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  • 真田幸村
 2019/10/28

【家紋・家系図】6つのコインが不退転の気概を示す!真田の家紋「六連銭(六文銭)」とは

「六連銭(六文銭)」の家紋
「六連銭(六文銭)」の家紋

人気の武将として必ず上位にランクインする「真田幸村(信繁)」。 大河ドラマでも取り上げられたことが記憶に新しく、幾度目かのブームが再燃したこともよく知られています。

「日の本一の兵(つわもの)」と敵方からも讃えられ、人生最大の戦「大坂夏の陣」でその名を歴史に刻み付けた幸村でしたが、その一族はあえて敵味方の二手に分かれて「真田家」としての存続を成功させたことは有名なエピソードです。

九度山蟄居という20年以上にわたる雌伏の時を経て、圧倒的な武略で勇名を馳せた幸村。 そして東西・敵味方に分散することで最終的な真田家の存続を成し遂げたその兄・信之。 戦士としての矜持と家の安寧を両立した稀有な一族である真田家。

そんな真田一族の家紋についてのお話です。
(文=帯刀コロク)

真田家の出自について

真田家の家紋を語るためには、まず一族の出自や由来を概観しておきましょう。

真田氏は信濃(現在の長野県)の豪族であり、平安時代より続く信濃小県郡から上野吾妻郡に割拠する豪族・滋野一族の流れを汲み、その嫡流である海野氏の嫡流(または傍流)にあたります。

戦国期には、幸村の祖父にあたる真田幸隆が信濃国小県郡真田郷(現在の長野県東御市)を領する小豪族から身を興し、真田の姓を称したことで始まったとされています。

ただし、真田幸隆以前の系譜については、近世に作成されたものであり、出自を良く見せるための完全な脚色と考えられているようです。実際に『信州滋野氏三家系図』では、鎌倉時代中期に海野長氏の子「真田七郎」から始まることになっています。

つまり、幸隆以前の真田一族の動向は諸説入り乱れていて定まっていないのです。とはいえ、彼が滋野一族の流れを汲んでいて、海野氏との関連が深いことについてはほぼ諸記録が一致しているようです。

一地方領主であった真田氏ですが、甲斐武田家・織田家・豊臣家等々時世に合わせてさまざまな主家に仕えながら、その地力を蓄えていきました。

大坂の陣で豊臣方についた幸村に対し、兄の信之は徳川方に合力したことで真田家そのものは存続し、信之は信濃上田藩・信濃松代藩の初代藩主として大名に列せられたのは周知のとおりです。

真田家が使用した家紋とは

真田家が用いた紋は大きく分けて三つあるとされ、有名な「六連銭」、そして「州浜」と「結び雁金」が挙げられます。

六連銭とは本来、真田氏の源流となる海野氏が用いた紋であり、この伝統を踏まえたものと考えられています。

六連銭のデザインが施された上田駅
六連銭のデザインが施された上田駅

州浜とは川からの堆積土で複雑な地形になった浜辺のことで、三角州を表しているといいます。家紋としては丸を二つ並べてその上に半円をのせたような形をしており、縁起の良い紋章とされることから真田家では婚礼などの折に使用したともいわれています。

「州浜」の家紋
「州浜」の家紋

結び雁金は「雁」という鳥を図像化したもので、鳥の頭を中心にして左右の羽が中央でねじれたような形をしています。 渡り鳥の雁はかつて食材としても位の高いものとされ、これも吉祥を意味するとして家紋によくみられるモチーフです。

「結び雁金」の家紋
「結び雁金」の家紋

真田家では六連銭を定紋、この結び雁金を替紋として使用したとされています。

「六連銭」の意味

横に三つずつ並べたコインを、上下二段に配置した「六連銭」の家紋。「六文銭」というのは俗称で、一文の貨幣が六枚で六文分、という意味からの呼び名です。

いわゆる「三途の川の渡し賃」として死者に携えさせる副葬品として知られており、現在でも地域によっては紙に印刷した六連銭をともに納棺することもあるといいます。

六連銭は別名「六道銭」ともいい、これは輪廻転生を繰り返す六つの世界である「六道(りくどう)」それぞれに供えるもの、という説もあります。

六道とはすなわち「天道」「人間道」「畜生道」「餓鬼道」「修羅道」「地獄道」の総称であり、これらのいずれかに生まれ変わることを繰り返していると仏教では考えられています。

「六地蔵」といって墓所などに地蔵尊が六体祀られるのも、まさにこの六道を意味しており、死出の旅路を守護するという願いが込められています。

神奈川県横浜市にある弘明寺の六地蔵
神奈川県横浜市にある弘明寺の六地蔵

六連銭を副葬するという風習は鎌倉時代には確認することができ、現在も古い墓所などでは地表に六枚一組の貨幣が表出してくることがあります。

まとめ

六連銭は上記の事柄から、死出に旅につく準備ができていることを示す勇猛な戦士の心構えを表現しているといえるでしょう。 実に武将らしい意匠ともいえ、特に真田幸村が見せつけた「散り際の美学」ともいえる士道の在り方も相まって、鮮烈な印象を残すことになりました。

本来は真田家の源流である海野氏などが用いたことは先述のとおりですが、六連銭を「真田銭」とも呼ぶことから、「真田家の紋」というイメージが定着したものと考えられます。

余談ですが真田家の紋となっている「銭」は四角い穴の開いたいわゆる「鳥目銭」で、江戸期までの銭といえばこの形状が一般的です。この穴が四角い理由として、古代中国では「天は丸く地は四角い」という「天円地方」の宇宙観があり、それを象ったという説があります。

また現実的な理由としては、銭を鋳造すると周縁に余分な金属片、いわゆる「バリ」ができるため、大量に棒に差してヤスリで磨いて仕上げたためとされています。

穴が方形であるため研磨の際に銭が回転せず、効率よく作業ができるということですね。真田家の六連銭は、そんな時代のことを思わせる古式ゆかしい形をしています。


【参考文献】
  • 『見聞諸家紋』 室町時代(新日本古典籍データベースより)
  • 「日本の家紋」『家政研究 15』 奥平志づ江 1983 文教大学女子短期大学部家政科
  • 「「見聞諸家紋」群の系譜」『弘前大学國史研究 99』 秋田四郎 1995 弘前大学國史研究会
  • 『日本史諸家系図人名辞典』 監修:小和田哲男 2003 講談社
  • 『戦国武将100家紋・旗・馬印FILE』 大野信長 2009 学研
  • 「六道銭」『考古学コラム「きずな」No.5』 小野木学 2013 岐阜県文化財保護センター
  • 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』 2014 KKベストセラーズ
  • 『大いなる謎 真田一族』 平山優 2015 PHP研究所



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