清涼飲料水、みんな大好き!ラムネとサイダーの起源

ichicokyt
 2023/01/17
日本人の飲み物は長い間、水・茶・酒程度でした。それが幕末・明治になると、牛乳・コーヒー・紅茶にビール・ワイン・ジュースなどが一気に押し寄せて来ます。なかでも日本人が驚き、愛飲したのが、それまで口にしたことが無かったシュワシュワ発泡飲料です。

スカッと爽やかだけじゃない清涼飲料水とは

それらのほとんどが清涼飲料水に分類される飲み物でした。では清涼飲料水とは何か? 清涼と聞くと炭酸発泡系の飲み物を想像しがちですが、実は清涼飲料水の範囲はもっと広く、「乳及び乳酸菌飲料を除く、アルコール分を含まない(アルコール分1%未満)の飲料水の総称」の事です。明治33(1900)年に施工された「清涼飲料水営業取締規則」以降、この名称が定着しています。

当初は明治初年に製造が始まったラムネがその代表格でしたが、現在では「トマトジュース・濃縮ジュース・凍結ジュースに始まり、最後はガラナ飲料等々およそ飲料はすべて清涼飲料水に該当する」と結ばれる『食品衛生法質疑応答ハンドブック』に書かれています。

とはいえ、日本人に一番インパクトを与えたのは、それまで口にしたことのない発泡系のラムネやサイダーでした。

発砲ならぬ発泡?

ラムネの語源はレモネードですが、ペリー提督が来航した時に黒船にレモネードを積んで来たそうです。幕府の役人たちに飲ませてやろうと栓を抜いたところ、「ポンッ!」と言う音に驚いた役人たちは「すわ新式の鉄砲か?」と思わず刀の柄に手をかけたとか。

シーザーの前でクレオパトラがワインに秘蔵の真珠を放り込んで乾杯したのが炭酸飲料の始まりとの伝説もありますが、ラムネは日本独自に発達した飲み物です。明治初期に神戸の外国人居留地で、シム商会が初めて製造・販売したと言われます。同じ年に横浜でもイギリス人が開業し、その後日本人のラムネ屋も続々と参入しました。

ラムネは水に砂糖やブドウ糖果糖溶液糖と言った糖類を加え、ライムやレモンの香りを付けた炭酸飲料です。初めて口にする発砲飲料の清涼感はたちまち日本人を虜にしますが、特徴的なガラス瓶(玉詰瓶)も愛され、売り上げに大きく貢献します。

明治18(1885)年頃、日本でコレラが流行した時、炭酸水がコレラに効くとのデマが広まり、人々はこぞってラムネを買い求めました。

人々に愛されたラムネ瓶

ラムネの売り上げに大いに貢献したのがあの独特のフォルムのラムネ瓶です。レトロコカ・コーラ瓶も売り上げに役だったそうですが、ラムネ瓶はそれ以上でしょう。

あの瓶はイギリスのハイラム・コッドが1872年に米国で特許を得た物を基本としています。英語だと『コッドネックボトル』ですが、日本では『胡瓜瓶』と呼ばれ、当時の新聞小説の乱闘シーンなどでは胡瓜瓶を逆手に持った男たちが殴り合う様子が描かれています。

殴る道具として広く認知されていたようですね。大きさ形と言い固さ・重さと言い丁度手ごろなので、肉厚でもあり良い武器になったでしょうね。

店の叔父さんがT字型の器具でスポっと玉を中へ落とし込んでくれるのですが、子供の頃はジュワーと溢れ出るラムネ液が勿体ないと思ったものです。

文豪も愛した三ツ矢サイダー

初期の炭酸飲料として、ラムネと肩を並べるサイダー。イギリスではシードルと呼ばれる林檎酒を指しますが、日本では一般に砂糖・酒石酸・香料などを炭酸水に溶いたノンアルコール飲料の事です。

日本初のサイダーは、明治元(1868)年、横浜の外国人居留地で設立された薬種問屋、ノース&レー商会が製造販売した「シャンペン・サイダー」とされます。しかしこの商品は在留外国人や上流階級・特権階級の人々しか口に出来ず、一般の日本人は楽しめませんでした。

明治8(1875)年、横浜扇町の秋本己之助(みのすけ)が、ノース&レー商会の関係者の助言を得て、「金線サイダー」と名付けた商品を売り出します。これが国内で本格的に流通したサイダー第一号です。

明治17(1884)年からは、三菱商会が兵庫県川辺郡平野で採水した天然炭酸水を瓶詰にして『平野水』を製造していました。この採取権を手に入れた明治屋社長の磯野長蔵は、翌明治18(1885)年に『一本矢鉱泉』を発売します。明治22(1889)年には『三ツ矢印平野水』と改称し、夏目漱石がこれを愛飲して自宅に常備していたと言います。

明治38(1905)年には明治屋は社名を三ツ矢平野鉱泉合資会社に改め、商品名は『三ツ矢印平野シャンペンサイダー』となり、その後は変遷を経て現在の『三ツ矢サイダー』に落ち着きます。

宮沢賢治は明治21(1888)年12月から明治26(1893)年3月まで、岩手県立花巻農学校に勤務していましたが、そのころ花巻市内の蕎麦屋『やぶ屋』を訪れては、サイダーを飲み、天麩羅蕎麦を食べるのを楽しみにしていました。

※参考:三ツ矢サイダー関連商品のリターナブルびん(出典:wikipediaより)
※参考:三ツ矢サイダー関連商品のリターナブルびん(出典:wikipediaより)

★上記画像の補足説明
写真左から「三ツ矢シャンペンサイダー(1950年代)」「三ツ矢サイダー(1960年代)」「三ツ矢サイダー(1972年)」「バャリースオレンヂ(1952年)」「バャリースオレンヂ(1970年代)」「ウヰルキンソンタンサン(1940年代)」「ウヰルキンソンタンサン(1950年代)」「ウヰルキンソンジンジャーエール(1970年代)

おわりに

もう一つ、日本人が戦前から親しんできた飲料にカルピスがあります。乳酸菌飲料なので現在は清涼飲料水に分類されませんが、カルピスは日本生まれ日本育ちの、世界に誇る乳酸菌飲料です。

もとをただせば創業者の三島海雲が、内モンゴルで出会った牛や馬の乳を発酵させた発酵乳で、体調を崩していた海雲がそれを飲み、健康を回復しました。「これは良いものだ、ぜひ人々にも広めたい」この考えが元となり開発が進みました。

近年稀釈の手間がいらないカルピス・ウオーターが発売され、改めて人々に愛飲されています。


【主な参考文献】
  • 木村茂光ほか「モノのはじまりを知る事典」吉川弘文館/2019年
  • 湯本豪一「まるごとわかる「日本人」はじめて百科 2」日本図書センター/2008年

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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