本能寺の変の黒幕は、織田信長と抗争を続けた本願寺だったのか?
- 2024/09/24
本願寺黒幕説とは
本能寺の変の黒幕説は多々あるが、本願寺が黒幕だったという説もある。この説の要点は、本願寺教如が備中高松城(岡山市)を攻撃中の羽柴(豊臣)秀吉に対して、明智光秀が謀叛を起こすとの機密情報をあらかじめ流した点にある。本願寺滅亡の危機に瀕して、正親町天皇は教如の意向を汲み取り、光秀に織田信長の討伐を命じた。ゆえに教如は、光秀の謀反の計画を知っていた。一報を受けた秀吉は備中高松城の攻略を急ぎ、本能寺の変の一報を聞くや否や、すぐさま上洛の途についたのである。
教如は顕如の子であり、父とともに本願寺に籠って信長と戦った。天正8年(1580)3月、父の顕如は正親町天皇の和睦の仲介を受け入れ、紀伊鷺森(和歌山市)へ退去した。教如は籠城を強く主張したが、同年8月に本願寺を明け渡したのである。
その後、教如は紀伊雑賀(和歌山市)など各地を転々とし、天正10年(1582)4月に英賀(兵庫県姫路市)で潜伏生活を送った。教如は反信長の姿勢を明確にし、同年3月に信長軍が甲斐武田氏の討伐をした際には、一揆を催して後方を撹乱するなどしたという。
このように、教如は正親町天皇を動かして、光秀による信長の討伐計画を実現する一方、秀吉に謀反の計画を知らせ、光秀を討たせたというのである。
丹羽長秀は教如を攻撃したのか
播磨英賀に滞在中の教如のもとに、織田方の丹羽長秀が率いる軍勢が雑賀にいる顕如を攻撃したとの報告が舞い込んだ。その根拠史料となるのは、『大谷本願寺由緒通鑑』である。この史料の成立は正徳5年(1715)で、著者は温科子なる人物である。
この史料は中川清秀や高山重友(右近)が四国征伐軍に編入されているなど、誤りがあると指摘されている。長秀による顕如への攻撃は、『大谷本願寺由緒通鑑』以外に裏付けとなる史料がなく、確証を得ることができない。
ほかに『信長公記』天正10年2月9日条に載せる、信長の朱印状が長秀による顕如への攻撃の根拠とされている。そこには「泉州一国、紀州へおしむけ候事」とあり、この部分が「顕如、高野山、根来寺攻撃の命令」と解釈されている。
これは当時、反信長の急先鋒だった高野山や雑賀の土橋平尉への牽制策だった。そもそも顕如が長秀の攻撃を受けたならば、せめて『宇野主水日記』(顕如の右筆・宇野主水の日記)くらいには記録されているはずだろう。
このように考えるならば、丹羽長秀が雑賀の顕如を攻撃したという説は、現存する史料では成り立たないといえる。
美濃加茂市民ミュージアム所蔵文書(光秀書状)の解釈
次に問題となるのは、美濃加茂市民ミュージアム所蔵文書の解釈である。この書状で光秀は、義昭との連携を快諾した。この史料は、足利義昭黒幕説の根拠とされるが、今や同説は誤りとされている。本願寺黒幕説では同史料中の「上意」が足利義昭の意向ではなく、顕如の意向と解釈された。そのうえで顕如が土橋氏に命令して、光秀に連絡を取らせたと指摘されている。しかし、光秀書状に書かれた「上意」は明らかに義昭の意向であり、顕如ではありえない。したがって、この解釈も成り立たない。
正親町天皇が光秀に信長の討伐を命じたという説も、すでに朝廷黒幕説が成り立たないとされている以上、誤りなのは明らかである。したがって、ここまでに示した顕如の動きは、成立しないといえる。
教如は信長を討伐した首謀者だったのか
文禄2年(1593)閏9月、豊臣秀吉は本願寺宗主となった教如に対し、11ヵ条にわたる書状を送った(『駒井日記』)。前年11月に顕如が亡くなって、いったん教如が本願寺宗主の座に就いたが、秀吉は10年後に宗主の座を教如の弟・准如に譲るよう命じたのである。「信長様御一類ニハ大敵にて候事」
その2条目に記されている上記の一文を根拠として、教如が信長を討伐した首謀者だったと指摘されている。それは事実なのか?
秀吉の書状の1条目には、かつて本願寺が大坂に陣取っていたことを記す。3条目には、天下人が信長から秀吉に代わって以降、本願寺は雑賀、貝塚(大阪府貝塚市)、天満(大阪市北区)、洛中七条と転々としたが、それは秀吉による恩恵と考えるべきであると書いている。
肝心の2条目は、「信長様の一類にとって、本願寺は大敵だった」と書いているだけで、素直に読めば、単に過去の事実を書いたに過ぎない。つまり、教如が本能寺の変の首謀者だったと解釈するのは、深読みしすぎなのである。
同時に、この書状をもって、文禄2年に秀吉は教如が本能寺の変に加担していた事実を知り、叱責の条書を送って宗主の座から引きずり降ろそうとしたとの指摘がある。しかし、教如が弟の准如に地位を譲るのは10年後の話なので、随分と悠長な話である。この史料をもって、教如が本能寺の変の首謀者だったとは言えない。
本願寺が本能寺の変の黒幕だったという説は、史料の誤読の積み重ねと憶測によって成立したものであり、とても信が置けないといえよう。
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