丁寧に歴史を追求した "本格派" 戦国Webマガジン
  • 真田幸村
 2019/03/01

「村松殿」真田丸で木村佳乃さん演じた幸村の姉「松」。その実像は?

村松殿といえば、大河ドラマ「真田丸」の中では、女優の木村佳乃さんが「松」として夫の小山田茂誠(こちらの配役は声優の高木渉さん)との熱愛夫婦を演じました。真田丸を見た人にとっては記憶に濃く残っているものと思います。

ゲーム等でも人気のある真田家の長女であり、有名な真田信之・幸村兄弟の姉としても知られる村松殿。そんな彼女の生涯をご紹介します。
(文=趙襄子)

はじめは武田の人質、武田滅亡により夫とは離別。

村松殿は永禄8年(1565年)、甲斐国は甲府の躑躅ヶ崎館で真田昌幸山手殿との間に長女として誕生しました。本来の名前は「於国」と伝わっています。二人の間には村松殿が誕生した翌年の永禄9年(1566年)に嫡男の信之が。さらに翌年の永禄10年(1567年)に次男の幸村が誕生しています。

このころの真田家は昌幸の兄・信綱が継いでおり、昌幸は「武藤喜兵衛」として武田家に臣従していました。村松殿も母・山手殿と武田家の人質として甲府で生活しています。

村松殿が武田家の重臣・小山田信茂の一族である小山田茂誠に嫁いだのはこのころと言われています。ですが天正10年(1582年)、織田家の侵攻により武田家は滅亡し、村松殿はじめ真田一族は新しい武田の本拠地となるはずであった新府城を脱出し真田郷に落ち延びました。

その際、茂誠は勝頼を直前で裏切った信茂の一族ということで、ほとぼりが冷めるまで行方をくらまし、村松殿も嫡男の之知とともに寂しい思いをしたことでしょう。しかし主家が滅んだ今、弱小真田家が生き残るには彼女も役目を果たさなければならなかったのです。

続いて織田の人質、そして信長の死で行方不明に。

真田家は主家を滅ぼした織田家の傘下に入ることを決めました。そこで村松殿は織田家への人質として近江国の安土城に送られることになりましたが、武田家が滅ぼされた同年の6月2日に信長が本能寺で家臣である明智光秀に討たれると状況は一変。

『加沢記』によると、村松殿はこの騒乱に巻き込まれて行方不明になってしまったとあります。そして2年後に伊勢国の桑名で保護されたとあるのです。

信憑性は疑問ですが、大河真田丸では、村松殿こと「松」が安土城脱出の際に追い詰められて琵琶湖に身を投げるも漁師に保護され、何とか一命を取り留めたものの記憶喪失になってしまうという描写がありましたが、恐らくはこの記録を参考にしたのでしょう。

とにもかくも彼女は生き残りました。夫の小山田茂誠も真田家に仕えることになり、天正18年(1590年)には昌幸より信濃国の小県郡村松郷(現長野県青木村)を与えられました。この夫が与えられた本領から彼女は後世、「村松殿」と呼ばれることになるのです。

手紙からうかがえる彼女の人物像

村松殿は長女として弟たちを大変可愛がっていました。それは親子が敵味方に分かれて戦った関ヶ原の戦いの後も続きました。幸村は蟄居先の九度山を脱出して大坂城に入った後、母の山手殿とともに信之の近くにいたと思われる村松殿に対して手紙を送っています。

それは大坂冬の陣が終わり、次に徳川軍が攻めてくるまでの束の間のこと。慶長20年(1615年)1月24日の日付でした。心配をかけたことや再開したい旨がしたためられた手紙を信之の家臣として徳川軍に付いていた彼女の子である之知に託しています。

そして幸村は秀吉の息子である豊臣秀頼に味方して大坂夏の陣で徳川軍と戦い、華々しい最期を遂げました。弟の死に大層嘆いたであろう彼女の姿が目に浮かびます。

その後も彼女は生き続けました。元和8年(1622年)に信之の信濃国の松代(現長野県長野市)に転封された際は彼を気遣う手紙を送り、信之はそれに対して、安心する旨やまた会いたいとの返書を送ったようです。

村松殿は寛永7年(1630年)に信之や夫の茂誠よりも先に亡くなりました。法名は「宝寿院殿残窓庭夢大姉」だそうです。兄弟仲も良好であり、人には恵まれた一生だったのではないでしょうか。


【主な参考文献】
  • 平山優『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』(KADOKAWA、2015年)
  • 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』(KADOKAWA、2016年)





おすすめの記事


 PAGE TOP