京成立石駅前…まもなく消えてなくなる〝せんべろ〟の聖地
- 2025/04/28

せんべろの聖地・京成立石駅前
1000円でべろべろに酔える安い酒場を意味する〝せんべろ〟という言葉は、2003年に出版された『せんべろ探偵が行く』(中島らも、小堀純)で使われたのが最初だという。当時は平成大不況の最中、安酒場が雑誌やテレビでもよく紹介されるようになり、この言葉も世間に定着していった。安い酒場が集まる場所は「せんべろの聖地」と呼ばれるようにもなり、東京にも赤羽や上野アメ横など多くの聖地が存在する。葛飾区の立石駅前もそのひとつ。だが、いまは駅前再開発事業により閉店や移転が相次ぎ、聖地は消滅の危機にあるという。


旧赤線もせんべろの聖地も、すべて消し去られた
京成立石駅前は高架化工事の最中で簡素な仮駅舎になっていた。駅北口を出ると降りると、駅前一帯も工事用の白いフェンスに覆い尽くされ、頭上には巨大なクレーンが唸りをあげて動いている。工事フェンスには『キャプテン翼』の巨大なイラスト20点を展示した「青空原画展」が常設されていた。この辺りは作者・高橋洋一先生の地元、駅周辺には登場人物たちのブロンズ像とか関連する名所も多い。



世界中に多くのファンをもつ名作漫画なだけに、聖地めぐりのインバウンド客も多く訪れる。青空原画展も話題になり、ファンの間では新名所として認知されているというのだが。設置場所が工事用フェンスなだけに、期間限定の名物ではある。これもまた、もうすぐ消滅する東京名所ということか?
キャプテン翼の巨大原画を掲げたフェンスの内側では、京成線の高架工事と連動した市街地再開発事業が進められている。かつてこの土地にあった建物は2023年8月31日までにすべて立ち退きを完了し、2028年には地上38階と地上13階のタワマン2棟が完成する予定だという。
10年ほど前にもこの北口駅前に来たことがある。いまはフェンスに囲まれた工事現場になっている場所は、細い路地が入り組んだ飲み屋街。バーやスナックが軒を連ねていた。古い木造モルタルの建物も多く残り、タイル張りの外壁や丸い柱などの〝カフェー建築〟も見かけられた。赤線地帯の性風俗店で用いられた独特の建築様式である。
そう、この駅前の一角は1958年に売春防止法が制定されるまで、半ば売春を公認していた赤線地帯だった。警視庁の調査によれば昭和30年代には業者数49軒、酌婦121人がいたという。
立石の赤線は空襲で被災した亀戸の風俗業者が、終戦の直前に移転してきたもの。戦後は占領軍の米兵が多く来るようになるのだが、人種差別の酷い時代なだけに、白人兵は黒人兵と同じドアから出入りするのを嫌う。そのため小さな店にドアがふたつある立石独特のカフェー建築もできたという。
その珍しい建物を撮影しようと、以前にはカメラを持ったマニアもよく見かけられたとか。けど、いまはその歴史的建造もすべて取り壊されて何も残ってない。
旧赤線地帯に隣接してあった「呑んべ横丁」もまた再開発事業で消滅している。
小さな居酒屋やスナックが軒を連ねた細い路地は、朽ち果てたアーケードの屋根に覆われて昼も薄暗かった。旧赤線地帯よりもむしろこちらのほうが怪しく不気味な感じもあり、非合法の売春街〝青線〟跡という噂もあった。が、実際は1954年にできた「立石デパート」と呼ばれる駅前商店街がその前身。当初は衣料品店や雑貨店などが軒を連ねていたが、いつしか飲み屋街となり、せんべろ聖地として崇められるようになった。

すべての店が閉店した2023年9月5日、路地の入口に掲げられた「呑んべ横丁」の看板が撤去された時には、大勢の常連がやって来て名残惜しそうに撤去作業を眺めていたという。その模様がマスコミでも報道されていた。聖地の消滅はそれなりに反響も大きかったようだが、それで再開発事業に歯止めがかかることはない。
立石駅前では他にも大きな再開発計画が進められている。残るもうひとつの〝聖地〟も、もうすぐ消え去る運命にあるという。
駅南口でも再開発事業計画が進行中


踏切を渡った駅の南側へ。街のメインストリートとしてにぎわう立石駅通り商店街の西隣に並行してある立石仲見世商店街は、終戦直後に浅草から移住してきた人々がつくった闇市が発祥。〝仲見世〟の名称も、故郷の浅草を懐かしんでつけたものだという。

「昭和」「下町」といった雰囲気が濃厚に漂う古いアーケードの通り、その入口のあたりに昭和21年創業の老舗居酒屋「宇ち多″」がある。名物のもつ焼きを求めて、開店前から店の前には長い行列ができていた。

しかし、盛況な眺めはここだけ。付近の居酒屋店はどこも営業していない。昔は昼間から開店していた店がもっと多かった気がするのだけど……。
アーケードの中に入ると、眺めはとたんに寂しくなる。営業している店舗はほとんどなく、見た感じ90パーセント以上の店がシャッターを閉めている。照明も薄暗く陰鬱な雰囲気、歩いている人もほとんど見かけない。
1階が商店で2階が住居となる長屋が連なる古いアーケード商店街の建築様式は、レトロな看板とともに昭和の残香あふれる貴重な遺物なのだが。ここまで寂れてしまっては、取り壊して再開発しようという話がでてくるのも当然だろう。


葛飾区の公式サイトを見てみる。と、立石駅の南側に隣接する約1.3ヘクタールの範囲を対象にした立石駅南口西地区再開発事業計画が立ち上がり、2017年には市街地再開発準備組合も設立されている。さらに隣接地でも立石駅南口東地区再開発事業の計画が着々と進行している。

再開発区域には仲見世商店街も含まれている。2027年度には工事が始まる予定だという……これで、アーケードの入口に残るせんべろの聖地も、昭和のアーケード街の建築様式を伝える歴史的遺構もすべて消滅することになる。


ちなみに、南口の再開発も北口と同様に数棟のタワマンが建つ予定なのだとか。
つまんねぇ街になるよな、たぶん。
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