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【神話の裏側】英雄ヤマトタケル伝説は、狂気の「サイコパス」エピソードから始まった

  • 2025/12/04
 古代日本の伝説に名を刻むヤマトタケル(日本武尊)。彼は西から東へと全国を巡り、大和朝廷に反発する勢力を次々と制圧した「英雄」として知られています。

 しかし、その輝かしい偉業の影には、驚くほど冷徹で、時に非常識な一面が隠されています。本記事では、日本最古の歴史書『古事記』の記述に基づき、ヤマトタケルが小碓命(おうすのこみと)と呼ばれていた頃の「サイコパス」なエピソードから、西国遠征で「英雄」へと変貌を遂げるまでの物語を深掘りします。

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衝撃の序章:実の兄を惨殺した小碓命の「サイコパス」エピソード

 ヤマトタケルの物語は、彼がまだ小碓命(おうすのこみと)と呼ばれていた頃の、あまりにも衝撃的な事件から始まります。

 第12代景行天皇の皇子である小碓命。ある日、父である天皇は、兄の大碓命(おおうすのみこと)が朝夕の食事に顔を出さないことに不満を持っていました。そこで天皇は小碓を呼んで命じます。

天皇:「そなたの兄へ、ねんごろに諭すように」

 しかし、5日経っても兄の姿は見えません。不審に思った天皇が小碓命に尋ねると、返ってきたのは淡々とした答えでした。

天皇:「まだ、諭していないのか」

小碓命:「もうねんごろに諭しました」

 さらに詳しく問いただすと、小碓命は信じられない事実を告白します。なんと彼は、兄が厠(トイレ)に入ったところを待ち伏せ、捕らえて殺害し、遺体はバラバラにして薦(こも)に包んで捨てたというのです。

 ただ朝夕の食事に参加するように「説得」してほしかった父の望みとは裏腹に、実の兄を手にかけた小碓命。この凶暴で冷酷な振る舞いは、天皇に恐怖を抱かせ、彼を都から遠ざけるきっかけとなります。

日本史上初?まさかの「女装」で難攻不落の熊襲タケルを討つ

 兄殺害によって小碓命の凶暴性を知ってしまった景行天皇は、彼を遠ざけるため、西国平定という名目で南九州の熊襲(クマソ)征伐を命じます。熊襲とは、大和政権に従わない地方豪族で、その族長は強大な力を持つクマソタケル兄弟でした。

 九州へ渡った小碓命でしたが、クマソタケルの屋敷の守りは固く、力攻めでは難しい状況。そこで彼が考えた作戦は、奇想天外なものでした。それは…

 ズバリ、「女装」です。

 小碓命は、叔母である倭姫命(やまとひめのみこと)から授かった女物の衣装をまとい、クマソタケルの屋敷で行われていた新築祝いの宴会に潜入。その姿は、誰もが息をのむほどの美しい少女そのものでした。

女装して熊襲を討つ小碓命(『少年日本史』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
女装して熊襲を討つ小碓命(『少年日本史』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 女好きなクマソタケル兄弟は、美しい彼女を疑うことなく自分たちの間に座らせ、宴を楽しみます。そして、酒が回り、宴が最高潮に盛り上がる中、小碓命は懐から剣を抜き、兄を殺害。さらに抵抗する弟にも手をかけます。

クマソタケル弟:「あなたは一体誰なのだ?」

 絶命する前に、クマソタケル弟は小碓に尋ねます。自分が天皇の皇子であることを告げる小碓。そこでクマソタケル弟は、美しく勇猛果敢な小碓をほめたたえ、「ヤマトタケル(大和の勇猛な者)」という名を彼に贈ります。

 この瞬間から、『古事記』の中の「小碓命」は、敵から贈られた名を持つ英雄「ヤマトタケル」へと変貌を遂げるのです。

太刀をすり替える「だまし討ち」で出雲を平定

 熊襲征伐を終えたヤマトタケルは、帰路の途中、大和政権に従わないイズモタケルを討つため出雲(現在の島根県)に立ち寄ります。

 イズモタケルを力でねじ伏せるのではなく、ヤマトタケルが選んだのは「策略」でした。

 まず、イズモタケルと親交を結び、深い友情を築きます。そして仲良くなった2人はある日、肥の河(ひのかわ。現在の斐伊川)へ水浴びに出かけました。先に川から上がったヤマトタケルは、「お互いの太刀を交換しないか?」と提案して、太刀合わせをするよう誘います。イズモタケルは快く承諾しますが、これはヤマトタケルが仕掛けた周到な罠でした。ヤマトタケルが用意した自分の太刀は、樫の木で作られた偽物だったのです。

