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人には言えない!戦国武将の性欲事情 〜合戦編〜

  • 2025/12/04
 人間の三大欲求と言われる食欲、睡眠欲、そして性欲。生きている以上、これらの欲からは逃れられません。今も昔も、平時も有事も、ところ構わずこれらの欲求に追われてきました。

 戦国時代の武将たちは、戦場においてどのような性欲処理を行っていたのでしょうか。今回は戦国武将の性欲事情を紹介してまいります。

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出陣前は禁欲すべし!

 いざ合戦と相成り、出陣を控えた武将たち。彼らは出陣の三日前から禁欲したと言います。性欲を処理するのではなく、我慢しなければなりませんでした。このしきたりは不文律だったようですが、その理由はいくつか考えられています。

一、神仏に対する精進潔斎。
一、体力の消耗を防ぐ。
一、心身を高ぶらせる。

 精進潔斎(しょうじんけっさい)とは、心身を清めるためにケガレを祓い、神仏の加護を願う儀式です。ここ一番で運をつかめるよう、武将たちはこうした縁起担ぎを重んじました。

 そして体力の消耗を抑えたり、心身を高ぶらせてムラムラを戦場で暴発させる狙いについては、言うまでもありませんね。

 これらの他にも精進潔斎の意味で、食事は魚などなまぐさ物(肉、酒など)を避けたり、女性との接触を避けたりしました。

女性との接触がダメなら……

 かくして禁欲に努めた武将たちですが、実は例外もあったようです。やっぱり我慢できない人もいたんでしょうね。女性との接触がダメならば、男性同士で接触すればいいではありませんか。

 えっ?、そういうモノなのか?相手が誰であれ、それこそ独りであっても、性欲を抑えなくては精進潔斎にならないのでは? と思ってしまいますが……。

 ともあれ、戦国武将の中には、身辺に小姓(こしょう)をはべらせる者が少なからずいました。

 具体的なことは割愛しますが、男性ならば生殖目的ではないため、獣的な欲望とは無縁です。また、男性ならば女性より体力に優れることが多いため、いざ襲われても、身を張って守ってくれるでしょう。

 こうしたニーズがあるため、戦国武将の間では男性同士の恋愛が盛んに営まれたのでした。

戦場をうろつく怪しい女たち

 いざ出陣!

 しっかり禁欲して心身ともに猛り狂った武将は、戦場に長期滞在することも少なくありません。そんな武将たちを相手に一儲けしようと、戦場まで出張してくる女性たちがいました。彼女たちは御陣女郎(ごじんじょろう)、または比丘尼女郎(びくにじょろう)と呼ばれ、もちろん夜の相手を勤めたのです。

 比丘尼とは出家した女性を指し、単に戦陣を出入りする(出家していない)御陣女郎と分けて呼ばれることがありました。煩悩を断ち切るために出家したはずの比丘尼が、煩悩の代表みたいな行為に励むとは……。この様子は南蛮の宣教師たちも大層驚いたといいます。

 彼女たちは性行為のほか、飯炊きや雑用、また討ち取った敵(首級)の死化粧などを担当することもありました。戦場ではただ敵と殺し合うだけでなく、生活もしなければならなかったため、彼女たちの存在は何かと重宝したようです。

女郎買いの注意点とは

 しかし、戦場における女性との接触には、注意すべき点も少なくありません。

 例えば……。

一、屋外、特に井戸や厠の近くで性行為をしてはならない。
一、親しくなったと思っても、重要事項を打ち明けてはならない。

 前者は衛生面や安全面の問題、また思わぬトラブル(嫉妬による仲間割れなど)が懸念されたからでしょう。後者は彼女たちの中にスパイ(いわゆるくノ一)が紛れ込んでいないとも限らないからです。むしろ敵方に雇われた女性たちが送り込まれ、積極的にハニートラップを仕掛けました。

 例えば甲斐国(山梨県)の武田信玄などは「歩き巫女」と呼ばれる女性たちを活用し、諸国の情報を探らせたと言います。

 現代でも、妙に積極的な女性が現れたら、鼻の下をのばす前に注意した方がいいでしょうね。

鼻の下をのばす男のイラスト
鼻の下をのばす男のイラスト

重宝された?勝絵とは

 一口に戦国武将(武士)と言っても、その経済状況は人それぞれ。中には女郎買いなどする余裕がない者も多かったはず。そんな時に役立つのは、現代と同じ。そう、おわかりでしょう?

 彼らは勝絵(かちえ)と呼ばれた春画(性風俗を描いた絵画)を携帯し、寂しさを紛らわせていたと言います。もちろん堂々と携帯するのは恥ずかしいため、具足櫃や鎧の隙間など、様々に工夫を凝らして隠し持ちました。

 しかし出陣が長期に及んだ場合、飽きてしまうこともあったでしょう。そんな時は新たに調達したり仲間と交換したり……何だか男子校の成人向け雑誌みたいですね。

甲兵衛「ほほぅ……そなた、かような女子(おなご)が好みなのか?(ニヤニヤ)」

乙右衛門「そなたこそ、なかなか際どい趣味をしておるではないか……」

 などといった会話が、陣中のそこかしこで繰り広げられていたのかも知れませんね。

お気に入りの妻妾を同伴する例も

 言うまでもなく、戦場は危険なので女性を同伴することははばかられました。まして妻妾や娘など大切な女性なら尚更ですが、中にはお気に入りの妻妾を同伴する事例もあったようです。

 例えば豊臣秀吉は小田原征伐や朝鮮出兵に際して前線基地まで妻妾を同伴していました。自身の強大な勢力によって、彼女たちの安全を確保できる自信があったのでしょうね。

 また、老いても勢力盛んであった徳川家康も、しばしば戦場に妻妾を同伴しています。秀吉との直接対決である小牧・長久手の戦い(1584)では、側室の阿茶局(おちゃのつぼね)を、また朝鮮出兵では側室の於牟須(おむす)を同伴しました。

 この時、彼女たちはそれぞれに身篭っていたそうです。現代の感覚からすれば、母子の健康を顧みない暴挙と言うよりありませんが、家康はよほど彼女たちを気に入っていたのでしょう。

 悲しいことに、この無理が祟って、彼女たちはどちらも流産してしまいます。彼女たちの悲しみに胸が痛むと同時に、家康の無配慮に遺憾の意を禁じえませんね。

終わりに

 今回は戦国武将たちが、戦場でどのように性欲を処理していたかを紹介してきました。上から下まで、また敵も味方も色んな意味で必死だったことでしょう。

 これからも戦国時代の興味深いトピックを紹介して参りますので、どうかご期待ください!


【参考文献】

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  この記事を書いた人
鎌倉の最果てに棲む、歴史好きのフリーライター。時代の片隅に息づく人々の営みに強く興味があります。 得意ジャンル:日本史・不動産・民俗学・自動車など。 執筆依頼はお気軽にどうぞ!

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