これぞ天下の一品!戦国武将が愛用した名物茶道具を紹介
- 2026/03/31
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戦国時代、織田信長をはじめ大名や武将たちは、こぞって茶の湯を愛好しました。単に茶を点て、飲むだけでなく、政治や外交の機会として重要な役割を果たしたからです。
そんな茶の湯を嗜む上で、よい道具を使ってみたいと思うのは人情というもの。そこで今回は、天下の一品と謳われた名物茶道具を紹介したいと思います。
そんな茶の湯を嗜む上で、よい道具を使ってみたいと思うのは人情というもの。そこで今回は、天下の一品と謳われた名物茶道具を紹介したいと思います。
唐物三日月(からものみかづき)とは?
- 種類:茶壺
- 所有:興福寺→日向屋→袋屋→三好実休→三好笑岩→太子屋→織田信長→焼失
天下無双の名物と呼ばれた茶壺で、唐物とは中国大陸から輸入されたことを示します。
三日月と称された理由について、詳しいことは分かっていませんが、どこかしらに三日月を連想させる要素があったのでしょう。例えば表面の起伏や光の反射、あるいは焼く時に偶然ついた傷など……。
『山上宗ニ記』などによると、この三日月は数奇な運命をたどっていることが分かります。
はじめは奈良興福寺の西福院(さいふくいん)に収蔵されていたものが、商人の日向屋道徳の手に渡りました。それが下京の商人・袋屋某(ふくろや)に渡り、やがて三好実休(じっきゅう。三好長慶の弟)の手に移ります。
しかし戦乱のドサクサで六つに割れてしまいました。普通ならここで捨ててしまうのでしょうが、あまりに惜しかったためか、千利休によって修復されます。
やがて懐事情が苦しくなったのか、せっかく修復された三日月を三千貫で太子屋に質入しました。一貫を10万円と考えた場合、およそ3億円という大金です。このまま質流れになるかと思いきや、天正3年(1575)に三好笑岩(しょうがん。三好長慶の叔父)が払い戻して信長に献上しました。(※そのまま太子屋から信長に渡った説もあり)
割れてもなお、天下一品の名物として珍重された三日月ですが、本能寺の変で焼失してしまったそうです。
九十九髪茄子(つくもかみなす)とは?
- 種類:茶入
- 所有:足利義満→歴代将軍→足利義政→山名是豊→伊佐宋雲→朝倉宗滴→越前小袖屋→松永久秀→織田信長→羽柴秀吉→有馬則頼→豊臣秀頼→徳川家康→藤重藤元→藤重家→岩崎弥之助……
唐物の名物で、名前の由来は諸説あってはっきりしません。
一、村田珠光が九十九貫(約990万円)で購入したから?
一、老女の白髪を連想させたから?
一、両眼のような2つの石間(※)が付喪神(つくもがみ)を連想させたから?
(※)せきかん。陶器を焼くとき、釉薬のかかっていないザラザラした部分。
足利義満(第3代)をはじめ、歴代将軍が所有していましたが、足利義政(第8代)の時に手放されました。山名是豊(これとよ)・伊佐宋雲(いさ そううん)を経て、朝倉宗滴(そうてき。朝倉教景)が五百貫(約5000万円)で購入したと言います。
しかし経済状況が苦しかったのか、後に越前小袖屋へ質入れされました。先ほどの唐物三日月と言い、名物茶道具は莫大なお金がかかるため、入手してから維持するのが大変そうですね。
後に松永久秀が一千貫(約1億円)で入手。後に織田信長へ献上されました。しばらく信長に愛用されていたものの、本能寺の変で焼けてしまいます。奇跡的に割れることなく焼け残り、羽柴秀吉に献上されたものの、秀吉は釉薬が焼けて輝きを失った九十九髪茄子に興味が湧きません。そこで有馬則頼に与えられ、その死後は豊臣家に返上されました。
やがて慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡、大坂城が焼け落ちると、本能寺では焼け残った九十九髪茄子も割れてしまいます。しかし徳川家康は名物が失われるのを惜しみ、藤重藤元(ふじしげ ふじもと)に探し出させ、修復させました。
見事に復活した九十九髪茄子を見て家康はご満悦、褒美として藤元に与えます。その後は江戸時代を通じて藤代家に伝来し、明治時代に入って岩崎弥之助(やのすけ)へ譲られました。
古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)とは?
- 種類:茶釜
- 所有:不明→松永久秀→滅失?
名前は蜘蛛が平たく這っているようなシルエットに由来します。「古天明」とは下野国佐野(栃木県佐野市あたり)で焼かれた天明釜のうち、室町後期から戦国初期のものを指しました(それ以降のものは「後天明」)。
松永久秀が愛用した名器として知られますが、詳しい出どころ等はよくわかっていません。かつて久秀が織田信長に臣従する際、先ほどの九十九髪茄子を献上しましたが、信長は「平蜘蛛茶釜が(も?)欲しい」と所望します。
しかし久秀はこれを断り続けました。信長が何度も所望するほど執着し、久秀も絶対に渡したくないほどの名器だったのでしょう。実際に久秀が平蜘蛛茶釜で湯を沸かした場面は描かれていないようですが、その最後は実に壮絶なものでした。
久秀が信長に対して三度目の謀叛を起こした際、信長は久秀に「平蜘蛛を渡せば赦してやる」と呼びかけています。三度も謀叛を起こした人間など、とても信じられたものではありませんが、よほど信長は平蜘蛛が欲しかったのでしょうね。
しかし久秀はこれを拒絶。お前にくれてやるくらいなら……と思っていた久秀は「自分の首級と平蜘蛛だけはヤツに渡すな」とまで遺言しています。そして平蜘蛛茶釜を粉々に叩き割り、城に火をかけ、自害したのでした。他にも火薬を詰めて爆破したとか、久秀の壮絶な最期を飾る役割を果たしています。
かくして姿を消した平蜘蛛茶釜ですが、『松屋名物集』によると、多羅尾光信(たらお みつのぶ)が焼け跡から残骸を拾い集め、修復したそうです。また『天王寺屋津田宗及茶湯日記他会記』では、多羅尾綱知(つなとも)が「平くも釜」を使ったという記録もあり、これは平蜘蛛茶釜なのでしょうか。
他にも『玉栄拾遺』によると、久秀は本物の平蜘蛛茶釜を友の柳生松吟庵(やぎゅう しょうぎんあん)に譲ったとも言われます。何がなんでも是が非でも、信長にだけは渡したくなかったのでしょうね。
ちなみに平成30年(2018)まで存在していた浜名湖舘山寺美術博物館には「平蜘蛛釜」が所蔵されており、これは久秀の城跡から発掘され、信長に献上されたものだそうです。はたしてそれが平蜘蛛茶釜だったとしたら、久秀は冥土で地団駄踏んだことでしょう。
おわりに
今回は天下の名物と謳われた茶道具たちを紹介してきました。かつて信長たちが愛用・執着していた一品が現存しているというのは、実に胸が熱くなりますね。果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、どんな名物が登場するのか、楽しみにしていましょう!

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