女房たちのお仕事 ~平安時代の労働

 紫式部や清少納言といった、宮仕えをする平安時代の女房。

 女房たちは、中宮などの高貴な人のそばに仕える華やかな身分というイメージですが、貴族出身の女性もいれば、政権の変動によって家柄が没落した姫君など、さまざまな事情があったようです。

 大河ドラマ「光る君へ」を見ていると、女房は自ら宮中で炊事や洗濯をしているわけではなさそうで、どのような日々を過ごしていたのか、ちょっと気になりますね。

 女房たちは何を思い、何を考え、どんな風に働いていたのでしょう。今回は、平安時代における女房たちのお仕事にスポットを当ててみました。

後宮に仕える女官と女房たち

 平安時代における「女房」とは、「宮中や院の御所などに仕え、一室を与えられていた高位の女官」、もしくは「貴人の家に仕える女性」のことをあらわす言葉でした。

 紫式部たちが女房として仕えた「後宮」は、天皇の后である皇后や中宮が暮らす場所のこと。後宮には以下のような十二の職司があり、「後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)」と呼ばれていました。

後宮十二司

内侍司(ないしのつかさ)

 天皇の秘書役。天皇のそば近くに仕え、天皇への取り次ぎや、後宮の礼式・雑事をつかさどる。

蔵司(くらのつかさ)

 神璽(しんじ/天皇の御印)や供御(くご/天皇の食事)や天皇・皇后の衣服、割り符・珍宝などの出し入れをつかさどる。

書司(ふみのつかさ)

 後宮の書籍や紙・墨・筆などの文具についてのことをつかさどる。

薬司(くすりのつかさ)

 医薬をつかさどり、天皇に薬を供奉する職務。

兵司(つわもののつかさ)

 後宮における兵器の出し入れをつかさどる。

闡司(みかどのつかさ)

 宮閤(きゅうこう/宮中の小門)の鍵の管理や、その出し入れをつかさどる。

殿司(とのもりのつかさ/とのもづかさ)

 輿繖(よさん/天皇や皇后が行幸の際に乗る輿や雨よけ)、灯油や火燭、炭などのことをつかさどる。

掃司(かにもりのつかさ/かもりのつかさ)

 牀席(しょうせき/座る・寝る際の敷物)や灑掃(さいそう/水をかけたり、払ったりして掃除する)、後宮の設営などをつかさどる。

水司(もひとりのつかさ)

 飲料水や粥などを差し上げる業務をつかさどった。「もひ(もい)」は水を盛る器のこと。

膳司(かしわでのつかさ)

 料理全般についての役職で、御膳の毒見やお酒、甘酒、餅やお菓子などについてをつかさどる。

酒司(さけのつかさ)

 造酒司にて、酒の醸造をつかさどる。

縫司(ぬひのつかさ)

 衣服の裁縫、組み紐の作成を担当し、他の女官の出仕や朝廷参上についても管理した。

 上記の役職には専門の女官が配備され、それに加えて「女嬬(にょじゅ/めのわらわ)」と呼ばれる雑事担当の召使いや、天皇の食事などを供奉する職司には「采女(うねめ)」という容姿の美しい者などが仕えていました。

 また、これ以外にも、中宮や女御直属の侍女など、後宮にはさまざまな立場の女性が数多く存在していたのです。

 こうした後宮十二司の制度は、後宮が男性の出入りを抑制していたことから、後宮での実務をおこなう女性の官人を置くために定められていましたが、やがて後宮への立ち入りを許される男性の官職が登場することで、その役目は次第に薄れ、内侍司に統合されていったようです。

女房としての誇り

 女房は出身階級によって「上臈(じょうろう)」「中臈(ちゅうろう)」「下臈(げろう)」と分けられ、身分の高い上臈女房は憧れの存在として見られていました。

 『紫式部日記』や『枕草子』では、宮仕えの女房としての目線から宮中の出来事が綴られており、政治や行事などを記録した貴族の日記とは、また異なる世界が広がっています。

紫式部の女房観

 紫式部は一条天皇の妻である中宮彰子に仕えましたが、彼女の周りには、中級・下級の貴族出身で実務に慣れた女房、高い身分から零落した女房、貴族の妻や娘が才芸を認められて出仕するようになった女房など、さまざまな出自の女房がいたようです。

 『紫式部日記』では、女房の目指すべき姿として、「雰囲気良く、(中略)人当たり穏やかに、少し心構えに余裕を持ち、落ち着いているのを基本としてこそ、教養も風情も魅力となるし、安心して見ていられる」としています。

 ただ紫式部は、すべてにおいて素晴らしい素養を持つのは難しい、とも記しており、女房としての理想と、自身や周囲の人々についても冷静な目で見つめていたのでした。

清少納言の女房観

 一方、清少納言は一条天皇の最初の妻、中宮定子に仕えました。

 清少納言が『枕草子』に記したところによると、「やはりしかるべき身分の人は、宮仕えをさせて、世間のありさまも見せて慣れさせたいものだ」とのことで、女房の仕事は良い経験になると感じていたようです。