 偽物と交換させられたイズモタケルは、いざ勝負と刀を抜こうとしますが、木製の偽物は鞘から抜けません。焦るイズモタケルに対し、ヤマトタケルは交換で手に入れたイズモタケルの本物の太刀で相手を斬り殺すのです。 

 卑怯…と言ってしまえばそれまでですが、ヤマトタケルは時にこのような冷徹な判断を下し、大和政権の対抗勢力を次々と鎮圧していったのです。

東方遠征:「草薙剣」の力で火責めのピンチを脱出

 さて、西国遠征から大和へ戻ったヤマトタケルに、休む間もなく次の勅命が下されます。それは東国平定でした。

 東国へ向かう途中、彼は伊勢神宮にいる叔母・倭姫命を訪ねます。

ヤマトタケル:「父上は私に死んでほしいと願っているのか…」

 そんな弱音を吐く甥に対し、倭姫命は、

倭姫命:「ピンチになったら使いなさい」

と、三種の神器の一つである天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と火打石の入った袋を与えて励まします。

 伊勢神宮を後にしたヤマトタケルは東征の最中、相模国(現在の神奈川県)の相武国造から「荒ぶる神がいる」と報告を受けますが、これは国造の罠でした。騙されたヤマトタケルは草原の中で火を放たれる火責めに遭います。

 窮地に陥ったヤマトタケルは、叔母から預かった剣で生い茂る草を薙ぎ払い、火打石で逆に火を放ちます。すると、炎は方向を変え、敵の方へ勢いよく向かっていきました。

 このエピソードから、この剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになります。英雄ヤマトタケルは、神剣の力を借りて、見事に窮地を脱したのです。

神の祟りを受けて…ヤマトタケルの壮絶な最期

 数々の試練を乗り越えながら東国各地を平定したヤマトタケルでしたが、岐阜にある伊吹山(いぶきやま)で大きな過ちを犯します。

 彼は、山の神である白い大猪と対峙した際、「剣など使わず素手で倒してやる」と慢心します。しかし、この大猪は神の化身でした。神の祟りを受けて毒気に当てられたヤマトタケルは、そのまま重い病に倒れてしまいます。

 彼は最後の力を振り絞り、能豊野(のぼの:現在の三重県亀山市)までたどり着くものの、ついに力尽き、この地で最期を迎えます。

 やがて彼の亡骸は一羽の白鳥となって、都がある大和の方へ飛び立っていった、と『古事記』は締めくくられています。

おわりに

 『古事記』のヤマトタケル伝説は、いかがでしたでしょうか?

 物語の序盤では、実の兄を殺害する冷酷な一面を見せながら、遠征先では女装やだまし討ちといった型破りな手段を駆使して勝利を収めていきます。この「英雄」と「狂気」という二つの顔を持つからこそ、ヤマトタケルは日本神話の中でも特に物語性豊かで魅力的な人物として描かれています。

 ちなみに、もう一つの歴史書である『日本書紀』にも彼の伝説が載っていますが、内容には細かな違いがあります。もしご興味があれば、『古事記』と『日本書紀』を読み比べて、ヤマトタケルという人物像をさらに深く探求してみるのも面白いかもしれません。


【参考文献】
  • 小林 惠子『解読「謎の四世紀」 祟神、ヤマトタケル、神功皇后、応神の正体』(文芸春秋、1995年)
  • 河村哲夫、志村裕子『景行天皇と日本武尊-列島を制覇した大王』(原書房、2015年)
  • 洋泉社MOOK『古事記  神話を旅する 編纂1300年、日本最古の書を徹底ガイド』(洋泉社、2016年)
  • 井上章一『ヤマトタケルの日本史  女になった英雄たち』(中央公論新社、2024年)
  • 池澤夏樹『日本文学全集 01 古事記』(河出書房新社、2014年)

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  この記事を書いた人
大学で日本中世史を専攻。 現在本業のかたわら、日本史メインでWeb記事やYouTubeシナリオを執筆中。 得意分野は古代~近世の日本文化史・美術史。 古文書解読検定準2級取得。

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