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【麒麟がくる】第12回「十兵衛の嫁」レビューと解説

東滋実
 2020/04/07

「麒麟がくる」第十二回レビュー用

1話まるまる時間をかけて結婚決意へ向かうのかと思いましたが、冒頭であっさり結婚を申し込んだ光秀。叔父上の思惑も今回はピタッとはまったようです。
(文=東 滋実)

光秀と煕子の結婚

前回の将軍・義輝との対面を受け、光秀の心はずっと荒んでいるようです。麒麟がくる道は遠い。武家の棟梁たる将軍でもままならない世の中です。

季節的にもおそらくまだ春の手前で寒さの残るころ、同じく寒々とした光秀の心を温めたのは煕子でした。言葉もやわらかで温かいですが、温石まで出してくれて、わかりやすい。

ちなみに、温石(おんじゃく)とはカイロみたいなもので、平安から江戸時代にかけて利用されました。「懐石料理」の「懐石」とは、この温石のことです。

精神的にも物理的にも温めてくれた煕子に、光秀は唐突に結婚を申し込みます。それを受けて煕子は驚いた様子もなく、ふわふわした印象ながら本当に肝が据わってますよね。

実際にふたりがいつ結婚したのかはよくわかっていませんが、この翌年の天文21(1552)年に長女が生まれているので、ドラマの設定も辻褄があいます(長男の誕生がその18年後なので、同母ではないのでは、という見方もあり)。

生まれてくる長女は、今回初登場した明智左馬助こと、のちの明智秀満の妻になる女性です。

「母親に申せぬことも嫁にはもらす」

浮かない様子の光秀を見て、叔父の光安は「こういうとき光秀に嫁がいないのは……」とこぼします。お牧の方は、何も話さない光秀を心配していました。光安は左馬助を使って光秀を妻木へ行かせ、煕子と結婚するよう仕向けるのでした。

光安曰く、「母親に申せぬことも嫁にはもらす」ということもある、と。お牧の方は母としてはちょっと納得いかない感じでしたが、今回ばかりは叔父上の言うことは正しかったのです。光秀は煕子に会ってやや晴れた心地がし、結婚を決めます。

また、別のところでも。

尾張では、死が迫る信秀が居城・末森城を信長の弟・信勝に任せることを発表。信長は激しく落胆し、「父上は母上の言いなり」だと帰蝶の前で泣きます。

この信長の姿を見て、帰蝶はすぐさま信秀の真意を尋ねに行きます。信長のことを本当はどう思っているのか。

嫁が直談判するなんて、帰蝶自身も恐れ多いことと相当緊張していましたが、「話してくれたら東庵を呼んであげます」と交換条件をちゃんと用意するところがマムシの娘らしいですよね。

信秀が何と言ったか、視聴者には「帰蝶、信長をよろしゅう頼む」の部分しかわかりません。そのあと帰蝶は「信長は良くも悪くも自分にそっくりで、だからかわいい。尾張を頼むぞ。強くなれ」と言った、と信長に伝えました。

これがどこまで本当か、視聴者にはわかりません。いつか信秀は家督相続の話の中で、器量がよかったのは自分ではなく弟だった、と言いました。これは信長も同じなんですよね(信勝の器量がいいかはさておき)。

そういう意味では、信秀はたしかに自分と信長はよく似ていると思っていたのだろうし、帰蝶にそう伝えたのかもしれません。ただ、とくに後半部分はウソというか、かなり誇張して伝えたのではないかと思います。信長が喜んで去ったあとの帰蝶の表情を見ると、どうもそんな感じがします。

信長のほうも、帰蝶が言ったことすべてを父が本当に言ったとは思っていなかったのではないでしょうか。

父の思いは、本当は期待よりも心配・不安のほうが大きかったとしても、母が自分ではなく弟を当主にしたがっていても、自分には帰蝶という味方がいる。信長のために父を尋ね、自分が一番ほしい言葉をくれる帰蝶がいる。今の信長にとってはそれが救いです。

ほかの誰にも言えないことを、妻には言える。帰蝶の前では弱音を吐けるのです。光安の言葉と光秀の結婚のエピソードは、信長と帰蝶にもつながっていました。

織田信秀の死

天文20(1551)年3月。信秀は最後に東庵と双六がしたいと呼び、その対面の直前に息を引き取りました。

晩年は病のこともあって敗北続きで、息子には不安もあったでしょうが、最後の最後は楽しみにしていた東庵との双六をさあやろうと賽子を握って、いい最期だったのではないでしょうか。あの座ったままの死に様は本当にかっこよかった。

次回は道三と頼芸の戦いや道三と信長の対面が中心になるでしょうから、信秀の葬儀がどこまで描かれるかはわかりません。

『信長公記』にもあるように、喪主の信長は袴も履かず、茶筅髷で、長柄の大刀と脇差は藁縄で巻いて……とにかく葬儀にはふさわしくない出で立ちで、抹香をつかんで仏前に投げつけたと伝わっています。肩衣に袴できちんとした信勝とは対照的だった、という話は有名ですね。

葬儀で抹香を投げつけたという信長。
父の葬儀で抹香を投げつけたという信長。

盛大な葬儀での信長の奇行は、信秀が弾正忠家の後継者をはっきり決めることなく死んだためだともいわれます。この時点で信長の家督相続は決まっていたわけではなく、それゆえ後の信勝との争いに発展するといわれます。

土岐頼芸追放へ

一方、美濃では土岐頼芸による道三暗殺未遂事件が起こります。思い通りにならない他人はホイホイ暗殺しておきながら、いざ自分が殺されるとなると烈火のごとく怒る道三。

美濃の国人領主たちを狼煙で呼び出し、「神仏のごとく」敬ってきた頼芸に暗殺されそうになった、お前たちもちろんわしの味方するよね?という集会を開きました。国人領主たちは皆一様に黙りこくって横目で周囲の様子をうかがいます。

高政(義龍)はこのあと、「わしは土岐様を守る。父上と戦う」と言い、「一緒にやろう」と光秀を誘います。高政には「何でも言うことを聞く」というカードがあります。高政が稲葉良通らと立つとき、光秀は果たしてどうするのか。

土岐頼芸追放が何年のことであったかは諸説ありますが、ドラマのとおり天文21(1552)年説が有力です。暗殺未遂がきっかけでついに道三は守護・頼芸を完全に追放し、名実ともに美濃の主になります。

次回はついに藤吉郎(秀吉)も登場しますよ!


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)

  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター ...


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