【ばけばけ】ふたりの出会い いきなりディスられて、第一印象は最悪
- 2025/12/17
セツが住み込み女中としてハーンの家に…
明治24年(1891)2月上旬頃、セツは富田旅館の女将・ツネの斡旋により、ハーンの家で住み込み女中として働くようになる。富田旅館の中居・お信はセツの友人で、多額の借金をかかえる稲垣家の苦しい状況もよく知っている。だから、月給20円という高給が支払われることを知ると、すぐセツに知らせて女将に紹介したのである。しかし、男がひとりで暮らす家に住み込むとなれば〝妾〟と疑う者は多い。また、外国人への恐怖や偏見がまだ根強い頃だけに、
「松江では人から〝洋妾〟とよく言われ、それがいちばん辛かった」
と、セツも晩年に語っているように、悪い噂が流れて辛い思いをした。女中には不相応な高給も、その苦痛に対する補償金を含んだものだった。
「士族ノ娘チガウ!」と経歴詐称を疑われ……
貧困に苦しむ家族を救うためセツは〝洋妾〟と蔑まれることを覚悟して、ハーンが住む湖畔の借家に行ったのだが、ここで、予想外のダメ出しを食らってしまう。同行した富田旅館の女将・ツネに、ハーンは不機嫌な顔でセツを連れて帰るように言ってきた。セツの手足が太いのが気に入らない。ハーンは武士への憧れが強く、女中に雇うなら士族の娘がいいと要望していた。そして、士族の娘は「華奢で手足が細い」と勝手に思い込んでいる。頑固で猜疑心が強い彼は自分の思いに固執し、そのイメージと違うセツを百姓と決めつけた。
ハーンは嘘を嫌悪している。ふだんは物静かな男だが、嘘をつかれるとたちまち豹変して激昂する。この時もそうだった。ツネに向かって「手フトイ、足フトイ、士族ナイ」「ホテルノ下女ト同ジ」と、カタコト日本語で罵詈雑言をまくしたてた。狭い家の中だけに、当然、セツもそれを聞いている。さぞや嫌な思いをしたことだろう。
ツネの取りなしで、なんとか〝お試し期間〟として雇ってもらうことになったが、いつハーンの気が変わって、追い出されるかわからない。家族を養うためには、この仕事を失うわけにはいかない。また、容姿が理由で追いだされたとあっては、女のプライドにもかかわる。ハーンの機嫌をそこなわぬよう細心の注意を払う。この頃が、セツにとっては一番辛く厳しい試練の時だった。
セツの太い手足は、親孝行の証!?
しかし、しばらくすると〝百姓娘〟の疑いは晴れる。この時代の人々は出自によって、言葉遣いや立ち振る舞いに歴然とした違いがある。貧しくともセツは士族の娘。礼儀作法をしっかり身につけて、所作に気品が感じられる。また、生花や茶道、文学などに関するひと通りの知識もある。それを見て、ハーンも自分の早とちりに気がついた。また、最初は気に入らなかったセツの太い手足についても、理由を知るとそれを好ましく思えてくる。家の借金を返すために、セツは幼い頃から過酷な機織り仕事に明け暮れ、そのせいで手足が太くなったという。ハーンはそこに日本人の美徳である「孝」を感じ、手の平を返してセツの太い手足を「親孝行の象徴」と褒め称えるようになった。
セツは何事にも手を抜かない。キビキビとよく働き、掃除や炊事を完璧にこなす。仕事ぶりを見れば、真面目で正直な性格だというのが分かる。ますます好ましく思えてきた。
また、ハーンの拙い日本語もすぐに察して、彼が理解できそうな言葉を選んで上手く意志を伝えてくる。頭の回転が早く、コミュニケーション能力が高い。
物怖じしないところも気に入った。何か意見を問えば、自分の思ったことを包み隠さずズバズバ言ってくるから会話が弾んで面白い。気がつけばハーンはすっかり、セツに心奪われていた。
一方、セツはハーンのことをどう思っていたのだろうか? 「手足が太い」と悪態つかれた初対面の印象はけしてよくない。が、一緒に暮らすようになると、こちらもまた印象が大きく変わってきた。
