田園調布 〝高級住宅街〟もまた、昭和という時代の遺物なのだろうか?

誰もが知る高級住宅街だった田園調布にも変化が?

 「田園調布に家が建つ!」

 とは、昭和55年(1980)に大流行した漫才コンビの星セント・ルイスのネタ。この年、日本の自動車生産台数は世界一となり、株価や地価の急騰も始まっていた。すでにバブル景気の序章に入っていたようでもある。一攫千金、一粒万倍、濡れ手で粟。ただの庶民が億万長者になれる。と、そんな夢を抱くことができる時代だった。

 そんな当時、田園調布は誰もが知る高級住宅街だった。そこに「家が建つ」といえば、イコール「大金持ち」「成功者」とすぐに理解できたのだが……はたして、今の時代はどうか。若い世代にはいまひとつピンとこないような、意味が理解できない者も多いと思うのだ。

 街のイメージは時代とともに変化する。人々の好む「住みたい街」や「理想の住まい」にも、ファッションと同じように流行り廃りがある。高級住宅街の代名詞、誰もが憧れた田園調布も、そのイメージは永遠のものではない。

 80年代はテレビや雑誌で田園調布を見かけたが、最近はマスコミで取り上げられることなく存在感が希薄になっている。近況を知ろうとネットを検索してみたところ、不動産関連のニュースでいくつかの記事をみつけた。それによると、

  • 「土地の売り看板が目立つが、誰も買わない」
  • 「高齢化が進んで、限界集落になっている」

などと、驚くような内容だった。それは本当なのだろうか。真相を確かめるため、行ってみることにする。

 東急東横線の田園調布駅では通勤特急や特急は停車せず、渋谷からだと自由が丘駅で乗り換えねばならない。毎日通勤している人には、これがけっこう不便に感じたりもする。これも不人気になった原因のひとつだろうか。

 1990年以降の首都圏は、人々の〝都心回帰〟現象がつづいているという。現代人は郊外の住宅街よりも、便利な都心のマンションを好むようになっている。そういえば〝高級住宅街〟という言葉も、最近はあまり聞かなくなってきた気がする。

 敷地が広く、街区がよく整備され、景観に優れているというのが高級住宅街の定義。その条件にあいそうな場所は、どうしても都心から離れて不便なところになってしまう。自分の嗜好にはあわない、好まない場所に「高級」などという褒め言葉で呼ぶのは抵抗がある。高級住宅街って言葉が聞かれなくなったのは、そんな心理も働いてそうだ。使われなくなり忘れ去られて、そのうち死語となってしまうかもしれない。

田園調布から六本木ヒルズへ、「成功者の証」は変遷する

 田園調布駅の改札を出る。左手側の階段上には、ヨーロッパの古い街にありそうな赤い屋根の旧駅舎が建っている。

田園調布駅復元駅舎
田園調布駅復元駅舎

 じつは平成2年(1990)の駅ホームの地下化工事をおこなった際に、旧駅舎は取り壊されている。しかし、大正12年(1923)の完成以来、親しまれてきた街のシンボルだけに、当初から取り壊しに反対する者も多かった。そんな地元住民の声に押されて旧駅舎の復元が決定する。旧駅舎があったのと同じ場所に、外観や色を忠実に再現した駅舎が復元されたのは平成12年(2000)のことだった。

 田園調布駅東口の広場に通じる道路は、急勾配の下り坂になっている。坂道の下から駅方向を見上げれば、山の頂に赤い屋根の駅舎が聳えている。旧駅舎と駅西口付近の住宅地は、このあたりでも最高所になる。

田園調布駅東口から見上げる復元駅舎
田園調布駅東口から見上げる復元駅舎

 実業家の渋沢栄一が中心になって創設した田園都市開発株式会社は、大正7年(1918)よりこの高台での宅地開発に着手した。高級住宅地・田園調布の歴史はここから始まる。当時は東荒野が広がる僻地だったという。が、四方を見下ろすこの高台の地形こそが、渋沢の提唱する田園都市構想に最適の条件を備える場所だった。

 緑樹と噴水を設置した駅西口ロータリーを起点に、道路が放射状に広がっている。パリの街並みを参考にしたエトワール式と呼ばれる設計で、街路の銀杏並木も美しい。また、どこの家々にも広い庭があり、緑樹が豊かに繁っている。

田園調布駅復元駅舎と西口ロータリー
田園調布駅復元駅舎と西口ロータリー
田園調布駅西口住宅街の銀杏並木
田園調布駅西口住宅街の銀杏並木

 東京の他の街にはない眺めと雰囲気だ。この景観を守るために「敷地面積は最低でも50坪以上」「家の高さは 9 メートル以下」「建物の屋根や外壁の色は環境に調和した落ちついた色とする」など、厳しいルールが定められている。

かつての田園調布の名所のひとつ「田園コロシアム」の跡地、現在はその名にちなむ「田コロ児童公園」がある
かつての田園調布の名所のひとつ「田園コロシアム」の跡地、現在はその名にちなむ「田コロ児童公園」がある

 都心で50坪以上の土地を購入できるような富裕層は限られている。また、最近は大金持ちでも、持ち家より都心のタワマンを好む。2000年代に入った頃、ベンチャーや投資ファンドで儲けた者たちが好んで住んだのが六本木ヒルズだった。田園調布に家を建てるよりも、六本木ヒルズの上層階に住むほうが、世間からはよっぽど「億万長者」「成功者」といったイメージを抱かれる。そんな時代になっていた。

夜の六本木ヒルズ
夜の六本木ヒルズ

金持ちが高台に好んで住む理由って!?

