埴輪と一緒に眠る首長がいた!? 〜60年以上経って分かった新事実〜
- 2025/04/15

ヤマハ発動機の本社がある静岡県磐田市の甑塚古墳(こしきづかこふん)は、昭和33年(1958)に送電鉄塔建設工事の際に発見され、緊急調査された古墳です。
この時は主に石室内の調査を行い、その後に墳丘測量が実施されています。それから60年以上経った2024年の7月30日、磐田市教育委員会はこの甑塚古墳に関して、”ある新事実” を発表しました。
今回はこの甑塚古墳で分かった新事実について紹介していきます。
この時は主に石室内の調査を行い、その後に墳丘測量が実施されています。それから60年以上経った2024年の7月30日、磐田市教育委員会はこの甑塚古墳に関して、”ある新事実” を発表しました。
今回はこの甑塚古墳で分かった新事実について紹介していきます。
甑塚古墳について
概要
磐田原台地の東縁辺上にあり、丘陵を巧みに利用して墳丘としています。直径約26m、高さ約5mの円墳で、墳丘裾部に埴輪を巡らせていますが、周溝や葺石は発見されていません。南東方向に開口した右片袖式横穴式石室を持ち、石室内に長さ2.4m、幅90cmの組合せ式箱式石棺が据えられていました。出土した須恵器や埴輪などから6世紀初頭の築造とみられ、静岡県内では、最古級の横穴式石室を持つ古墳です。
出土品
土師器4点に対して、須恵器は100点以上出土しています。須恵器の年代編から、少なくとも3〜4回の追葬が推定できます。ちなみに、石棺が置いてある床石の下からも赤色顔料を収めた須恵器坏が出土していますので、石棺の被葬者も追葬者であることが分かります。
また、玉類や馬具、武器類も数多く出土しています。その中でも馬具の三角錐形壺鐙は県内唯一、武器の銅製鈴付三輪玉は半球部分が鈴になっている珍しい物でした。
さらに、破片ながら発見された冑(竪矧広板革綴冑)はきわめて出土例の少ない形式で、ほかに滋賀県宮山古墳から出土しているものが知られているにすぎません。
埴輪は、墳丘の北において埴輪円筒列が、墳丘南裾では横転していた埴輪片が出土しました。この埴輪片は埴輪転用棺と想定されましたが、現在確証は得られていません。
ほかには、石棺の北側から比較的大きめの円筒埴輪片三個体分が床面に密着して出土しましたが、石室内で発見されたため、こちらも埴輪転用棺と考えられました。
蓋形(盾形)埴輪片も石室内で出土しています。
被葬者
古墳の規模は決して大きいとは言えず、形状もシンプルな円墳です。しかし、近畿でしか発見されていない冑や金銅製の馬具一式・武器・その他武具類など、古墳のサイズに似合わないような豪華な副葬品が出土しています。ですから、被葬者は近畿地方との繋がりを持った磐田の首長、またはその関係者などではないでしょうか。
甑塚古墳に関する謎と新事実
この甑塚古墳に関して、ある謎に気付いた方もいらっしゃるでしょう。それは、「なぜ石室内に埴輪があるのか?」ということです。もともと墳丘上にあった円筒埴輪を棺として転用し、埋葬する例は多くあります。しかし、埴輪転用棺を石室内に追葬するケースは非常に珍しいそうです。
さらに、盾形埴輪のような、形象埴輪が石室内に置かれるという話を筆者は聞いたことがありません。被葬者は埴輪と一緒に眠りたかったのでしょうか?
そして、今回の本題である新事実とは、石室内から発見されたこの埴輪に関するものでした。
60年経って分かった新事実とは
2024年7月30日、磐田市教育委員会は甑塚古墳について新事実を発表。磐田市教育委員会:「甑塚古墳で出土していた埴輪が “盾持ち人埴輪” である」
さらには次のような見解も出しました。
「盾には畿内ヤマト王権の影響を示す“複数の線で半円を描いた文様”があり、この文様がある埴輪は東海4県では初めて」
「磐田に当時、ヤマト王権に近い相当な有力者がいた可能性を示す」
近畿でしか発見されていない希少な冑も出土している甑塚古墳の被葬者は、やはり先述したように、「近畿地方との繋がりを持った、この地域の首長またはその関係者」なのでしょう。しかし、「なぜ石室内に埴輪があるのか(しかも人物埴輪!?)」という謎は未だ不明です。
甑塚古墳の「盾持ち人埴輪」について
謎の真相について話をする前に、今回発表された「盾持ち人埴輪」について簡単に触れておきましょう。一般的な盾持ち人埴輪
先ず、一般的な盾持ち人埴輪について説明します。近畿地方で4世紀後半から登場し、古墳の最外周部や入口に置かれた人物埴輪の一つです。盾を身体の前面に構えて冑状のものを被った魔除け役といわれています。奇怪な顔つきが特徴的な反面、手や足は造形されません。ちなみに、笑いを浮かべた表情もありますが、これは僻邪を愚弄してあざ笑っているのだといわれています。

