「村松殿」真田丸で木村佳乃さん演じた幸村の姉「松」の生涯とは

真田幸村の姉・村松殿のイラスト
真田幸村の姉・村松殿のイラスト
 村松殿(むらまつどの)といえば、2016年の大河ドラマ『真田丸』において、女優の木村佳乃さんが「松」として夫の小山田茂誠(こちらの配役は声優の高木渉さん)との熱愛夫婦を演じました。真田丸を見た人にとっては記憶に濃く残っているものと思います。

 ゲーム等でも人気のある真田家の長女であり、有名な真田信之・幸村兄弟の姉としても知られる村松殿。そんな彼女の生涯をご紹介します。

はじめは武田の人質、武田滅亡により夫とは離別。

 村松殿は永禄8年(1565)、甲府の躑躅ヶ崎館で真田昌幸と山手殿との間に長女として誕生しました。本来の名前は「於国」と伝わっています。なお、翌年には嫡男の信之、その次の年には次男の幸村も誕生しています。

 当時の真田家は昌幸の兄・信綱が継いでおり、昌幸は「武藤喜兵衛」と称して武田家に臣従していました。村松殿も母 山手殿と一緒に武田の人質として甲府で生活しています。彼女が武田家の重臣・小山田信茂の一族である小山田茂誠に嫁いだのはこのころと言われています。

 しかし天正10年(1582)、織田家の侵攻により武田家が滅亡すると、村松殿をはじめとする真田一族は、新しい武田の本拠地となるはずであった新府城から脱出することを余儀なくされ、真田郷へと落ち延びました。その際、主君の武田勝頼を裏切った小山田信茂の一族ということで、茂誠はほとぼりが冷めるまで行方をくらましてしまいます。

 村松殿も嫡男の之知とともに寂しい思いをしたことでしょう。しかし主家が滅んだ今、弱小の真田家が生き残るには彼女も役目を果たさなければならなかったのです。

続いて織田の人質、そして信長の死で行方不明に。

 真田家は主家を滅ぼした織田家の傘下に入ることを決めました。そこで村松殿は織田家への人質として近江国の安土城に送られることになりましたが、武田滅亡からわずか3か月足らずの同年6月2日、信長が本能寺で明智光秀に討たれると状況は一変することに。

炎上するお城イラスト
安土城は本能寺の変から間もない6月15日 に火災で焼失したとされる。

 『加沢記』によれば、村松殿は本能寺の変の騒乱に巻き込まれて行方不明になってしまったとあります。そして2年後には伊勢国の桑名で保護された、とあるのです。

 信憑性は疑問ですが、大河真田丸では、村松殿こと「松」が安土城脱出の際に追い詰められて琵琶湖に身を投げるも、漁師に保護されて何とか一命を取り留めるも、記憶喪失になってしまう、という設定でした。おそらくはこの記録を参考にしたのでしょう。

 とにもかくも彼女は生き残りました。夫の小山田茂誠ものちに真田家に仕えることになり、天正18年(1590)には昌幸より信濃国の小県郡村松郷(現長野県青木村)を与えられています。この夫が与えられた本領から彼女は後世、「村松殿」と呼ばれることになるのです。

手紙からうかがえる彼女の人物像

 村松殿は長女として弟たちを大変可愛がっていました。それは親子が敵味方に分かれて戦った関ヶ原の戦い(1600)の後も続きました。

 幸村は蟄居先の九度山を脱出し、豊臣方として大坂城に入った後、母の山手殿とともに信之の近くにいたと思われる村松殿に対して手紙を送っています。それは大坂冬の陣が終わった後の、慶長20年(1615)1月24日であり、次に徳川軍が攻めてくる大坂夏の陣がはじまるまでの束の間のことでした。

 心配をかけたことや、再会したい旨がしたためられた手紙を、信之の家臣として徳川軍に付いていた彼女の子である之知に託しています。しかし幸村は大坂夏の陣で華々しい最期を遂げました。弟の死に大層嘆いたであろう彼女の姿が目に浮かびます。

大阪の陣での真田幸村のイラスト

 その後も村松殿は生き続けました。元和8年(1622)に信之が信濃国の松代(現長野県長野市)に転封された際には、彼を気遣う手紙を送り、それに対して信之は安心する旨や「また会いたい」との返書を送ったようです。

 村松殿は寛永7年(1630)、信之や夫の茂誠よりも先に亡くなっています。法名は「宝寿院殿残窓庭夢大姉」だそうです。兄弟仲も良好であり、人には恵まれた一生だったのではないでしょうか。




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  この記事を書いた人
趙襄子 さん

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