【麒麟がくる】第32回「反撃の二百挺」レビューと解説

東滋実
 2020/11/17

朝倉・浅井との戦いも思うようにいかず、じわじわと囲まれる信長。ピュアだった義昭は、どんどん負の感情を露わにするようになってきました。

一方、光秀は「鉄砲をたくさん調達せよ」という命を受け、筒井順慶と会うことに。

筒井順慶

本能寺の変の後、光秀の運命を左右するキーパーソンのひとりが今回登場した筒井順慶です。


光秀最後の戦いとなった山崎の戦いは天王山の戦いとも呼ばれ、「天下分け目の天王山」という言葉も有名ですね。その天下分け目の大事な戦いで、光秀に味方してくれと要請されながらも最後は動かず。


このことから「洞ヶ峠を決め込む」という故事が生まれ、順慶は日和見の代名詞となってしまったのです。


さて、今回順慶は、鉄砲を譲るかわりに信長に会わせてほしい、と言いました。光秀はこの条件をのむかわりに、160挺ではなく200挺もらいたいと交渉し、見事鉄砲200挺を用意することができました。


筒井順慶といえば、既に信長家臣となっている松永久秀の宿命のライバル。永禄年間、大和に侵攻する久秀と幾度となく戦っており、まだ決着はついていません。


順慶と光秀の約束が果たされるのは、翌年の元亀2(1571)年のこと。この年に順慶は光秀の仲介により信長家臣になり、光秀の与力に加えられました。宿敵の久秀と同じ主に仕えることになったわけで、これにより久秀と和睦。


しかし久秀はこのころすでに信長に叛く動きを見せていて、元亀3(1572)年には謀反を起こします。長年のライバルを討つ機会を得て、順慶は久秀討伐に加わりました。


久秀の死後、空いた大和国は当初光秀に与えられるはずでしたが、光秀は固辞して順慶を推挙したとか。


このように順慶と光秀の関係を見ていくと、順慶は光秀に恩があるように見えます。「麒麟がくる」でも重要な役どころのようですから、ふたりの関係の描かれ方には注目したいですね。




姉川の戦い、野田城・福島城の戦い、志賀の陣

元亀元(1570)年の姉川の戦いの描写はかなり駆け足でした。前回辛酸をなめさせられた信長は、この戦いで朝倉・浅井軍に勝利。


織田とともに戦った徳川家康は、朝倉の力はこんなもんか、という口ぶりで、今一番注意すべきは武田である、私はこれから信玄と戦うつもりだ、と光秀に言います。


のちに両軍が衝突した「三方ヶ原の戦い」といえば脱糞、脱糞と騒がれるものですが、「麒麟がくる」は信憑性が低い逸話をあまり採用しないように思いますし、家康@風間俊介は脱糞しなさそうですし、作中では描かれないでしょうね。


さて、話を元に戻しますが、姉川の戦いのころに三好勢が動きを見せます。野田城・福島城の戦いです。


三好三人衆は石山本願寺勢力や雑賀衆を味方に挙兵し、信長を破っています。この戦は11年続く信長と石山本願寺の戦い(石山合戦)の始まりといえる戦いです。




本願寺が門徒に蜂起を呼びかける檄文に「信長が本願寺を破却すると言った」とありますが、本願寺の蜂起は信長にとって思いもよらないことだったようで、信長から本願寺を挑発したわけではなかったようです。


この本願寺の予想外の動きに戦況は大きく変わり、背後ではこの機に乗じて朝倉・浅井軍が南下(志賀の陣)。朝倉・浅井は信長が摂津からこちらへ向かってきたと知るや、比叡山延暦寺を味方につけて立て籠もります。



野田城・福島城の戦いには敗れ、志賀の陣では延暦寺が出てきたことで講和することになり、信長はボロボロです。



ムカデの夢と籠のトンボ

光秀に「高みの見物してないで次は戦に出てください」などと言われて出た戦では負け、むしろ二条城で報告を待つよりも間近で信長の負けっぷりを見たことで信長に対して怒りがわく流れ。


義昭と信長の不和は、よく信長が義昭をないがしろにしたことによると言われますが、「麒麟がくる」では義昭が信長を「頼りない」と思って、幕府再興は信長ではない別の大名に頼りたい、という展開になっているようです。


それにしても、「吉兆の印であるムカデが夢に出てきたから勝てる」という話をしたり、摂津土産として小さな珍しいトンボを駒のために持ち帰ったり、義昭は虫が好きですね。


ムカデもトンボもどちらも前にしか進まない縁起物で、兜の前立ての意匠にもよく使われています。ただ、「縁起がいい」だけではない別の意味も勘ぐってしまいます。


ムカデといえば、武田の百足衆。ムカデは吉夢だとして嬉々と鼓舞しますが、それは本当に信長にとって吉兆なのでしょうか。武田と組んで信長と敵対しますよ、と堂々と宣言しているのではないかと穿った見方をしてしまいます。


一方、摂津から持ってきたトンボ。小さな籠に入れられたトンボは生きていますが、ちょっと狭すぎやしませんか。


以前義昭は、自身を「羽運ぶ蟻」にたとえました。軽い羽は担がれる神輿=義昭でもあります。そして前回、秀吉は自分を「羽があるのに飛ぶことを知らないマイマイカブリ」になぞらえ、そのままでいたくはないと言いました。


飛ぶことを知らない虫と、飛べるのに籠に押し込められた虫。虫の羽だけでそれぞれの人物に合ったいろんな表現ができるんですね。


狭い籠に入ったトンボを見る義昭は狂気じみていて、蟻には一緒に運ぶ仲間がいる、と語った時の徳の高さのようなものはもう感じられません。


また、トンボは別名を「秋津」と言いますが、『古事記』や『日本書紀』は日本の本州を「秋津洲/島(しま)」と表記しており、このことから「秋津洲」は日本の異名のひとつになっています。


弱者に寄り添い、将軍になってもっと多くの人々を救いたいという思いを持っていたはずの義昭が、トンボ(国)を掌中に収める権力者の顔になってきました。


で、この縁起のいいトンボも来週には死んでしまうのです……。


仏を背負う信長

比叡山の僧兵が「仏を背負って戦っている」と言えば、実際に仏像を背負って叡山に攻め込んでやると言う信長。比喩表現に物理で返すのが信長です。


「仏は重うございませんか」と問う光秀は笑っています。もっとも、心から笑っているというより、やはり光秀も「仏」に「寺社勢力」「人々の信心深さ」などを込めているのですが。


光秀の問いに「重ぉい!」と返す信長はどこまでも仏像の重量のことだけを言っていて、縄で首を絞められた仏像がクローズアップされ……。


石仏を壊して石垣に使っていた数年前ならここまでの笑顔で皮肉を飛ばすことはできなかったでしょうね。それだけ、「今は戦に全振り」と決めた光秀はあのころと違います。


比叡山焼き討ちへ

次回、いよいよ比叡山焼き討ちです。


信長が出てくる大河では必ず掘り下げられて描かれる出来事ですが、今回注目したいのは天台座主・覚恕(かくじょ)が登場することです。


後奈良天皇の第二皇子で、正親町天皇の異母弟。美しい兄にコンプレックスがあるという設定で、比叡山焼き討ちもこの兄弟の対立が絡められるようです。


この覚恕、比叡山焼き討ちの責任を取って天台座主の座から降りることになり、信玄に比叡山再興を要請します。ここでもまた信玄が出てくる流れです。




【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)

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  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

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