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【逸話 LINEトーク画風】さすがは本多忠勝の娘・小松姫!気丈に振る舞い、城を守る(1600年)

戦ヒス編集部
 2019/01/01

これは関ケ原の戦いがはじまる少し前の慶長5年(1600年)7月、真田昌幸が嫡男信幸と袂を分かった後(犬伏の別れ)、上田城を目指す道中で、信幸の本拠である上野・沼田城にたどり着いたときの話である。(『明良洪範』『長国寺殿御事蹟稿』より)

── 上野国・沼田城 ──

真田昌幸アイコン

昌幸

もうすぐ沼田じゃ源次郎(=真田幸村のこと)!わしゃ~久々に孫の顔でもみたいのう~。
(フフ。・・ついでに沼田城を乗っ取ったるわい。)

真田幸村アイコン

幸村

・・・(苦笑)

こうして昌幸ら一行は沼田城に着くと、夜には沼田城に使者をだし、城内で休息したい旨を伝えた。そして、このとき信幸の妻・小松姫が応対した。

小松姫

!!!?どういうことです?

いまなぜ家康公を見捨てて、なぜ帰陣なさるのですか?

女性アイコン
家来アイコン

昌幸の使者

理由は存じあげませんが、にわかに上田に戻ることになりました。

小松姫

夫も一緒にいるのですか?

女性アイコン
家来アイコン

昌幸の使者

いえ、伊豆守殿(=信幸)は家康公に従軍なさいました。

小松姫はこれに安堵の表情を浮かべた。そして・・。

小松姫

女とはいえ、この城を預かっている以上、舅(=昌幸)といえども夫の敵となった者を城内にお入れすることはできませぬ!

それでも城に入ると申すならば、城に火をつけ、私は我が子と一緒に討死するまで。どうかお引き取りください。

女性アイコン

こうして昌幸の使者が帰ろうと城門まで辿り着いたとき、既に櫓には兵が守備しており、弓鉄砲が備えられていた。
そして使者が城外にでると、小松姫は侍女らに薙刀を持たせ、鉢巻き・たすき掛けの姿で指揮を執ったという。

一方で使者から復命を受けた昌幸は・・・。

真田昌幸アイコン

昌幸

フフフ、そうか・・・。事情を察しなかったわしの軽率な誤りじゃったわ。

それにしてもさすがは本多の娘じゃ~~。

真田幸村アイコン

幸村

父上・・どうやら義姉上は本気のようですな。

そして昌幸は再び沼田城に使者をだし、自分の意志を伝えた。

家来アイコン

昌幸の使者

殿(=昌幸)はなにも沼田城を取ろうとしているわけではなく、ただ "孫の顔がみたいだけ" とのことでございます。ご心配なさらずに。

小松姫

・・・。

(義父上様・・・。孫たちは元気にしていますよ。)

女性アイコン

こうして小松姫は孫を連れ、昌幸と孫を引き合わせた。昌幸らは和やかな一時を終えて、その後上田城へ向かったのであった。

  この記事を書いた人
戦ヒス編集部 さん


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