大河ドラマ「べらぼう」主人公・蔦屋重三郎はどのような生い立ちだったのか
- 2025/01/06
2025年の大河ドラマは「べらぼう」です。江戸時代中後期に活躍した出版業者・蔦屋重三郎の生涯を描くという異色の大河ドラマとなります。
では重三郎とはどのような人物だったのでしょうか。今回は、彼の父母や生い立ちを見てみたいと思います。重三郎には、石川雅望(重三郎と同時代を生きた戯作者)による墓碑銘があるのですが、そこから重三郎の父母について知ることができます。
先ず、父は丸山重助。母は広瀬氏とあります。ちなみに文人・狂歌師の大田南畝が撰した墓碑銘には、重三郎の母の名は「津与」となっています。丸山重助と広瀬津与の間に重三郎は生まれたのでした。重三郎の誕生年月日は、寛延3年(1750)1月7日です。生まれた場所は、江戸の新吉原でした。南畝による墓碑銘には、重助は「尾陽の人」とありますので、尾張国(愛知県西部)の出身だったことが分かります。
津与は江戸の人でした。重助は尾張から江戸に出てきたことになりますが、どのような経緯でそうなったかは不明です。「縁故を頼って吉原に来て働いたものであろう」との見解もありますが、よく分かりません。重助の職業についても分かっていません。ただ、重三郎が吉原という特殊な地域に生まれたことから、重助も吉原に関連する職業に就いていたと推測されるのです。
とにかく江戸に出てきた重助は、津与と出会い、そして彼女と結ばれたのです。蔦屋重三郎の「重三郎」は通称であり、本名ではありません。重三郎の本名は柯理(からまる)といいました。重三郎の「重」は、父の名から一字を貰ったと思われます。重三郎に兄弟姉妹がいたかは分かっていません。幼少期の重三郎は父母と過ごしていましたが、7歳の時に両親が何らかの理由で離婚。重三郎は、喜多川氏の養子となるのです。
この喜多川氏がどのような人物かは不明です(商家の蔦屋を営んでいたとされます)。しかし、重三郎と両親の縁は切れた訳ではなく、天明3年(1783)には日本橋の新居に両親を迎えることになります。重三郎には感慨深いものがあったでしょう。
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