大河ドラマ「べらぼう」 忘八ばかりではない!?遊廓の主人の美談と人心掌握術
- 2025/06/16

大河ドラマ「べらぼう」第23回は「我こそは江戸一の利者なり」。吉原の蔦屋重三郎が日本橋に進出する様が描かれました。
「べらぼう」においては遊女に対して辛く当たる吉原遊廓の主人の言動が度々描かれてきました。「忘八」(儒教的な8つの徳目を忘れた者)などと評され、悪辣振りが特筆されることも多い遊女屋の主人ですが、そうした「悪人」ばかりでもありませんでした。どこの世界、どこの業界でも悪い人もいれば良い人もいるというのは摂理と言えるでしょうか。
では、徳目を忘れていない楼主はどのような言動をしたのでしょうか。例えばある遊女屋を営む夫婦は、元日や祝日などに先ずは遊女らに食事(膳)を勧めました。なぜか。「私たちが衣食豊かに暮せるのは、ひとえに女郎たちのお陰である」との精神を楼主が持っていたからです。その夫婦は遊女たちに膳を勧めてから、自らが食事をとったのでした。
また若松屋藤左衛門という遊廓主人などは火事の際には次のように厳命したと言います。「男どもは遊女らを守って急いで立ち去れ」と。この言葉も藤左衛門が「遊女こそ大切なれ」との考えを持っていたからでした。藤左衛門の下知により遊廓は焼けてしまったのですが、彼はそれを苦にしませんでした。
以上、紹介した遊廓の主人には自分たちの生活は遊女のお陰で成立しているとの精神が宿っていたと言えるでしょう。ブラック企業の経営者に聞かせたい逸話であります。
優れた経営者というものは部下の奮起を促すものですが、経営する遊女屋を繁盛させた扇屋宇右衛門は遊女たちに等級を付けていたと言います。客の多少により月1回の頻度で等級を付け褒美を与えたのです。立派な褒美を貰おうと遊女らは競い合いました。
抱えの遊女に花扇と滝川という人気遊女がいたのですが、宇右衛門は本来ならば花扇に贈るべき良い褒賞をわざと間違えて滝川に届けます。しかしその後、程なく、それは間違いだったということで滝川には軽い褒美が与えられたのです。これにより滝川は奮起し、花扇と一層、切磋琢磨。2人の遊女は「扇屋の一双の名花」と称賛されたのでした。
【主要参考文献】
- 北小路健『遊女 その歴史と哀歓』(人物往来社、1964年)
- 小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)
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