 六本木ヒルズに取って代わられて、田園調布のブランド価値は下落した。そのうえ細かいルールが多くて家を建てるのが面倒臭いとあってはなおさら敬遠される。

 その結果、もともと住んでいた住人が高齢化して減っても、新しい住人は増えず。空き家が目立つようになり、田舎の限界集落みたいになっているというのだが。実際に街を歩いてみれば、確かに空き家や空地を時々見かける。しかし、「目立つ」というほどではない。記事の表現はちょっと大袈裟な感じがする。

田園調布の住宅地でみつけた空地
田園調布の住宅地でみつけた空地

 過疎地の限界集落とは違って、平日の昼間でも人通りはそれなりにある。エサ代が高くつきそうな大型犬を散歩させている人も多く、また、すれ違うクルマの半分以上が外車だ。マスコミの露出度は減って存在感は薄れてはいるのだが、ここが日本を代表する高級住宅地であることは変わらない。

宝来公園入口
宝来公園入口
宝来公園内の樹木
宝来公園内の樹木

 駅前からは南西の方角へ。大正時代に造られたという宝来公園の手前あたりから、道は急な下り坂になる。斜度はしだいに増し、やがてスキー場の上級者コースなみの急斜面に。この坂道を下り切ったところに、多摩川沿いの土手があった。

多摩川の河川敷に向って降る坂道
多摩川の河川敷に向って降る坂道

 土手の上に立つと、眼下に広がる河川敷には2面の野球練習場が並んでいる。この眺めには見覚えがある。なんだか、懐かしいといった感じも……。

 昭和60年(1985)まで30年間、この野球場はプロ野球巨人軍が練習場として使っていた。昭和時代のスポーツニュースなどに登場する機会も多く、だから、見覚えがあったのだろう。また、長嶋茂雄氏をはじめ多くのプロ野球選手が田園調布に住んだのは、成功者の証である高級住宅地であることにくわえて、練習場が徒歩圏内にあるという地の利の良さにもよるのだろうか。

河川敷の案内図にはまだ「巨人軍グラウンド」の文字が残っている
河川敷の案内図にはまだ「巨人軍グラウンド」の文字が残っている

 野球場の先には多摩川の川面や鉄道の鉄橋が見える。この眺めは昭和時代の野球アニメにもよく描かれていた。練習場に通じる土手や石段にも見覚えがある。星飛雄馬や伴宙太が、ここで兎跳びしていたような。

かつて巨人が使用した多摩川野球場
かつて巨人が使用した多摩川野球場

 しかし、眺めのなかには昭和の時代には見かけなかったものもあった……多摩川の対岸に目をやれば、武蔵小杉駅付近に林立するタワマン群が見える。ニューヨークのマンハッタンとはいかないまでも、西新宿副都心と比べても遜色のない眺め。地味な存在だった武蔵小杉が、10年くらい前から「住みたい街ランキング」の上位に躍り出たのもタワマンの恩恵だろう。やはり現代の住みたい街というか、住みたい場所は高級住宅街ではなくタワマンだ。

多摩川対岸の武蔵小杉周辺にあるタワマン群を眺める
多摩川対岸の武蔵小杉周辺にあるタワマン群を眺める

 多摩川の河川敷から田園調布駅に向かって引き返す。急坂は登りになるとキツイ。けど、後ろをふり返れば、下界の景色がいい感じに広がってくる。金持ちや上流階級の人々は、高いところから庶民を見下ろすのを好む。と、いったイメージがある。高台に高級住宅街を造ったのは、そんな彼らの趣味も加味してのことだったのだろうか。

 しかし、高台とはいえ最高所の田園調布駅でも標高約32メートル。たかが知れている。タワマンならまだ低層階。だから、高級住宅街の需要がなくなるのも仕方がないのか……。やっぱ、これは絶滅危惧種なのかもしれない。

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  この記事を書いた人
青山誠 さん
歴史、紀行、人物伝などが得意分野なフリーライター。著書に『首都圏「街」格差』 (中経文庫)、『浪花千栄子』(角川文庫)、 『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社)、『戦術の日本史』(宝島文庫)、『戦艦大和の収支決算報告』(彩図社)などがある。ウェブサイト『さんたつ』で「街の歌が聴こえる』、雑誌『Shi ...

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