 当時、天皇や中宮といった貴人は他人に顔を見られることが何よりも恥であるとされ、主人や客人の相手をするのは周りに侍る女房たちでした。その分、主人を取り巻くプライベートな事情も知るところになってしまいます。

 中には、貴族たちが女房の評判を聞いてわざわざ顔を見に来たり、からかいに和歌を送ってきたりすることもあったと言われています。

 そのため、貴族の中には、「宮中に仕える女房は、人に顔を知られる機会が多いから軽薄だ」と感じる者もいたようでした。

 清少納言はこうした男性を「ひどく憎らしいが、それも道理ではある」と評しつつ、「宮仕えを終えた人を妻にすれば、宮中の儀式などにも知識があり、みっともない真似はしないだろう」としました。

教育係としての女房

 紫式部や清少納言は、後宮十二司に代表されるような実務担当の女房ではなく、中宮の教育係として、知的な面から後宮を盛り上げ、天皇の寵愛を深めるという役割を担っていました。

 中宮彰子の後宮においては、紫式部のあとに出仕し、「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな(百人一首/61番)」で知られる歌人・伊勢大輔(いせのたいふ)や、紫式部から「歌はいとをかしきこと(歌はとても素晴らしいこと)」と評された和泉式部(いずみしきぶ)などが名を連ねています。

 とはいえ、宮仕えを始めた頃の紫式部は、「漢文の素養があることを鼻にかけている」と悪口を言われて憤慨し、しばらくは漢字の「一」の横線すら引かなかった、というエピソードを記しています。

 そんな意地を張っていた紫式部ですが、中宮彰子の希望にこたえて『白氏文集(はくしもんじゅう/白居易)』の中の漢詩をこっそり教えたということも綴られており、紫式部は教育係としての役目もしっかり果たしていたのでした。

 また、紫式部の娘である賢子(けんし/大弐三位)も彰子へ仕えており、のちに賢子は後冷泉天皇の乳母(めのと)になっているため、宮中へ仕える女房は少なからず身内の出世にも影響があったと考えられています。

宮仕えする女房たちの苦労

 前項で少し触れたように、後宮サロンでは、女房たちの確執や軋轢が少なからずあったようです。

 実は紫式部も、かつて宮中でお高くとまっていたらしい「左京の君」が、理髪係という下働きの姿で人にまぎれて宮中へ来ていることを見とがめて、他の女房たちと「今は日陰のあなたを哀れに思っています」という嫌味をこめた贈り物を遣わせています。

 また、紫式部が執筆した『源氏物語』には、帝の寵愛を受けていた桐壺の更衣をねたむ後宮の人々が、送り迎えの女房たちの裾が汚れてしまうほどに通り道を汚すなどといった陰湿ないじめも描かれています。

 一方で清少納言は、仕えていた中宮定子のもとから離れ、実家へ戻っていた時期がしばらくありましたが、この時は、「中宮定子と敵対関係にある左大臣(道長)側と通じている」と女房仲間たちに噂を立てられ、のけ者にされたということで、後宮と距離をとっていたのでした。

 『源氏物語』の方はフィクションではありますが、これに近いことは実際に行われていたようにも思えますし、女房たちの後宮での暮らしが決して楽しいばかりのものではなかったことがうかがえますね。

おわりに

 宮中に仕える女房たちは、正装として「唐衣(からぎぬ)」というジャケットのような服を一番上に羽織り、「裳(も)」という巻きスカートのようなものを後ろに引いています。

 私はこの唐衣と裳を眺めるのが好きで、大河ドラマ「光る君へ」でも、清少納言や紫式部が身につけた唐衣や裳を、いつも楽しみに見ています。平安時代、女房たちが集う後宮は、政権に関する不安や揉め事、人間関係のトラブルなどが渦巻いていたのだろうけれど。

 目に映る女房の衣服の美しさは、後宮で過ごす人々や、訪れる帝の心のなぐさめになったことだろうと、思いを馳せる今日この頃です。


【主な参考文献】
  • 宮腰賢、他『全訳古語辞典 第五版 小型版』(旺文社、2018年)
  • 横尾豊『平安時代の後宮生活』(柏書房、1976年)
  • 山本淳子『紫式部日記 現代語訳付き』(角川学芸出版、2010年)
  • 河添房江、津島知明『新訂 枕草子 上 現代語訳付き』(KADOKAWA、2024年)
  • 河添房江、津島知明『新訂 枕草子 下 現代語訳付き』(KADOKAWA、2024年)
  • 川村裕子『はじめての王朝文化辞典』(KADOKAWA、2022年)
  • 早稲田大学 「Vol.2 国文学(3/4)【平安に栄えた日記文学】宮仕え女房の 役割と実相 / 福家俊幸教授」(最終閲覧日:2024年7月5日)

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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