土方歳三が救った少年隊士は市村鉄之助の他に実はもう1人いた? 消し去られた少年の事情とは

五稜郭タワー(北海道函館市)にある、土方歳三のブロンズ像
五稜郭タワー(北海道函館市)にある、土方歳三のブロンズ像
 明治2年(1869)春。新選組副長の土方歳三は、新政府軍との戦に明け暮れていた。

 いずれは負けるという覚悟を持っていた土方は、彼と共に箱館(現・函館市)へ付いてきていた市村鉄之助という少年隊士を脱走させている。しかし最近になり、鉄之助と共に箱館を脱走していた少年隊士がいたことがわかった。渡辺市造という人物である。

 今回は、市村鉄之助と、もう一人の少年隊士・渡辺市造について、また彼らと土方との関係などについて紹介したい。

土方が箱館脱走を命じた少年隊士は2人だった!?

 明治新政府軍による箱館総攻撃を前に、土方歳三は小姓として彼に随従していた市村鉄之助を呼び出す。これまでの戦況を伝えるために鉄之助を多摩にある土方の実家へ行かせるためである。…と言うのは口実で、まだ若い市村の命を助けることが土方の目的であった。

──
市村:「いやです!私は最後まで副長と共に戦いたい!」

 少年の懇願を土方は、鬼の副長の表情でつっぱねた。

土方:「新選組副長土方の名が聞けねぇなら、この場でお前を斬る」

 しぶしぶ承知した鉄之助は、密かに箱館を去った…。
──

というのが、ドラマや映画、小説でもおなじみの別れのシーンである。

 ところが、この場にいた、もしくは別の場で土方が箱館脱走を命じた少年隊士がいた、ということが分かったのは、つい最近のことだ。

 それは、土方歳三資料館の館長であり、土方歳三の兄の子孫でもある土方愛氏が、偶然もう1人の脱走少年隊士の子孫という方にお会いになり、詳しく調べられたことでわかった。

もう1人の少年隊士・渡辺市造

 渡辺市造は慶応3年(1967)6月以降に入隊し、両長召抱抱人となっている。つまりは局長の近藤勇や、副長の土方歳三の世話係・小姓であった。誕生年は定かではないが、小姓とされたということから、まだ15~16歳だったと考えられる。

 新選組の記録には、慶応3年12月に隊の許可を得て離隊したとあるものと、土方に随従していたとされているものがあったそうだ。

 市造は土方と同じ多摩出身(三鷹あたりと思われる)である。土方は、土地勘のない鉄之助を1人で脱走させるより、多摩周辺の地理に詳しい市造と一緒の方がより安全だと考えたのかもしれない。

 しかし市造は鉄之助と共に日野の佐藤彦五郎宅(土方歳三の義兄)へ行ったという記録はない。佐藤家へたどり着いたのは鉄之助だけであった。

 密かに箱館を脱走した市造と鉄之助は、共に多摩へたどり着いていたとみられる。多摩には市造の実家もあったのだが、市造はそこに姿を見せることはなかった。

新政府軍に憎まれていた新選組

 ここからは当時の状況から推察するしかないのだが、おそらく市造は、自分の家族に迷惑をかけたくなかったのだろう。

 新選組は、多くの討幕派浪士を斬ってきた、またこのころは坂本龍馬暗殺も新選組の仕業とみられていた。つまり新選組隊士は、新政府軍にとっては憎んでも憎みきれない仇だったのだ。

 新選組に関わっていたことが発覚すればどんな目にあわされるかわからない。そのため、土方家や佐藤家では近藤や土方からの書類の多くが処分されている。

 市造は、たとえ短期間だったとはいえ、新選組隊士だった自分が家に戻れば、家族が殺されるかもしれないと思ったのではないだろうか。そこで佐藤家へ行く直前に鉄之助と別れた。鉄之助も市造の思いを知って、佐藤家にも市造の存在を明かさなかったと考えられる。

 市造は鉄之助と別れた後、川越を目指した。なぜ川越だったのかはわからない。川越に何かしらの伝手があったのかもしれない。

 市造の子孫の方の話によれば、市造は川越で父・七左衛門の一字を取って「渡辺七造」と名乗っていたらしい。そしてある女性と結婚し、子を3人授かったが、子には妻の名字を名乗らせた。新選組に関わる一切から家族を守りたかったのだろう。

 市造は新選組では小姓であったが、それでも何度か修羅場に遭遇したようで、寝ているときに時々「なに!」「斬られる!」などと、大きな寝言を叫んだこともあるそうだ。

 明治41年(1908)4月8日。

 渡辺市造改め七造は、家族に看取られて穏やかに逝ったのだろうか・・・。もう新選組隊士であることを隠す必要のない時代になっていた。

土方の思いを背負った市村鉄之助

 鉄之助が命がけで佐藤家に土方の遺品を届けたおかげで、今の私たちは土方の姿を見ることができている。

 幕末屈指のイケメンと言われる土方だが、もしあの写真が無ければ、ここまでの人気を博すことはなかったかもしれない。これほどの人気ぶり、おそらく土方自身は苦笑いこそすれ、うれしくもないだろうが、少なくとも私は、鉄之助に感謝したい!