また、盾にはノコギリの歯のようなギザギザの文様(三角文)が描かれていることが多いです。盾持ち人埴輪は全国120カ所の古墳から出土しており、静岡県でもこれまでに2例発見されています。
甑塚古墳の盾持ち人埴輪
次に、甑塚古墳の盾持ち人埴輪についてです。先述したように、もともと石室内で出土し別の個体と思われていた円筒埴輪と盾形埴輪を再調査した結果、一つの盾持ち人埴輪だと判明しました。※甑塚古墳の盾持ち人埴輪の画像: 磐田市はヤマト王権とつながり?! 甑塚古墳からの出土品 「盾持ち人埴輪」と確認(中日新聞web)
頸にあたる部分には孔があいていますが、頭部は見つかっていません。よって、どんな表情をしていたのか分かりませんが、顔の部分に孔があいた甲冑形埴輪が、真の継体陵といわれる大阪府今城塚古墳から出土しているため、頭部はこういう形だったかもしれません。
そして、最大の発見だった盾の文様は一般的に見られる三角文ではなく、三重の円を半分に切ったような文様で、6個描かれています。
このような文様のある埴輪は東海地方ではこれまで確認されていません。しかし、これとよく似た文様が奈良県宮古平塚古墳から出土した靭形埴輪に描かれています。このことから、「畿内ヤマト政権に影響を受けた埴輪」と発表されたわけです。
半円状の文様が持つ意味とは
古代、盾や矢を入れる靭にはギザギザの三角文を描いたり、南方産の貝殻をくっつけたりしていたようです。この三角文や貝殻、さらには渦巻文などは当時、魔力を持った形として敵の弓矢から身を守るために効果があると考えられていました。考古学者の大塚初重氏も、
「古代では、ある特殊な事物に霊力を与えて、それを楯とか、身を護る防具につけると、特別な魔力、特別な力を発揮して、わが身を守ってくれるという考え方があったようです。
(中略)
古代においてもそういう巴形銅器が楯に縫いつけられた例もみられます。」
と『埴輪と古代人のこころ』で述べています。
さて、多くの盾には三角文が描かれるなか、甑塚古墳の盾には東海地方で唯一ヤマト王権の影響を受けた半円が描かれました。それは何故でしょうか?
残念ながら、その真相ははっきりしていません。しかし、その真相を探る手がかりは甑塚古墳から南に2kmほどのところにある松林山古墳(4世紀後半に築造された全長107mの前方後円墳)にあります。

この古墳は規模や副葬品などからみて、この時期の首長墓であると推定されます。実はそこから、南方の島に生息する “魔除け” で有名な水字貝で作られた貝釧(かいくしろ。貝殻を加工して作った腕輪)が出土しました。
水字貝といえば、その形を模倣したといわれる巴形銅器が奈良県東大寺山古墳など畿内の古墳から出土しています。つまり、磐田の首長は少なくとも4世紀後半から畿内の権力者(ヤマト王権)と関わりが深かったことを表しています。
そして時代が進んだ6世紀初頭も引き続き、磐田の首長はヤマト王権との関わりが深かったと考えられます。ですから、ヤマト王権の影響を受けた文様が採用されたのではないかと、筆者は考えます。
まだ“謎”は解明されず…?
ヤマト王権の影響を受けた文様の理由は説明できましたが、「なぜ石室内に埴輪があるのか」という“謎”についてはどうでしょうか?今回、磐田市埋蔵文化財センターの学芸員の方から色々な話を聞かせていただき、上記の謎についても質問しました。その回答は、
磐田市埋蔵文化財センター:「もともと石室入口付近にあった盾持ち人埴輪を棺として再利用するにあたり、頭部を取ったのかもしれません」
という埴輪転用棺説でした。しかし、盗掘跡は無いのに石室の天井石は1つも無かったという古墳発見当時の状況から、
磐田市埋蔵文化財センター:「ひょっとしたら、墳丘上に立っていた埴輪が石室内に落ちたのかもしれませんね」
という埴輪落下説にも触れていました。
埴輪好きの筆者としては、「純粋に埴輪と一緒に葬られたかったのでは」という、埴輪大好き説を推したいところではありますが…。
実はこの甑塚古墳、発掘調査から60年以上経っていますが、発掘調査報告書が未だ刊行されておりません。報告書作成のために出土品の再調査&整理をしていて新事実が判明したわけです。つまり、まだ調査不十分な古墳なのです。
地方にある小さな古墳ですが、今後の調査&研究で石室内の埴輪の謎を含めて、更なる新事実が発表されるかもしれません。ひょっとしたら考古学会の常識を覆すような大発見があるかも!?
我々歴史ファンは、その時が来るまで楽しみに待ちましょう。
【主な参考文献】
- 静岡県『静岡県史 資料編2考古二』(静岡県、1990年)
- 磐田市史編さん委員会『磐田市史 資料編1考古・古代・中世』(磐田市、1992年)
- 大塚初重「埴輪と古代人のこころ」『古墳時代の鏡・埴輪・武器』(学生社、1994年)
- 若狭徹『はにわの世界 古代社会からのメッセージ』(東京美術、2009年)
- 古代浪漫探究会『古墳のひみつー見かた・楽しみかたがわかる本ー』(メイツ出版、2018年)
- 磐田市埋蔵文化財センター
- ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
- ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
コメント欄