【豊臣兄弟!】松永久秀の最期には春日明神の影響があったのか?

  • 2026/05/25
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第20回は「本物の平蜘蛛」。同ドラマにおいて松永久秀は竹中直人さんが演じています。

 天正5年(1577)8月、松永久秀は突如、織田信長に反旗を翻し、大和国の居城(信貴山城)に立て籠もります。信長は「どのような事情があるのか。存分に思うところを申せば、望みを叶えてやろう」と言い、久秀を翻意させようとしますが、久秀はそれを拒否(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』)。

 それを知った信長は久秀が差し出していた12・13歳の息子2人を六条河原にて斬首するのです。久秀討伐の総大将となったのは、信長の後継者・織田信忠でした。信忠の軍勢は信貴山城に押し寄せると、城下に放火します。ちなみにこの久秀討伐には、佐久間信盛・羽柴秀吉・丹羽長秀・明智光秀も従軍していました。信貴山城を「夜責」(夜討ち)する織田軍。久秀方も防戦しますが、ついに弓折れ、矢尽き、城は落城します。『信長公記』によると、久秀は「天主」に火を懸けて「焼死」したとのこと(1577年10月10日)。

 同書は久秀の無惨な最期を、久秀が奈良の大仏殿を炎上(1567年10月10日)させたためとします。そして、久秀とその一族の死が焼死であること、久秀の滅亡が大仏殿炎上の月日・時刻と違わぬことを「春日明神の所為」として人々は舌を巻いたというのです。織田信忠は久秀討伐の折り「鹿の角の大立物」(鹿の角の兜につける飾り)を付けて戦に臨んだとのこと。鹿は春日明神の神使と信じられていましたので、信忠軍の勝利も明神の冥助があったと考えられたのでしょう。

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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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