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玄倉川水難事故 正常性バイアス──危険を察することの難しさ
- 2024/02/13
この事故は、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川にキャンプにきていた18人が熱帯低気圧の大雨による増水で流され、そのうち13人が亡くなりました。その当時の様子はテレビで実況中継され、被害者の男性が救助隊に言った「早く助けろ!」「お前らの仕事だろ!」という暴言とも取れる物言いが放送されるなど、世に大きな衝撃を与えました。
事故が起こる前夜(8月13日)からの、消防隊や警察の再三にわたる警告を無視していた、という経緯もあったことから、ネット上では「DQNの川流れ」とまで揶揄されています。つまり「悪いのは被害者自身であるから同情に値しない」という訳です。
この事故を取り上げた当時のワイドショーでも「自己責任で起きた事故」という論調で語られることがほとんどであり、視聴者からは「死者が出ている事故に対して不謹慎ではないか!」という苦情も寄せられ、放送を自粛するということもありました。ただ、大多数の人達は「警告を無視したお前が悪い。そのために13人もの人が死んだのだぞ」と考えている訳です。
しかし何故、再三にわたる警告を無視したのでしょうか? 多くの人は「そんなの、そいつが馬鹿だっただけさ」と考えるでしょう。そうかもしれませんが、一方でそうではないかもしれないのです。人間には「認知バイアス」と呼ばれる心理傾向があり、その中でも特に厄介なのが ”正常性バイアス” と呼ばれる心理傾向です。
実は被害にあった人々は前の年にも玄倉川の同じ場所でキャンプをしていました。もしかすると、それが根本原因だったのかも知れないのです。
東日本大震災をビッグデータで解析した結果、分かった事実
東日本大震災が発生した時の被災地の人々の行動をビッグデータで解析した結果、意外な事実が分かりました。大津波警報が出ているのに「全く避難行動をしなかった」人達が相当数いたことが分かったのです。一体、何故でしょうか? この結果を分析した心理学者は「正常性バイアスが働いたためではないか」と結論づけています。
正常性バイアスというのは「自分に都合の悪い現実を受け入れない心理」と解説されることが多いのですが、私はあえて、「これまで大丈夫だったんだから、きっと今度も大丈夫だろう、と考える傾向」という言い方をした方が現実に即しているように思えます。
例えば台風が近づいてきた、というニュースが流れても「これまで台風の被害を受けたことはない。だから今度も大丈夫だろう」と思ってしまうような心理傾向です。
現在の日本は治安が良く平和ですので、普通の暮らしをしている人が日常で身の危険を感じることは、ほとんどありません。そして、それが当たり前になっているのです。つまり「正常性バイアス」というのは危険が迫っていても「今日も昨日と同じさ。だから大丈夫」と根拠なく思い込んでしまう心理なのです。
実は現在の日本で「自分の身に危険が迫っている」と感じるのは、案外に難しいことなのではないでしょうか?日常的に身の危険を感じる戦争地域であれば空襲警報には敏感に反応するでしょう。しかし、仮に現在の日本の東京で空襲警報が鳴っても反応する人の方が少ないと思います。仮に実際にレーダーに向かってくる無数のミサイルが写っていたとしても、その映像を見ない限り、つまりは「証拠がない限り」現在の日本では空襲警報はあまり効果がないでしょう。
時折、地震が発生し、NHKで緊急速報が流され、「命を守る行動をして下さい!」と呼びかけますが、実際に、その呼びかけに応じて「命を守る行動」をする人は、実際に「身の危険を感じている状況」にある人だけで、身の危険を感じていない人は多分、何もしないでしょう。私だってそうです。そしてこれも「正常性バイアス」という心理傾向が働き、「俺のところは大丈夫さ」と根拠なく思い込んでしまっている結果かもしれないのです。
玄倉川水難事故の経過について
まずは玄倉川水難事故の経過・概要を知っておいていただきたいので、当時の新聞などを元にして書かれたwikipediaの以下内容(簡略化して引用)をご覧ください。1999年8月13日(事故前日)
- 15時頃:降水が始まる。玄倉川ではこの日、キャンプ指定地外の6か所に50張ほどのテントが張られていた
15時20分頃:ダム管理職員による1回目の巡視。ハンドマイクで行楽客に増水と水位上昇の危険性を警告、退避を促し、大部分の行楽客が水際から退避- 16時50分:神奈川県に大雨洪水注意報が発表される
