大河ドラマ「べらぼう」 人間には非ずとまで評された遊廓経営者「忘八」の所業とは?

 大河ドラマ「べらぼう」第20回は「寝惚けて候」。「べらぼう」には「忘八」(亡八)と呼ばれる遊女屋を経営していた主人たちが多数登場します。忘八とは「仁・義・孝・悌・忠・信・廉・恥」の「八徳」を忘れた者であり「悪賢い者」との意味もあります。

 江戸時代後期の文化13年(1816)に成立した随筆『世事見聞録』(著者の詳細は不明。以下、同書と略記することあり)はこの八徳を捨てた者(忘八)は「人間には非ず」「人面獣心」とまで酷評しています。同書は「売女」(遊女)は憎むべきものではないと説いています。真に憎むべきなのは「亡八」と呼ばれる「売女業体のもの」(遊廓の経営者)だと言うのです。それはなぜなのか、同書の主張を見ていきましょう。

 先ず、忘八は他人の「愛子」(娘)を僅かの代金で買取り「一家」に「飼鳥」のように押し込める。要は籠の中の鳥にすると言うのです。そして情欲の限りを尽くさせる。また忘八は「血気の若者」を放蕩の世界に引き入れる。詐欺師や強盗などであっても「賓客」(大切な客)として受け入れ、そこから金を吸い取る。前述の「血気の若者」が放蕩の限りを尽くし、親に迷惑をかけようが「妻子離別」しようが、そんな事はお構いなし。忘八は多数の遊女を抱え置き「金銀に情根を尽させ」また数百人の客の身の上を潰し「不忠」「不孝」の者を作り出し、強盗や追い剥ぎなどからも金を貪り尽くす。そして忘八たちは、豪華な衣装を身に纏い、キセル・煙草入などにも「金銀・珊瑚の細工」を散りばめる。更には供を引き連れ、遊山見物。更には将棋・博打を行い、別荘には好みの「売女」を置いて淫欲をほしいままにする。どこにいても美味な酒や肴、菓子を飽きるまで喰らう。

 こうしたところが、同書が「忘八」を「人面獣心」と酷評した理由だったのです。要は多くの人間(男女。客と遊女)を不幸にしておいて、それらの人々から金を吸い取り、自ら(忘八)は贅沢三昧、私腹を肥やす・・『世事見聞録』は忘八をこれらの所業から非難したのでした。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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