不死身の武将「馬場信春」…武田信玄の右腕、生涯無傷の強さの秘密とは

馬場信春像(イラスト)
馬場信春像(イラスト)
 戦国の世において最強と謳われた武田信玄。その信玄がもっとも頼りにした家臣の一人に、馬場信春(ばば のぶはる)がいます。

 信春は、築城術、軍事戦略、そして実戦での武功において卓越した手腕を発揮し、信玄に深く信頼されました。その功績から「武田二十四将」の一人に数えられ、戦場では一度も傷を負うことがなかったという伝説から「不死身の馬場美濃」と称されました。

 なぜ信春はそこまで傑出した武将として活躍できたのでしょうか。今回は、武田四宿老の一人にも数えられる馬場信春の生涯と、その卓越した能力の秘密に迫ります。

信春の出自と異例の抜擢

土豪の出身

 馬場氏は甲斐国(現在の山梨県)守護大名である武田氏の譜代ですが、実は馬場信春の出自は馬場氏ではありません。生まれは甲斐国教来石(きょうらいし)の土豪であり、武川衆と呼ばれている教来石氏でした。

 17歳の頃に武田信虎に従って初陣を果たし、25歳の頃に信虎の後継者である信玄に抜擢されたといいます。そして信玄が甲斐国を掌握していく中で、侍大将として頭角を現し、天文15年(1546)には50騎を率いるまでに昇進しました。

 天文18年(1549)までには断絶していた名門・馬場氏の名跡を継ぎ、「馬場民部少輔信春」を称するようになったと考えられています。出自にとらわれず、実力主義で有能な人材を登用する信玄の姿勢が、信春のような若き才能を開花させたといえるでしょう。

信濃国攻略に貢献

 信玄は、甲斐国の領土を拡大するため、隣接する信濃国(現在の長野県)への侵攻を開始します。天文19年(1550)に信濃国の小笠原氏の拠点である林城を攻略すると、その支城の深志城(のちの松本城)を修築し、城代には信春が任命されます。

 信春は、平瀬城の城代を務める原虎胤(はら とらたね)と協力して、敵対勢力の侵攻を防ぎ、信濃国筑摩郡(ちくまぐん)や安曇郡(あずみぐん)を防衛しました。その後も、信濃国の村上氏との戦いや、宿敵・上杉謙信との川中島の戦いにも参戦。永禄5年(1562)には牧之島城を自ら築城し城主となり、海津城の春日虎綱と共に謙信を監視する役目を担うなど、信濃国を支配する上で重要な役割を担いました。

 この功績により、信春は美濃守の官位を与えられ、武田家の重臣として、120騎を率いる大将へと昇進しました。

信濃国の武田支配の城(一部)。深志城、平瀬城、海津城など(Leaflet | © OpenStreetMap contributors)
信濃国の武田支配の城(一部)。深志城、平瀬城、海津城など(Leaflet | © OpenStreetMap contributors)

信春の二人の師匠とは?

 信春が「名人」の尊称で呼ばれ、数々の伝説を残すことができたのは、彼が持つ才能だけでなく、それを引き出し、磨き上げた師の存在があったからでした。

築城術の師:山本勘助

 信春の師匠は、武田軍の伝説的な軍師・山本勘助(やまもと かんすけ)です。信玄の命により、信春は勘助から「城取(しろどり)」、すなわち築城術の奥義を学びました。

 信玄の築城に対する要求は非常に厳格で、少数の兵でも大軍を相手に防衛することができて、仮に敵に奪われたとしても、再度奪還しやすいような城を求めていました。勘助から伝授された高度な築城技術は、信春のキャリアにおいて大きな強みとなります。

 勘助の死後、信春は信玄が占領した領地の築城を一手に任され、信濃国の牧之島城をはじめ、駿河国の田中城や清水城、遠江国の諏訪原城や小山城など、多くの築城を担当したことが伝わっています。

 ちなみに永禄4年(1561)の第四次川中島戦いの際には、師である勘助と共に「啄木鳥(きつつき)戦法」を信玄に進言しています。しかし、この策は謙信に見破られ、勘助は信玄を守るために奮戦し、戦場で命を落としました。

軍事戦略の師:小幡虎盛

 信春にはもう一人、重要な師がいました。それが、武田二十四将の一人でもある小幡虎盛(おばた とらもり)です。

 虎盛は、戦場での駆け引きや部隊の指揮について信春に教えを授けました。信春は虎盛の教えに深く感銘を受け、彼の旗印である「黒御幣(くろごへい)」を譲り受けて用いていたようです。虎盛の教えと信春自身の才覚が合わさり、彼は生涯で21もの感状(武功を称える書状)を受け、中でも9度は全軍で最高の武功を挙げたといわれています。

