「若江城の戦い(1573年)」信長、将軍義昭を庇護した三好宗家を滅ぼす
- 2019/08/15
戦国時代の若江城の戦いは、天正元(1573)年11月、佐久間信盛率いる織田軍と三好義継軍との間で行われた戦いです。三好宗家が滅亡した戦いでもありますが、若き当主・三好義継はなぜ、信長と戦う運命になってしまったのでしょうか。まずは三好義継という男の簡単なプロフィールからみていきましょう。
大人たちに翻弄され続けた義継
三好義継は三好一門である十河一存(そごう・かずまさ)の子であり、一時京都で権勢をふるった三好長慶(ながよし/ちょうけい)は伯父にあたります。長慶の嫡男である義興の死を機に、義継は長慶の養子となっています。義昭の妹と結婚
長慶の死後、16歳で三好氏宗家の家督を継ぐことになった義継ですが、かつて長慶に仕えていた三好三人衆と松永久秀の対立に巻き込まれ、それぞれと結託、反目を繰り返します。永禄11(1568)年に信長が足利義昭を奉じて上洛すると、義継は松永久秀に同調して信長に服従。若江城主として河内北半国を安堵され(もとは8カ国を領国としていましたが……)、翌永禄12(1569)年には信長の仲裁によって義昭の妹と結婚します。
この結婚こそが、義継の運命のターニングポイントでした。
幕府滅亡後、義昭をかくまう
将軍家と縁者となった義継は、その後、義昭と行動をともにします。当初、義昭と信長との関係は非常に良好でしたが、次第に両者の関係は悪化。義昭が信長包囲網を形成し始めると、義継も反信長の立場へと傾いていったのです。元亀4(1573)年7月、室町幕府滅亡の発端となった「槇島城の戦い」が勃発。しかし、義昭はあえなく敗戦して京都も追放されることに。そこで彼が頼ったのは妹婿(むこ)である三好義継の居城・若江城だったのです。
繰り返しますが、義継にとって義昭は嫁のお兄さんです。義継としては逃げてきた義昭を受け入れないわけにいかず、若江城で匿うことにしました。
うーん、これがいけなかったのですね。義昭方の残党を叩きのめしたい信長にとって、その行為は討伐の十分な口実になってしまうのです。
義昭を追放して事実上、室町幕府を滅ぼした信長は、翌月に越前の朝倉義景と北近江の浅井長政をも立て続けに滅ぼします。仕事の早い信長のことですから、その後すぐに義継討伐にも向かいそうなものです。
信長、佐久間 信盛へ若江城攻めの命を下す
しかし信長は、すぐには討伐軍を動かしませんでした。義昭が若江城を去るのを待っていたと考えられます。同年11月5日、義昭は帰洛の交渉を行うため、若江城から堺へと移ります。すると5日後の10日に信長は上洛し、佐久間信盛に若江城の攻撃を命じました。信長自身は京都を動いていません。
義継最期のとき
戦いはいとも簡単に信長軍の勝利に終わります。というのも、三好義継には若江三人衆と呼ばれる池田教正(のりまさ)・野間長前(のま・ながまさ)・多羅尾綱知(たらお・つなとも)という三人の家老がいましたが、彼らが義継の近臣であった金山信貞を切腹させ、佐久間信盛の軍を城内に引き入れたのです。11月16日、家老たちの裏切りにより追い詰められた義継は、女房衆や息子たちを刺殺した後に切腹。享年25歳でした。ここに一時は中央政権を牛耳り、畿内・四国の8カ国を支配した三好宗家が滅亡したのです。
まとめ
城主を失った若江城と河内北半国は、裏切った若江三人衆たちが共同で支配することになります。信長はその後、松永久秀の多聞山(たもんやま)城(現奈良市)を佐久間信盛に命じて攻めさせました。義継と松永久秀を討伐したことにより、近畿地方の情勢はかなり安定しました。不思議なことに若い義継は討たれ、年老いた久秀(当時60代)の命は助かっています。信長が「多聞山城を引き渡す」という条件を出し、久秀もこれを飲んで降参したからです。
なぜ信長は久秀を助けたのでしょうか。久秀にまだ利用価値があるから、多聞山城の城郭は“西日本随一”と称えられるほど立派で、城の中には絵画や茶道具といった宝の数々があったから、などと考えられているようです。
……って、そんなことかよっ!
大人たちの都合に翻弄され、若くして命を落とした三好義継。戦国の世のならいとはいえ、その短い生涯には同情してしまいます。
【主な参考文献】
- 谷口克広『信長と将軍義昭 連携から追放、包囲網へ』(中公新書、2014年)
- 谷口克広『<織田信長と戦国時代>支配体制を改革! 織田信長の人材活用術 (歴史群像デジタルアーカイブス)』(学研プラス、2014年)
- 谷口克広『信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年)
- 谷口克広『織田信長合戦全録 -桶狭間から本能寺まで』(中公新書、2002年)
- 谷口克広『人物叢書 足利義昭』(吉川弘文館、1989年)
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