ハーンは威張るようなことは絶対せず、弱い立場の者への配慮を忘れない。謙虚で優しい人物だということがわかる。住み込みで働くようになって間もない頃、ハーンが池で溺れる子猫を助け、懐に抱いてびしょ濡れになって帰ってきた。その光景がセツの目に焼きついて忘れられず、
「その時、私は大層感心致しました」
と、思い出話によく語っていた。この時はもう、好感度はかなり高くなっている。
怖い怪談話が夫婦愛を育む
セツが女中として働くようになって約半年が過ぎた頃、梅雨の最中にハーンは引っ越しをしている。新居は松江城北方の内堀に面した塩見縄手と呼ばれるところ。付近には立派な長屋門を構えた武家屋敷が建ち並び、藩政時代には家格が高い藩士が住む地域だった。
ハーンが借りた家も、藩の番頭を務めた禄高300石の根岸家の屋敷。県庁職員だった家主が遠離地に赴任し、空家となった屋敷を3円の家賃で借りることができた。この屋敷は当時のままに現存し「小泉八雲旧居」として公開されている。
この頃はセツの他にもうひとり女中を雇っていた。新入りの女中を指図しながら家のことを取り仕切るセツの姿は、どこから見ても「武家の奥様」といった感じである。
塩見縄手の新居は松江の中心街から離れている。それまで住んでいた大橋界隈の繁華な場所とは違って、昼間も人通りがなく静寂に包まれていた。落ち着いて執筆に没頭できる環境、ハーンにとってはありがたい。また、裏山に鬱蒼と繁る森や家の敷地を囲む風流な庭園など、大橋川や宍道湖の眺望に勝るとも劣らぬ美しい眺めがあふれている。
「私はすでに自分の住まいが、少々気に入りすぎたようだ。毎日学校の勤めから帰ってくると、まず教師用の制服から着心地のよい和服に着替える。そして、庭に面した縁側の日陰にしゃがみこむ。こうした素朴な楽しみが、五時間の授業を終えた一日の疲れを癒してくれる。壊れかけた笠石の下に厚く苔蒸した古い土塀は、町の喧騒さえも遮断してくれるようだ。」
ハーンにとってこの家は、いちばん居心地よくて安らげる場所になっていた。ハーンは神戸で暮らしていた明治29年(1896)に松江を再訪し、この旧居にも立ち寄っている。
その時にも「我が家に帰ってきた」と喜び、2時間以上も滞在して感慨深げに部屋や庭を眺めていたという。
また、この近辺は散歩におあつらえ向きの場所も多く、ハーンは暇さえあれば界隈を散策するようになる。屋敷から徒歩10〜15分の普門院がとくにお気に入りの場所だったという。松江城を築城した堀尾吉晴が創建した古刹で、ハーンの代表作である『怪談』の舞台としても知られている。
ハーンの故国アイルランドは土着信仰の影響が色濃く、ハロウィンなど霊魂にまつわる風習が多く残っていた。昔話にも精霊や妖精はよく登場する。乳母からそういった話を聞かされて育ったせいか、日本の怪談や奇談にも強く興味を惹かれる。松江に来てからはこの類の話を多く収集するようになっていた。
それにはセツの協力も大だった。彼女は文献や地元の老人に話を聞くなどして、ハーンが好む怪談を集めてきては、夜な夜な語って聞かせるようになる。ふたりが共通に楽しめる趣味、良好な夫婦関係を築いてゆくために大切な時間だった。
新居に引っ越してからのセツは、さらに怪談話の収集に熱を入れた。母親の幽霊が赤ん坊を育てるため飴を買いに来る「飴を買う女」の舞台である大雄寺、境内の亀の石像が夜になると動きだし城下で暴れて人を食う「人食い大亀」の月照寺、等々。話はいくらでも見つかる。
松江は怪談話の宝庫だ。集めた怪談話を欧米人のハーンが理解しやすく面白がるように多少脚色し、雰囲気を盛りあげるために口調なども工夫する。それがハーンの創作意欲をかきたて、幾多の名作を生む原動力になってゆく。
- ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
- ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
コメント欄