 信春は、戦場での心構えを尋ねられた際、次のように答えています。

「敵陣に深入りした際は、冷静な部隊と連携して脱出を試み、その殿(しんがり)を務めること」

「味方の旗指物が前に傾いている際は攻め時ではない。旗が後ろに反った時こそ、勢いが衰えた証拠なので、ここで懸命に戦えば戦功を立てることは容易である」

 これらの言葉は、武勇だけでなく、戦の機微を読み解く信春の優れた洞察力を物語っています。また、この兵法の奥義は信春配下の組頭である早川弥三左衛門幸豊に伝授され、さらに小幡景憲へと伝わりました。

信春の伝説と類まれな活躍

 信春は、師から教えを学ぶだけでなく、独自に工夫を凝らして武田軍全体の戦力を向上させました。

押し太鼓の「九字」を開発

 信春は、戦場において前進や停止を全軍に指示を伝えるための「押し太鼓」の合図や、「鬨の声(= 士気を鼓舞するために、多数の人が一緒に叫ぶ声のこと)」などを改良しており、信玄はこの作法を気に入って、広く用いています。

 具体的には、前進を意味する「寄せ」、隊列を整える「序」、素早い移動の「急」、そして敵を攻撃する「破」を細かく分類し、合計で九つの指示を太鼓で伝えられるようにしました。

 これは、護身の呪文である「臨兵闘者皆陣列在前」の九字になぞらえて名付けられ、いかなる強敵も打ち破ることができると信じられました。この改良により、武田軍は進軍や突撃、方向転換などの行動を、より迅速かつ正確に連携行動をとれるようになり、その強さをさらに増すことになったのです。

「不死身」の伝説

 信春の伝説の中でも特に有名なのが、「生涯で一度も戦場で傷を負わなかった」という逸話です。

 信玄の主な合戦のほとんどに参加しながら、一度も手傷を負うことがなかった信春。これは単なる幸運ではなく、卓越した武勇に加え、戦場の流れを瞬時に読み、危険を回避する優れた判断力と戦略眼の賜物でしょう。まさに「不死身の馬場美濃」という異名は、彼の能力の高さを示すものだったのです。

馬場美濃守信房(『英雄六家撰』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
馬場美濃守信房(『英雄六家撰』より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 信春は武田軍による西上作戦(1572~73)が始まる前から敵領の情報収集を細かく行っており、徳川家康が制圧した遠江国についてもすでに絵図を完成させていました。ただし、天竜川の浅瀬の場所だけがはっきりしなかったため、実際に遠江国へ侵攻した際に徳川勢の動きを見て、浅瀬の場所を確認したと伝わっています。

 また、三方ヶ原の戦い(1573)では、徳川家康の陣形(鶴翼の陣)を確認し、「必ず勝てる」と太鼓判を押したことで、信玄は総攻撃の決断をしたといいます。

長篠の戦いと壮絶な最期

 有能な家臣として信玄に尽くしてきた信春ですが、彼の最期は壮絶なものでした。

 天正3年(1575)、信玄の後を継いだ武田勝頼は、織田・徳川連合軍との長篠の戦いに臨みます。この戦いの前、信春は勝頼に対し、決戦の無謀さを懸命に説得しましたが、勝頼に聞き入れられなかったといいます。

 信春の懸念は的中し、武田軍は織田・徳川連合軍の前に大敗を喫します。しかし、信春は混乱する戦場で奮戦し、織田家の重臣である佐久間信盛(さくま のぶもり)の部隊を打ち破る働きを見せました。

 そして、勝頼を無事に退却させるため、自らが殿軍(しんがり)となり、追撃する敵を食い止めました。最後まで傷を負うことなく戦い続けた信春でしたが、彼の部隊は壊滅状態に陥ります。最期は信春自ら切腹し、敵の川井三十郎に介錯させ、その首を与えたのです。

 その壮絶な最期と奮戦ぶりに、織田勢は「馬場美濃守比類なし」と賞賛したと伝えられています。

おわりに

 信玄が戦国最強の武将と称えられた陰には、馬場信春のような卓越した才能を持つ家臣の存在が不可欠でした。敵からも称賛された信春は、武士の鑑として後世に語り継がれ、彼の娘を妻に迎えることは武士にとって最高の誉れだったようです。江戸時代には、信春の子孫が幕府の旗本に取り立てられています。

 敵も味方も認めさせるほどに傑出した才能を持ち、主君に忠義を尽くした馬場信春は、まさに戦国武将の理想像だったのではないでしょうか。


【参考文献】
  • 磯貝正義『定本武田信玄』(新人物往来社、1977年)
  • 柴辻俊六『武田信玄合戦録』(角川学芸出版、2006年)
  • 平山優『武田信玄』(吉川弘文館、2006年)
  • 平山優『新編武田二十四将正伝』(武田神社、2009年)

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  この記事を書いた人
ろひもと理穂 さん
歴史IFも含めて、歴史全般が大好き。 当サイトでもあらゆるテーマの記事を執筆。 「もしこれが起きなかったら」 「もしこういった采配をしていたら」「もしこの人が長生きしていたら」といつも想像し、 基本的に誰かに執着することなく、その人物の長所と短所を客観的に紹介したいと考えている。 Amazon ...

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