- 19時頃:一行25人のうち、4人は日帰り参加のため、幕営地を離れて帰宅
- 19時35分頃:雨足が激しくなり、事故現場の5キロ上流の玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らす
- 19時50分頃:ダム管理職員による2回目の巡視。一行に直接、中州から退避するよう勧告するが、拒否される
- 20時6分:”これ以上は危険” と判断したダム管理事務所が、神奈川県松田警察署に通報
- 20時20分:玄倉ダムが放流を開始
- 21時10分:ダム管理職員と警察官が退避勧告。中洲と岸辺の間の水流が勢いを増し、直接勧告することは不可能に。一行のうち、比較的年齢の高い社員とその妻ら3名が指示に応じて中洲を離れ、自動車に退避。 拡声器を用いて安否と人数を確認すると「大丈夫」という反応だった。 警察官は、万一の場合は後方の山に避難するよう告げた
1999年8月14日(事故当日)
- 5時35分:降雨は激しさを増し、気象庁が神奈川県に大雨洪水警報を発表
- 6時頃:前夜に撤収したメンバーが、中洲から避難するよう仲間に呼びかけるが、反応無し。まだ水流は膝下ぐらいの深さで、辛うじて渡渉可能だった
- 6時35分:豪雨による増水に伴い、貯水機能のない玄倉ダムは本格的に放流開始
- 7時30分頃:警察官が巡回、テントまで2メートル付近まで近づく。幕営地点からの退避を呼びかけるも反応無し、警察官は現場から離れる
- 8時4分:熱帯低気圧の接近で本格的な暴風雨となり、前夜に岸に避難した社員から消防に119番通報で救助要請が入る
- 8時30分頃:すぐ下流の立間堰堤の水深が普段より85センチ高い1メートル程度となり、中州も水没。膝越し以上の水位の渡渉は、通常の流れであってもザイルがないと大人でも危険であり、増水して急流となった現場は、自力での退避が不可能に。既にテントは流され、岸からの距離は80メートル程になっており、中洲で野営した横浜市内の一行はパニック状態に
- 9時7分:当直体制にあった足柄上消防組合の本部から救助隊5人が現場に到着。渡渉での救助を試みるも激しい水流で断念。一方、松田警察署も当直体制にあり、まず6人を送り、徐々に増員することになった
- 10時ごろ:レスキュー隊員11名のうち、2名が断崖伝いに対岸に到着。放送局のテレビカメラも現地に到着し、取材開始
- 10時10分:救助ヘリコプターの出動が要請されるが、熱帯低気圧による強風と、複雑な谷合いに低く垂れた濃雲のため、却下された。報道用ヘリコプターも現場に近づけず、上空からの映像は無かった。はしご車による救出も路肩が弱く、安定が維持できないため不可能であり、ロープによる救出以外に方法はなかった
- 10時30分頃:レスキュー隊が対岸に救命索発射銃で救助用リードロープの発射を試みるが、対岸の樹木に引っ掛かった。15分後に再びロープが発射されるが、一射目のロープが絡まり、水圧と流木に妨げられてメインロープが遭難者に届かなかった。既にテントは流され、3本のビーチパラソルの支柱を中心に、男性たちが上流側で踏ん張って水流を和らげようとし、中央部に女性や子どもが寄り添って雨風を避け、下流側で乳幼児を抱いた男性が佇んでいる様子の映像がテレビで速報される
- 11時頃:玄倉ダムが警察からの要請を受け、放流中止。しかし玄倉ダムは発電用ダムで貯水能力に乏しいため、すぐに満水となりダム崩壊の危機に直面した。やむなく崩壊防止のため5分で放流を再開
- 11時38分:水深が2メートル近くに。水位は胸にまでも達し、救援隊や報道関係者の見守る前で18人全員がまとめて濁流に流された。甥である1歳男児を抱いていた伯父が、咄嗟に子どもを岸に向かって放り投げ、別グループのキャンプ客(東京都鳶職の男性)が危険を顧みず救い上げる。この子どもの父親と姉を含む大人3名、子供1名も対岸に流れ着くが、残り13名はすぐ下流の立間堰堤から流れ落ち、以後は姿が確認できなくなる
- 12時14分:事故現場に現地本部が設置。数名が泳いでいるとの誤情報に応じ、下流の丹沢湖では大雨のもとでボートによる捜索が開始された
- 17時:神奈川県の岡崎洋知事が陸上自衛隊に災害派遣を要請
- 19時ごろ:丹沢湖で女性2名の遺体を回収
1999年8月15日
- 7時ごろ:警察、消防、自衛隊の救助チームが対岸に流れ着いて夜を過ごした4名の救助を開始
- 8時30分ごろ:救助チームが4名を救助
- 午後:丹沢湖で2遺体発見。翌日より警察、消防、自衛隊は340人体制で捜索開始。捜索は困難を極めた。藤沢市消防局や横浜市消防局、小田原市消防本部、川崎市消防局等の水難救助隊や地元自治体も捜索活動に参加した他、近隣住民も活動支援し、飲料水需要の確保を目的に建設された三保ダムでは捜索協力のため、丹沢湖貯水の大量放水を実施。その後の天候次第では、小田原市などへの水道水供給に大きく影響した可能性があった
