【豊臣兄弟!】今川義元の野望 織田信長を倒す?永禄3年の軍事行動の2つの目的とは?
- 2026/01/19
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第3回は「決戦前夜」。同ドラマにおいて駿河国・遠江国を領した戦国大名・今川義元は大鶴義丹さんが演じています。
永禄3年(1560)5月10日、義元は大軍を率いて駿府を進発しますが、この軍事行動の目的はかつては上洛するためと言われてきました。しかしいわゆる「上洛説」については『甫庵信長記』や『松平記』、『三河後風土記』といった江戸時代の書物が記すところであって、現在においては同説は成り立たないとまで言われるようになりました。
義元が本当に都に上ることを目指していたならば、都までの途上の大名(例えば美濃国の斎藤氏、北近江の浅井氏、南近江の六角氏)と事前に何らかの交渉があって然るべきですが、そうした交渉の形跡は確認されていません。よって義元には初めから上洛する意図などなかったと思われるのです。
上洛説に代わって主張されているのが「三河領有説」と「尾張領有説」です。東三河は既に今川の領国であったが、西三河にはそれほどの支配が及んでいなかったので、今回の軍事作戦でもって三河国を完全に手中に収めようとしたというのが「三河領有説」。後者の「尾張領有説」は義元は三河国も自らの領国として認識していたとして、義元の真の狙いは尾張国の領有にあるとするものです。
それでは義元は永禄3年(1560)になぜ軍事行動を起こしたのでしょうか。今川氏は西三河を領国化はしていなかったので、1つには西三河を掌握しようとした。2つには尾張に侵攻し、あわよくばその領有を図ったのではないでしょうか。義元には2つの軍事目的があったように思うのです。信長軍が桶狭間合戦で逆に今川勢に撃滅されていたら、今川氏は尾張国領有に向けての大きな一歩を踏み出していたでしょう。
ちなみに桶狭間合戦は「群雄間の境界争いの結果」として起きたとの説(国境紛争説)もありますが、義元が数万の大軍を率いていたことを考えると、単なる国境紛争の解決が目的だったとも考えられません。義元にはもっと遠大な野望(三河・尾張領有)があったと考えられます。
【参考文献】
- 池上裕子『人物叢書 織田信長』(吉川弘文館 2012年)
- 濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社 2025年)
- 桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA 2014年)
- 服部英雄『桶狭間合戦考 研究紀要 第2号』(名古屋城調査研究センター 2021年)
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