空前の心中ブームに吉宗も怒り心頭 江戸っ子は何故相対死に惹かれるのか?
- 2024/11/26
皆さんは悲恋がお好きですか?愛し合った男女が哀しい結末を迎える物語は、カタルシスを求める我々の心を掴んで離しません。それは江戸時代も同じで、心中物の歌舞伎や浄瑠璃が大流行していました。今回はかの八代将軍徳川吉宗が重い腰を上げざる得なくなった、心中ブームの変遷を追っていきます。
【目次】
情死に号泣する舞台裏。仕掛け人は近松門左衛門
某芸能人の「不倫は文化」発言が物議を醸したように、現代でこそ婚外恋愛は刑事罰に問われません。しかし江戸時代は不義密通と呼ばれ、発覚次第不倫相手ともども死罪が課されました。この旨は『御定書百箇条』にもハッキリと書かれており、間男と妻を討った夫は不問に付されたそうです。「嫁して三年子なきは去れ」や石女(うまずめ)の蔑称が象徴するように、夫の面子を潰す妻は言語道断で家の恥とするのが当時の風潮でした。
有名な”三行半”も出す権利があるのは夫だけで、妻側が望んでも離縁はできません。DV被害者は泣き寝入りか尼寺に駆け込むかの二択……妻帯者が妾(めかけ)を囲うのは何も言われないのに、いささか理不尽ですね。
特に事件が集中したのが遊郭で、道ならぬ恋を儚んだ遊女が、情夫と死亡する悲劇が絶えませんでした。花街における心中は ”心中立” と呼ばれ、真実の愛を証明する手段として美化されていたのです。その一方、海千山千のしたたかな遊女もおり、自分の薬指を切る代わりに、精巧な偽物を心中箱にしまい、太客(たいきゃく)に送り付けていたそうです。
心中ブームの火付け役は戯作者の近松門左衛門。元禄16年(1703)初演の『曽根崎心中』は、大阪の曾根崎天神で実際に起きた事件をアレンジした世話物浄瑠璃。醤油屋の手代・徳兵衛と遊女・お初の義理人情に束縛された悲恋は、芝居小屋に押し掛けた観客の涙を誘いました。
『曽根崎心中』が大当たりした結果、心中の発生件数は右上がりに伸びていきます。これ以降、近松は味をしめ、『心中天網島』『心中宵庚申』など、心中物の傑作を続々と世に送り出しました。
歌舞伎で扱われた実際の事件 「三大心中」の中身
先見の明に優れた近松門左衛門は、事件から僅か1か月で脚本を完成させ、『曽根崎心中』をスピード上演しました。主人公の徳兵衛とお初を筆頭に関係者の名前をそのまま引用しているのですから大胆ですよね。醤油屋に丁稚奉公から仕えて手代になった徳兵衛と、大坂堂島新地の遊女お初は相思相愛の仲でした。しかしお初は身請け先が決まっており、徳兵衛は醤油屋の娘婿に望まれています。お初一筋の徳兵衛は縁談を断ったものの、そのせいで主人の怒りを買って追放され、曽根崎の露天神の森で命を絶ちました。
享保5年(1720)上演の『心中天網島』のモデルは、大阪天満の商人・紙屋治兵衛と遊女・小春の心中。本作は近松の心中物の最高傑作と謳われ、世間に甚大な影響を及ぼします。
『心中天網島』に倣った心中の増加を憂えた徳川吉宗は、享保7年(1722)に心中物の上演と関連書籍の出版を禁止。一人だけ生き残った場合は殺人罪として裁き、二人とも生き延びたら最下層の身分に降格の末晒し刑に処す御布令を出します。
登場する地名をご覧いただければわかる通り、心中ブームの発信地は常に上方でした。主役が商人と遊女のカップルなのも、商家が力を持っている大阪ならではですね。
ですが天明5年(1785)、遂に武士が心中事件を起こします。主犯は4000石の旗本・藤枝教行(ふじえだ のりなり)、相手は吉原の遊女の綾絹。
彼は綾絹に本気で惚れて身請けを考えていたものの、度重なる吉原通いが幕府にバレて甲府に左遷が決まり、懊悩の果てに駆け落ちを決行。死出の旅路で教行が手に掛けた綾絹はまだ19歳の若さでした。
藤枝心中の顛末に小説の着想を得た作家・岡本綺堂は、後年『箕輪心中』を書き上げています。
心中者は死刑か晒し刑!?遺体の弔いも許されず
享保年間の幕府は心中の「中」の字が忠義の「忠」に通じるとし、この言葉の使用を禁じます。以降、心中の代わりに相対死(あいたいじに)の名称が使われるようになりました。心中者に課される刑罰は重く、二人とも死んだ場合は葬儀・埋葬が禁じられ、遺体は醜く腐乱し、耐え難い悪臭をまき散らすまで晒されます。
輪をかけて悲惨なのが片方か両方生き残った場合で、前者は相手を殺した科で死罪となり、後者は日本橋の袂で三日間晒されたのち、市民権を剥奪され非人身分に落とされました。野次馬が暴力や性加害を知らんぷり、無体な仕打ちが繰り返されます。
江戸中期は幕府の失政に対する不満の捌け口として部落差別が促進されていたので、士農工商の身分制度の中で生きてきた者が非人になることは、生命線を絶たれるも同然でした。
不義密通はもとより死罪が順当とされてきましたが、吉宗は「引廻しの上獄門」とさらに刑罰を強化。主人の妻、もしくは娘を寝取った奉公人の運命は壮絶の一語に尽きます。胴と別れた首は三日間刑場に放置され、心中に惹かれる大衆に抑止力を発揮しました。
男女の双子は心中者の生まれ変わり?迷信を深掘り!
江戸時代の人々は畜生腹と言って多胎児を忌み嫌いました。多胎児の誕生を寿ぐのは一部の藩だけで、双子なら片方を手放すのが推奨されていたのです。特に男女の双子は心中者の生まれ変わりと疑われ、跡継ぎになれない女の子は間引かれたり他人に貰われたりしました。九州から西日本の農村部に掛け、なんと明治までそんな風習が残っていたというから驚きですね。
また、男女の双子を「夫婦子(ミヨウトゴ)」と称して有難がる地方もありました。進取の気風が強い都市部では双子だからと差別されるのは稀で、手を取り合って店を盛り立てていくとして、商家で可愛がられた一面も知っていただきたいです。
上記の迷信をサイドストーリーとして織り込んだ歌舞伎が河竹黙阿弥の代表作『三人吉三』、別名『三人吉三巴白浪』。登場人物の一人である夜鷹のおとせは絶世の美人。赤ん坊の頃里子に出された双子の兄・十三郎とそうとは知らず結ばれ、もう一人の兄・和尚吉三に斬り殺される悲劇のヒロインです。双子の片割れと近親相姦に陥った末に実兄に惨殺されるなんて、業が深いとは思いませんか?
おわりに
以上、江戸時代の心中ブームの変遷とその裏側をご紹介しました。罪人に温情をもって接する吉宗が心中だけ厳罰化している史実からも、お芝居に影響された人々が企てた、後追い心中の深刻さが伝わってきますね。願わくばフィクションの世界だけで悲劇を楽しみたいものです。【主な参考文献】
- 岩下哲典『病とむきあう江戸時代―外患・酒と肉食・うつと心中・出産・災害・テロ』北樹出版、2017年
- 氏家幹人『江戸の性風俗 笑いと情死のエロス』講談社、1998年
- 河合敦『禁断の江戸史~教科書に載らない江戸の事件簿~』扶桑社、2020年
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