玄倉川の事故検証1 玄倉川の特徴
ここからは事故検証をしていきたいと思います。まず玄倉川の事故があった現場の「通常時」の写真を見て下さい。下記がそうです。 現場は一面の砂場であり、玄倉川は川と言っても、ほんの小さな流れにしか見えません。砂場で更地になっているためか、ここはキャンプをするには都合の良い場所なのです。
キャンプで寝袋で寝る場合でも下が砂地だと背中に固い物があたることがなく快適ですし、雨が降っても砂が雨水を吸い込んでくれるので水たまりが出来ることもないので好都合です。実際、ここはキャンプ地として人気が高かった場所だそうで、事故当日も沢山の人達がテントを張っていたそうです。そして事故にあった人々は前年もここでキャンプをしていたそうです。
避難した人達の中にも、ここでのキャンプ経験がある人はいたと思いますが、正常性バイアスの働き具合には個人差がある、という点がミソです。つまり、消防や警察の人達が言うのだから実際に危ないのかも知れない、と思った人は「正常性バイアスが普通の人」であり、それが「普通」なのです。
しかし頑固な人、意固地な性格の人ほど正常性バイアスは強く働く傾向にあるようで、「去年も大丈夫だったんだから今年も大丈夫だ」と強く思い込んでしまった可能性があるのです。ですので、もし前の年に、ここでキャンプをしていなければ、あの水難事故は起こらなかったかもしれないのです。
ちなみに渓流釣りが趣味で渓谷を見慣れた方には、この現場の風景は「ちょっとおかしい」と感じるでしょう。通常、渓谷というのは森林に囲まれた谷にあり、周辺は草むらに覆われ、川底は砂利や岩で覆われているのが普通だからです。
実は大正時代に起こった関東大震災の際、大規模な土石流が発生したことが原因で、河原が非常に広くなっているのです。玄倉川が通常の渓谷とは違う様相をしているのはこのためです。それが逆に「キャンプにちょうど良い場所」となってしまったと思われるのです。丹沢山を水源とする二級河川で川幅は狭く、上記写真の状態が「いつもの状態」なのです。
玄倉川の事故検証2 上流のダム
事故が起きたのは上流にあるダムが放水を行なったのも一因です。となると単純に考えると「何故、放水したのか?」が問題になるところですが、玄倉川事故の上流にあるダムは、貯水機能が極端に低いダムだったのです。下記の写真を見れば分かりますが、このダムは非常に小規模なもので、いわゆる「洪水調節をするダム」ではなく、下流にある小規模発電所のための水量を調節するためのダムでした。
このダムは単純に渓谷をせき止めて作られたものであり、貯水池も小規模な物しかありませんでした。貯水量の限界が極端に低く、貯水池への流入量が毎秒50立方メートルを超えると、ダム自体が崩壊する可能性があるため、放水を行うという規定が設けられていたのです。
もしこのダムが崩壊すると、玄倉川の下流にある三保ダムにも大きな影響を与えてしまい、広範囲な洪水が起こる危険があったのです。三保ダムは土砂、粘土、岩石で河川を堰き止めるロックフィルダムというダムで想定を超える水量が流れ込んでくると破壊が起きてしまう可能性が十分にあるダムでした。そして、もし三保ダムが決壊したら下流の小田原市に甚大な被害が出るのを覚悟せねばならないのです。
事故直前の11時ごろに警察からの要請を受けて放流を中止しましたが、すぐに満水となってしまい、ダムが崩壊寸前の状態となりました。やむなく5分後に放流を再開したのには、そういった事情があったのです。当日に豪雨を降らせた熱帯低気圧は事故前日13日の20時ごろから1時間に10ミリを超える大雨が降らせ、8時までの総雨量は114ミリとなっていました。事故が起きてからさらに雨足は強くなり、1時間に38ミリという記録が残っています。
この雨量は、とてもキャンプ上流にあるダムに耐えられるものではありません。この小さなダムは大雨が降るたびに放水をせざるを得ないダムだったのです。事実、放水を行ったのは事故当日だけでなく、規定水量を超えると、いつも放水をしていたようです。そして普段は2~3mしかない川幅が放水が行われると一気に80mにまで広がってしまうのです。
これは河原が広いことが原因で、先の事故現場写真で砂場の部分にほとんど草が生えていないことにお気づきでしょうか? この砂地部分は放水が行われると水没してしまうため、雑草が生えても流されてしまうのです。こういった状況を考えると、玄倉川の事故現場は本来は「キャンプ禁止」とすべき場所とも言えそうです。
