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  • 伊達政宗
 2017/10/19

知られざる伊達氏の家臣団組織構造。「家柄」の良さが肝!

伊達政宗のイラスト99

戦国時代といえば、やはり下克上のイメージがどうしても中心になります。羽柴秀吉や、徳川家康などの武将も、決して高いとはいえない地位からの成り上がり者でした。

しかし、戦国時代の武将が必ずしもそういった成り上がりによって誕生したかといえば、そうではありません。 伊達政宗を輩出した伊達一族は、中央の舞台に顔を出すのが遅かったため、どことなく後発的なイメージをもたれがちですが、実はそのルーツは藤原北家の流れをくむ、伝統ある一族なのです。史料的にどこまで信ぴょう性があるかには疑問の余地がありますが、『吾妻鏡』にも伊達氏の姿をみることができます。

そして、こうした伝統ある一族という強い自負をもち合わせていたことも特徴です。当時の「都」は京都ですから、そこからはるか北方に位置していた伊達氏は、そうしたものを大切にすることで、「田舎者」というレッテルを張られないようにしていたのではないでしょうか。

つまり、こうした自負は伊達氏にまつわる様々な点で確認でき、それが最も色濃く表れているのが戦国大名になった伊達氏の家臣団といえます。家臣団の構成には、下克上を果たした大名とは異なる特徴的な要素がいくつも確認できます。

伊達氏のルーツが家臣団の組織にどれほど影響を与えているのかを、実際の家臣団構成を確認しながらみていきましょう。
(文=とーじん)

伊達家臣団を知るための史料について

まず、前提として伊達氏の家臣団を確認することのできる史料から解説していきます。その史料は『伊達世臣下譜』とよばれるもので、この寛政年間に編纂された史料には伊達一族の家臣団構成が記されています。もちろん、寛政年間の史料ということで、家臣団の組織は江戸時代のものが描かれているので、戦国期の正確な史料とは言い難い一面もあります。

しかし、戦国期の伊達氏には、こうした詳細な家臣団にまつわる信ぴょう性のある史料がないこと、伊達氏の特徴として「伝統」を重んじた組織であることが確認できることから、大まかな構成としては十分参照に値するという判断で、こちらの史料に基づいた構成を記していきます。

史料や研究の関係上、特定の時期の伊達一族の家臣団構成については、明確なものを発見できなかったため、その点に関しての記載はありません。ご了承ください。

伊達家臣団の基本構成

伊達氏の家臣団は、大小名を中心とした独立の勢力と、国衆や馬上を許されていた武士集団と下層の足軽や職人集団で成り立っていました。ヒエラルキー型の階層組織を採用しており、他の大名同様実際に戦場で活躍していたのは武士集団以下、とくに凡下と呼ばれた足軽や半百姓勢力です。

この家臣団は大きく二つのグループに大別することができ、上層部は「門閥」と呼ばれる勢力で、ここには伊達家の血縁関係者や功績のある家、家格の良い家などがここに該当します。もちろん、この門閥内にも様々なカテゴリーや格式の違いが存在するので、その詳細に関しては下記で別途解説していきます。

一方の下層家臣団は平士・組士・卒の三階級があり、これらの家臣たちが実際には戦場の中心的な戦力になっていたと考えられています。これは伊達氏に限った話ではないですが、当時の軍団制においては「兵農分離」が十分に進められていなかったという説もあり、戦国時代の兵士をどのように動員していたのかという詳細な点などについては議論の余地が残されているとされています。

「門閥」とよばれた上層家臣団

先ほども触れたように、「門閥」と呼ばれた上層家臣団は、さらに8つの階級に分かれていました。序列としては、階級が上のものから一門・一家・準一家・一族・宿老・着座・太刀上・召出の8つです。ここからは、それぞれの階層にみられる特徴や当てはまる家などを見ていきましょう。

格と式をもつ者が属した「一門」

「一門」という最上位の階級は、『治家記録』によればそもそも慶長年間に新たに加えられた身分であるとされています。第一席から第十一席までが設けられており、一門筆頭は石川昭光で知られる石川氏でした。他には、第二席が伊達成実から続く家柄の亘理伊達氏で、第三席は鎌倉時代に奥州留守職を任されていた留守氏でした。他にも、第十一席までの顔ぶれをみてみると、大名とまではいかない小名であり、かつ伊達家と血縁の深い家や過去に格式ある立場にあった家が属していることがわかります。

国衆や譜代の重臣で固められていた「一家」

「一家」という階級は、その大部分が国衆や譜代の重臣で固められており、一部には伊達家の血縁関係者もいました。のちに断絶する家を除けば十七家が「一家」とされました。この「一家」の末席に数えられたのが片倉氏であり、政宗の右腕と称されることも多い片倉景綱はここに属していたことになります。