 さて、その鉄之助だが、出身は大垣藩(現・岐阜県大垣市)である。安政元年(1854)に、大垣藩藩士・市村半右衛門の三男として生まれた。代々大垣藩藩士であった市村家であったが、何らかの理由で安政5年(1859)に藩を追放されてしまう。

 鉄之助たち家族は、近江国国友村(現・滋賀県長浜市)にいた親類を頼る。ところがその3年後には父が亡くなり、家族はますます窮乏した。

新選組入隊

 鉄之助が兄の辰之助と共に新選組に入隊したのは、慶応3年(1867)秋のことである。家族の窮乏を助けるための入隊なのか、侍にあこがれてのことかはわからないが、鉄之助はまだ13歳だった。あまりの幼さに、実戦的な役割ではない両長召抱抱人として入隊を許された。渡辺市造と同じである。

 辰之助は近藤の、鉄之助は土方付の見習い隊士となった。やがて新選組隊士全員が幕臣となる。父が大垣藩を追われて10年足らずで幕臣となった市村兄弟はどのような思いだったのだろうか。

 だが、幕臣という身分にいられたのは、わずかの間である。同年10月に大政奉還、12月には王政復古の大号令が出され、徳川幕府が終焉を迎えてしまった。

兄との離別

 翌慶応4年(1868)1月の鳥羽伏見の戦い、そして江戸敗走。甲陽鎮部隊と改名して臨んだ甲州勝沼の戦い。続く負け戦に、兄の辰之助は鉄之助に「新選組を脱走しよう」と持ち掛ける。しかし鉄之助はそれを拒んだ。鉄之助が新選組に残ろうとしたのはなぜか。入隊してたった半年の間に彼の中にはどんな思いが膨らんでいったのかを想像してみた。

 土方の小姓として、彼の側にいた鉄之助。鬼の副長としての顔と普段の土方。その両方を見ていたであろう鉄之助は、土方の生きざまに魅了されたのかもしれない。

「最期まで土方副長と共に。」

 または少年らしい正義感で、我先に泥舟から逃れようとする兄の行動が許せなかったのかもしれない。とにかく鉄之助は、土方に従って戦い続けることを選択した。そして箱館へ。

土方との別れ

 土方が鉄之助と市造に脱走を命じたのは、明治2年(1869)4月13日から29日の二股口での戦い前か、5月11日の箱館総攻撃の前だと考えられる。

 土方は自分が写った写真と佐藤家への書簡などを彼らに託した。

 鉄之助と市造が土方の戦死の報を聞いたのは、江戸へ向かう途中だったろう。彼らは副長土方歳三の最期の命令を命がけでやり遂げた。

その後の鉄之助

 佐藤家にたどり着いた鉄之助は、2年ほど滞在したのちに実家に戻り、兄と再会している。その後の鉄之助については、2通りの話が伝わっている。

 ひとつは、明治6年(1873)に実家のある大垣で病死したという説。もう一つは、明治10年(1877)に起きた西南戦争に参加し、田原坂で戦死したという説である。

 大垣には、鉄之助の墓があるので、病死したというのが真実のようだが、新選組生き残りの島田魁は西南戦争で戦死したという話を残している。それも西郷隆盛側として参戦したという。旧幕府軍の生き残りの多くは西南戦争に参加しているが、ほとんどが明治政府側につき、薩摩を倒そうとしたらしいが、鉄之助はなぜ薩側についたというのか。

 もしもこの説が真実なら、鉄之助の心のうちにはどのような思いがあったのだろう。西郷隆盛の生きざまに土方歳三を見たのか、それともただ単に死に急いだのか。今となってはわかるはずもない。

 しかし、もし鉄之助が西南戦争で戦死したのなら、あの世で土方に怒鳴られているだろうな。

「俺が望んでいたのは、お前が生き続けることだ!なぜこんな早くこっちに来たんだ!士道不覚悟!」

なんて。

まとめ

 土方歳三が箱館から脱走させた隊士は、今回紹介した市村鉄之助・渡辺市造以外にも数十人はいたと言われている。若い命を惜しんで逃がしていた土方。多くの隊士を処断し、多くの攘夷志士を斬ってきた土方は、その生き方を恥じてはいなかった。

 しかし、新しい世の中を生きていくであろう若い彼らを一人でも多く救いたかった。古い時代を生きた自分たちに従う必要はない…。

 土方のそんな思いを受けたどれだけの元新選組隊士が明治を生き抜いたのだろうか。

【参考】
@新選組全隊士徹底ガイド  前田政記  2016年
@新選組全史 戊辰・箱館編  中村彰彦  2003年
@土方歳三 丸ごとガイド  藤堂利寿  2004年 ほか

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  この記事を書いた人
fujihana38 さん
日本史全般に興味がありますが、40数年前に新選組を知ってからは、特に幕末好きです。毎年の大河ドラマを楽しみに、さまざまな本を読みつつ、日本史の知識をアップデートしています。

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