフィクションが真実であるかのように信じられてしまったのです。
もしかしたら吉良上野介はサリエリほど潔白ではなく、浅野内匠頭に嫌味を言ったことぐらいはあったのかもしれません。けれど、それで恨みをかったとしても、殺されるほどのことではないでしょう。しかも死後には自分を悪役にして、浅野夫人に横恋慕したとか、書画の判定で浅野に恥を掻かされたとか、おもしろおかしく脚色された話が真実として広まってしまったのですから、同情を禁じ得ません。
おわりに
『仮名手本忠臣蔵』以降、たくさんの『忠臣蔵』が作られました。そのほとんどが、赤穂浪士が正義側で吉良は悪役として描かれています。けれど、昭和の中期ぐらいから浅野と吉良の再評価が成されて、吉良を単なる悪役として描くフィクションも少なくなってきました。先にも書きましたが、「自分たちの主張を通すために襲撃事件を起こした」という意味では、赤穂事件はテロとみることもできます。このことが、「爽快な仇討ち」という印象に影を落とし、近年の時代劇『忠臣蔵』の減少に繋がっているのではないでしょうか。
でも、テレビなどで見る機会が少なくなったと言っても、『忠臣蔵』は浄瑠璃や歌舞伎などではいまなお人気の演目です。機会があったら足を運び、史実と比べてみるのもいいかもしれませんね。
【主な参考文献】
- 長谷川強 校注『元禄世間咄風聞集』(岩波書店、1994年)
- 深井雅海『綱吉と吉宗』(吉川弘文館、2012年)
- 瀧口雅仁『知っておきたい古典芸能 忠臣蔵』(丸善出版、2019年)
- 水谷彰良『サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長』(復刊ドットコム、2019年)
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