年貢米を換金する、各藩の出先金融機関!「蔵屋敷」の意味を解説

大阪市 旧黒田藩蔵屋敷長屋門
大阪市 旧黒田藩蔵屋敷長屋門
 江戸時代を通じて、経済の基準に「米」が位置付けられていたことはよく知られています。国力や武士の給与も米の体積や量で表され、米は貨幣と同様の位置付けであったといっても過言ではありません。

 しかし一方で、江戸時代には銭や銀貨・金貨も存在しており、米の現物との兼ね合いがどうなっていたのかいまいち分かりにくいのではないでしょうか。答えとしては、米は現物での流通以外にも市場で換金するという方法がとられていました。各藩での年貢米は売買の対象となり、特定の集積地にできた市場で取引されていたのです。

 そんな米や産物取引のために設けられた各藩の出先機関が、「蔵屋敷(くらやしき)」です。今回は、諸国にとって現金収入をもたらすという重要な任務を帯びた、蔵屋敷について概観してみましょう!

蔵屋敷とは

 蔵屋敷とは諸藩が年貢米や特産物を現金化するため、市場のある都市に設けた倉庫を兼ねた屋敷です。藩邸と異なるのは現地政庁ではなく、金融に特化した販売機関であった点にあるでしょう。

 蔵屋敷が設置されたのは、大坂・江戸・京都・長崎・大津・敦賀など物流・金融の先進地でした。正確には藩だけではなく、幕府や旗本、または高禄の諸藩家臣・大規模寺社・宮家などが保有していました。

 蔵屋敷経由で販売される産品は「蔵物(くらもの)」と呼ばれ、その中心は年貢米でした。それに加えて諸藩の特産品も売買され、藍玉・紙・砂糖・畳表などが品目として挙げられます。

 蔵屋敷は特に大坂で発展したことが知られています。17世紀後半以降は中之島の取引市場を筆頭に、その周辺に数多くの蔵屋敷が設置され金融街の様相を呈していました。

 『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると大坂の蔵屋敷は元禄年間(1688~1704)には約100、幕末時点では約125も設けられていたとしています。

 『国史大辞典』では最盛期の大坂蔵屋敷の総数を500~600と『大坂商業習慣禄』の記述を引いていますが、これは諸藩以外のものを加えた数値であると予想しています。諸藩の大坂蔵屋敷についてもう少し詳しい数値を示すと、延宝年間(1673~81)で80、天保年間(1830~44)で124としています(諸説あり)。

 大坂・堂島の米市場では「米切手」と呼ばれるいわば証券として扱ったことにより、世界初の先物取引市場と評価されることがあります。

蔵屋敷の運営システム

 次に、蔵屋敷がどのように運営されていたのかその構成員と職掌を参照しながらみてみましょう。

 蔵屋敷の責任者は「蔵役人」と呼ばれ、藩主あるいは領主から派遣された人材です。藩でいえば武士がこの役を担い、その下に「名代(みょうだい)」「蔵元(くらもと)」「掛屋(かけや)」「用聞(ようきき)」「用達(ようたし)」などが置かれました。

 名代は蔵屋敷の名義人、蔵元は販売担当者、掛屋は経理部門担当者、用聞と用達は特定の職務を持たない出入りの町人などをそれぞれ指していました。名代以下は「立入人」と呼ばれ、主に有力商人がこれらの職を担いました。

 蔵屋敷で取り扱った産品のほとんどが米であったことは先に述べた通りですが、大坂にもたらされる年間400万俵もの米のうち、蔵米は実に300万俵以上を占めたともいわれます。

 販売方法は入札方式であり、米にも品質等級が設けられていました。落札した業者は、代金と引き換えに証券である米切手を受け取るという仕組みでした。

 この米切手は江戸中期以降、現物米の引き換えに1年~1年半もの長期の猶予期間が設けられ、しかも売買や譲渡も許可されていました。しかし一方では、大名の中には先物取引の特性を利用して空の米切手を発行する者もあり、不良債権として市場を荒らす一因になったことが指摘されています。

蔵屋敷の歴史的意義

 年貢米を現金化するための機関として設けられた蔵屋敷でしたが、徐々に各藩の特産品が加えられるようになり、これらは藩の借財の担保としての色合いが濃厚になっていきます。

 大名といえど財政は慢性的な赤字体質である場合が多く、富裕な商人からの借金が常態化していました。大名を相手にした金融業、いわゆる「大名貸し」のことですが、蔵屋敷の構成員に町人を起用しているのは富商とのパイプを求めた結果ともいわれています。

 大坂などの大都市が蔵屋敷の設置地として選ばれたのも、水運など物流の便はもとよりそうした諸大名の懐具合が影響していたといいます。しかし結果として、これらの蔵屋敷は全国への流通を促進し、経済振興に寄与する役割を担ったことも忘れてはなりません。

 幕末の開国後、諸外国への特産品販売で資金獲得を企図した諸藩は、開港地に近い蔵屋敷を活用して商会所を設けるなど、やがて国際貿易の窓口ともなっていきます。

おわりに

 「蔵屋敷」という言葉はよく目にするものの、そのシステムはあまり知られていないのではないでしょうか。年貢米を入札制で売買して換金するという仕組みは、世界初ともいわれる先物取引を生み出しました。

 経済や金融といった現代にも通じるテーマが、蔵屋敷という存在には込められているかのようですね。


【主な参考文献】
  • 『国史大辞典』(ジャパンナレッジ版) 吉川弘文館
  • 『世界大百科事典』(ジャパンナレッジ版) 平凡社
  • 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(ジャパンナレッジ版) 小学館

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  この記事を書いた人
帯刀コロク さん
古代史・戦国史・幕末史を得意とし、武道・武術の経験から刀剣解説や幕末の剣術についての考察記事を中心に執筆。 全国の史跡を訪ねることも多いため、歴史を題材にした旅行記事も書く。 「帯刀古禄」名義で歴史小説、「三條すずしろ」名義でWEB小説をそれぞれ執筆。 活動記録や記事を公開した「すずしろブログ」を ...

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