玄倉川の事故検証3 不運
事故当日の9時7分、足柄上消防組合の本部から救助隊5人が通報を受けて現場に到着しました。すぐにヘリコプターの出動を要請しましたが、熱帯低気圧による強風のためにヘリコプターは現場に行くことが出来ず、却下されました。10時には報道カメラマンも現地に到着しますが上空からの映像はありません。これも強風のためにヘリコプターが近づけなかったからなのです。川の流れは強く、とても渡渉は不可能。こうなると、なんとかロープを使って救出するしかありません。そこで救命索発射銃で対岸にロープのリード線を打ち込みますが、一発目は木にからまって失敗。二発目は対岸に届きましたが、失敗した一発目のリード線が二発目のリード線にからまってしまい、ロープを渡すことが出来なくなってしまったのです。集まった警察、消防団の人達が力任せに外そうとしましたが、うまくいきませんでした。そしてさらに強くなった雨足で増水、流れも強くなり、ついに18名は押し流されてしまったのです。
もし一発目のリード線がうまく対岸に届いていればロープを使って脱出できたでしょう。この一発目の失敗は大きな不運でした。しかし、それに加えて不運なのは、現場に報道カメラマンが到着し、一部始終を中継したことだったかもしれません。この中継で被害者のリーダーが救助隊に向かって「早く助けろ!」「お前らの仕事だろ!」と怒鳴る場面も中継されてしまったのです。
この言動は視聴者から大きなヒンシュクを買いました。そしてさらに「前夜に何度も避難勧告がなされていたのに拒否した」という報道もされ、「これは自己責任だろう、偶然の事故じゃなく馬鹿者の無思慮の結果だ」という捉えられかたをされてしまったのです。
確かに危険な状況にある人の発言としては「暴言」と取られても仕方のない言い方です。単純に「何とかしてくれ!」という言い方だったら、随分と印象は変わったのではないでしょうか?
一行のうち、救助されて助かった方の中に、この暴言とも取れる言葉を言った人物もいたのです。これが原因でこの事故は、今現在でも忘れられることなく、「川流れのDQN」などと言われ、家族までいわれのない中傷を受ける羽目になってしまっているのです。
というのも、一部では「助かった後に出されたおにぎりを、”まずい!” と言って地面に投げ捨てた」とか「家族を捜索中に ”テントが見つかったら返してくれ” と言った」とか、事実確認が全くできない尾ひれが付けられてしまっています。しかも本人はそれを嘘だと言うことすら出来ません。また、当時は子供で運よく助かった娘さんがブログに当時の悲しみを書いたところ、「救助隊に対する感謝の言葉がない」と中傷され、そのブログは炎上し閉鎖しています。
娘さんを助けたのが救助隊の人であったのかどうか、現在では確認できませんが、もしそうでないなら「救助隊に対する感謝の言葉」は書かれないのが当然です。しかし批判する方達は、どんな内容であっても「なんらかの揚げ足取り」をするでしょう。事実はもはや意味をなさないと言っても良く、完全に決めつけられてしまっているのです。そして、それはまだまだ続くのです。
世の中には弱い物イジメがしたくてしょうがない人がたくさんおり、その餌食にされてしまったという点で、このことも「不運」と言えるのではないでしょうか。考えてもみて下さい。事故当時はまだ5歳だった娘さん自身に一体なんの否があると言うのでしょうか?
おわりに
先に東日本大震災で大津波警報が出ているのに、全く避難行動を取らなかった人が大勢いた、と記しましたが、これは本当のことです。そしてそれは多分「正常化バイアス」という心理傾向がもたらしたものです。同じ考え方をこの事故に当てはめて考えてみれば、避難行動を取らなった理由は明白と言えるように思います。そしてその心理傾向は大勢の人に見られたのです。「川流れのDQN」などと言っている人達の大部分も「お仲間である」と言っても良さそうです。
しかし一体何故、こんな心理傾向を大自然は人間に与えたのでしょうか? これについては以下のような考察がなされています。
「仮に人類全員が危機を敏感に感じて取ってしまったら、何らかの危険が差し迫った時に必ずパニックが起きる。きっと買い占めや奪い合い、場合によっては殺し合いが起きるだろう。そして、自然災害というのは結構、頻繁に起きるものである。そのたびにパニックを起こしていたら、それこそ ”人類破滅” かもしれない。つまり危機に対して鈍感なのは種の保存という観点から見ると合理的と言えるのかもしれない」
大自然と言うのは優しいものではなく、むしろ相当に残酷なものらしいのです。
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