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【史跡散策】鎌倉時代に栄華を極めた宗教都市・太山寺へ仏の世界を訪ねる

 太山寺は、兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺院(創建当時は法相宗)。山号は三身山(さんしんざん)で、本尊は薬師如来。奈良時代に藤原鎌足の長男である定恵和尚によって開山されたと伝えられている。

 最寄り駅は神戸市内から西神中央線で北上した「総合運動公園」駅か「学園都市」駅だが2キロほど距離がある。またはその手前の「名谷」駅からバスが出ている。

 車なら神戸淡路鳴門自動車道を進み、布施畑インターで降りて5分だ。入り口には大きな仁王門が建っている。室町時代中期の再建で、国指定重要文化財。入り口の仁王門から先はいくつかの塔頭寺院が並び、いちばん奥にある太山寺への参道が続く。

仁王門
仁王門

 塔頭(たっちゅう)とは僧侶が寺務をしたり生活したり隠居するための建物で、本山などの大寺院によく見られる。

 奈良時代、700年代に創建されたというからおよそ1300年前。平安時代や鎌倉時代には宗教都市を作っていたようだ。塔頭は何十とあったそうだが、現在は5つが残るのみだ。それでも、実際に行ってみるとかつての繁栄が想像できるような広大な境内だ。

 石畳みの道を数百メートル進むと、最後に階段があり、門の先にグリーンの大きな屋根が見えてくる。太山寺の山門だ。そして入って右手にあるのが、江戸時代初期の1688年建立の三重塔である。

太山寺の山門
太山寺の山門
三重塔
三重塔

 各層の装飾もよくできているが、注目は屋根の逓減率(ていげんりつ)だろう。五重塔も同じで、普通は上へ行くほど屋根を小さくしていくのだが、その逓減率が低めで、結果としてすーっと伸びている印象がある。逓減率が高い(下の屋根ほど小さい)と、もっと安定してどっしりした印象になる。

 古い塔ほど逓減率が高く、現存最古の三重塔である奈良の法起寺や鎌倉時代に建てられた奈良・興福寺の三重塔と比べるとよくわかる。

 本堂左手にある阿弥陀堂は三重塔と同じ1688年の再建。内部には鎌倉初期の寄木造りの丈六仏(身長1丈6尺の仏)。1丈6尺はおよそ5メートル近くになるが、これは立った状態での身長のことで、太山寺の阿弥陀さまは坐像で高さ9尺(約270センチ)なので、丈六仏と呼ばれる種類にあたる。

 平安時代の雰囲気を残しており、世界遺産・平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の阿弥陀像に近い雰囲気の優しいふっくらしたお顔だ。

 神戸市で唯一の国宝仏像は小野市の浄土寺の阿弥陀三尊像だが、太山寺には、神戸市内で唯一の国宝建造物である本堂がある。本堂は階段を上って、他よりやや高い位置にあり、そこから三重塔を眺めることができる。

本堂からみた三重塔
本堂からみた三重塔
本堂
本堂

 本堂は、密教本堂式と呼ばれる形態で、入母屋造、銅板葺きの造りになっている。桁行7間、梁間6間の大堂で、技法は和様を主としており、正面はすべて蔀戸を用いるなど、古い手法が守られている。

 蔀戸とは上下2枚に分かれた建具で跳ね上げ式に開き、外光や風雨を遮る目的で使われていたもの。外側に開いて風を取り入れられる窓で、現在でいうとすべり出し窓のようなタイプだ。

 平安以降は後白河・後宇多・崇光(すこう)の3天皇の行幸があったとされ、鎌倉時代には僧兵を擁する大寺院だったという。また安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されている。

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  この記事を書いた人
かのまお さん
小説家&ライター。 神社仏閣やパワースポットが好き。 社寺系のゼネコンに勤務歴あり。 小説家は別名義で活動、芥川賞ノミネート。

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