大河ドラマ「光る君へ」 刀伊の入寇という危機に日本側が勝利できた訳

 大河ドラマ「光る君へ」第46回は「刀伊の入寇」。刀伊の入寇が描かれました。

 先ず「刀伊」というのは、朝鮮半島東北部に住む女真族(じょしんぞく)のことです(女真族は一七世紀において清朝を建国することになります)。その刀伊が寛仁3年(1019)3月、突如として、対馬・壱岐を襲撃したのでした。

 異民族の襲来と言えば、鎌倉時代中期、2度にわたる蒙古襲来が有名ですが、平安時代中期にも、規模は違うと言えど、そうしたことがあったのです。刀伊は、高麗(朝鮮の王朝)において、略奪・海賊行為などを行なっていました。刀伊とは朝鮮語で「夷狄」(野蛮人)の意味があります。刀伊は、50余隻の船団にて、対馬・壱岐を襲撃(ちなみに、蒙古襲来の際にも、対馬・壱岐は攻撃を受け、住民は悲惨な目に遭っています)。壱岐守だった藤原理忠は殺害されてしまいます。多くの島民が殺害されたり、捕えられ船に連行されました。

 刀伊の軍勢はその後、勢いに乗り、筑前国の能古島や博多にも来襲。民家に放火したり、略奪を行います。こうした危機に対応したのが、藤原隆家でした。隆家は、藤原道長のライバルとして知られる藤原伊周の弟です。かつて、隆家は従者の武士を連れて花山院の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜くという事件を起こしていました。剛毅な性格であったと言えるでしょう。

 刀伊の入寇時、隆家は大宰権師(大宰府の政務を統括する役)となっていました。「その迅なること隼の如し」と評された刀伊軍を相手に隆家率いる太宰府軍や九州の豪族らは奮戦します。隆家らの力に圧倒された刀伊軍は、徐々に後退していきました。太宰府軍は勝利したのです。しかし、約350人の死者、千人を超す「拉致被害者」が出たのでした。

 刀伊の入寇という危機に、太宰府軍が勝利できたのは、隆家という剛毅な性格の公卿が、大宰権師の任にあったことが大きいとも言われています。隆家は刀伊の追撃に際して、高麗の国境を侵さないよう令していますが、そうした所を見ると、剛毅なだけではなく、冷静さも持ち合わせていたように感じます。


【主要参考文献】

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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