先行研究では、景綱の祖先は成島八幡神社の神主を務めていたという事実が、「一家」という上位の身分に属することができた理由ではないかと推測しています。もちろん、景綱は家柄だけではなく実績も最大級の評価を受けており、「一国一城令」が出された際には、片倉氏が仙台城とともに「城」として認められていた白石城に居城を命じられています。

かつて敵対関係にあった大名の家臣が属していた「準一家」

「準一家」という階級は、かつて伊達氏と敵対関係にあった家が多く属していたという特徴があります。代表的なところでは、政宗との戦で名を知られている蘆名氏の家臣であった猪苗代氏や、敵対関係にあった大名の後裔である蘆名氏や葛西氏など、全部で十家が属していました。

古くから伊達氏に仕えてきた家が属する「一族」

「一族」という階級は、古くから伊達氏に仕えてきた家や、伊達庶流家などが多く、全部で二十二の家が属していました。この「一族」と、先ほどの「一家」という階級には、伊達氏の「家柄意識」というものが最もよく反映されています。実際に、仙台藩四代藩主綱村が編纂した『伊達正統世次考』という書物で、「江戸時代になっても一家や一族という階級を残している家は伊達のみである」と書かれています。この本は伊達氏代々の事績を記し、伊達の威光を後世にとどめるために執筆されたと考えることができるため、伊達氏がいかに格式を重んじ、同時に格式を重んじる自分たちの姿勢を誇りにしていたかが読み取れるでしょう。

他大名の家老職にあたる「宿老」

「宿老」という階級は、他大名でいうところの代々家老となるべき家を「宿老」と呼称していたとされており、実質的な役割は家老と変わりがないとされています。「宿老」に属していたのは、遠藤氏・但木氏・後藤氏の三家で、伊達氏における実務上のトップといえるでしょう。しかし、あくまで身分の上では上記の3つには劣っており、身分としては伊達氏が能力や実務よりも家格を重んじていたことがよくわかります。

正月の祝賀行事で座につくことが許されていた「着座」

「着座」という階級は、正月元旦の祝賀行事に登城して太刀や馬を献上し、城主とともに座につくことを許されていた家を指します。着座は二十八家が属しており、その中でも正月元旦の一日目に登城できる家が一番座、二日目に登城できる家が二番座と、着座の中にも序列がありました。ただ、こうして正月儀礼を通じて臣下との臣従関係を確認するという習わしは何も伊達氏に限ったことではなく、全国の大名や国人領主も行なっていたことだとされています。

正月の儀式に太刀を献上した「太刀上」

「太刀上」という階級は、文字通り正月儀式で太刀を献上する家を指します。この身分も「着座」と同様に着座の順番が決められており、一番座と二番座がありました。

正月の宴会に呼ばれる資格があった「召出」

「召出」という階級も、その名の通り正月の宴会に出席する資格があった家を指します。こちらもやはり一番座と二番座があったとされています。

伊達の実戦部隊ともいえる下層家臣団

大番組とも呼ばれ馬上を許された「平士」

平士という階級は、仙台藩では大番組ともよばれ、馬上を許されていた侍のことを指します。地侍や土豪と呼ばれていた人物たちがこれに該当し、平時は領内の警備を、有事には槍持ちや旗持ちを従えて数人で出陣する役割を担っていたとされています。

最下層の侍として戦で活躍した「組士」

組士という階級は、侍の中では最下層であり、郷村の出身者がほとんどだったとされています。しかし、兵農分離が実行されるにあたり、村と城が分断されていく中で、城側へと自然に吸収されていきました。戦では歩卒の足軽として活躍し、「不断衆」や「名懸衆」とも称されました。

領内各地から城下に詰めていた足軽「卒」

卒という階級は、そもそも侍ではなく、各地域から所定の人数が足軽として城下に詰めていた際に、その人々に与えられた身分です。そのため、本来は百姓や職人を務めている人物も、こうして家臣団に組み込まれていました。また、城の建築や改修の際には、彼らのうち「小人」と呼ばれた最下層の「卒」を臨時に雇用したとされますが、あまりの重労働に不満が爆発し、「小人騒動」と呼ばれる騒動が勃発したこともありました。この騒動では、小人衆が蜂起し寺社に立てこもって抵抗しましたが、家臣団に打ち取られたとされています。

以上が、おおまかな下層家臣団です。しかし、合戦の際には臨時に多くの傭兵が雇用されており、家を継げない百姓の次男や三男、渡奉公人や下人など、定職につけていない人々を大量に雇用して戦力を賄っていたとされています。


【主な参考文献】
  • 小林清治『戦国大名伊達氏の研究』高志書院、2008年。
  • 中田正光『伊達政宗の戦闘部隊:戦う百姓たちの合戦史』洋泉社、2013年。
  • 高橋富雄『陸奥伊達一族』吉川弘文館、2018年。etc…



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