日本神話最大の異形「猿田彦」 天孫降臨の際、ニニギノミコトを道案内した神を徹底解剖!

  • 2026/01/22
 皆さんは「猿田彦(さるたひこ)」という神をご存じでしょうか?『古事記』や『日本書紀』に登場する神で、アマテラスの孫であるニニギノミコトと深い関わりのある神様です。アマテラスやスサノオほどメジャーな神様ではありませんが、実は神話の中の重要な場面で登場する神様なのです。
 今回は天と地をつなぐ導きの神「猿田彦」についてご紹介します。

猿田彦とはどんな姿をしている神なの?

 猿田彦という神は、一体どんな姿をしていたのでしょうか?『古事記』によると、

「その鼻の長さ七咫(ななあた)。背の長さ七尺余り。まさに七尋(ななひろ)といふべし。口尻(くちわき)明り耀れり。眼は八咫鏡(やたのかがみ)のごとくして、てりかがやけること赤酸酸(あかかがち)に似れり」

 「咫」というのは長さを表す単位で、七咫だと約126センチになります。この記述通り、本当に鼻の長さが126センチぐらいあったのかは定かではありませんが、とにかく鼻が長く、背の高い大男だったとされています。さらに眼は八咫鏡(ここでは「三種の神器」の鏡を示しているのではなく、単に「大きい鏡」という意味)のように大きく、ほおずきのように赤く輝いていたとか。

 かなり異様な風貌の猿田彦。鼻が長いとなると、別の“何か”を連想しませんか?そう、猿田彦の姿は、妖怪である「天狗」の姿とそっくりなのです。

 ここに気付いてしまうと、猿田彦と天狗には何か繋がりがあるのでは…?と思ってしまいますよね。しかし、猿田彦と天狗は、鼻が長いという共通点があるものの、全くの別物であるとされています。とはいえ、神事で使われる猿田彦のお面は天狗の面を被ることから、よく混同されてしまうのだとか。

猿田彦がいなければ、天孫降臨はスムーズにいかなかった!?

 猿田彦が神話の中で初登場するのは、「天孫降臨」という場面。この「天孫降臨」というのは、アマテラスの孫であるニニギノミコトが、豊葦原の中国(とよあしはらのなかつくに)である地上の国を統治するため、天上界から地上へ下るという場面です。

天孫降臨(『日本の神様 : 古事記絵ばなし 3版より』。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
天孫降臨(『日本の神様 : 古事記絵ばなし 3版より』。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 その時にニニギノミコトはアマテラスから、のちの天皇家の象徴となる「三種の神器」を下賜され、地上へ降り立ちました。

 さて、地上へ向おうと道を進んでいたニニギノミコト一行。その矢先、思わぬ障壁が立ちはだかります。

「天の八衢(やちまた)に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国(あしはらのなかつくに)を光す神ここにあり」

 「天の八衢」、つまり「天にある八方に通じる分かれ道」の真ん中に陣取り、天上の高天原と地上の中国の両方を照らす神がいると言うのです。

 道に立ち塞がっているあの神は一体何者なのか…?敵か味方かわからず、天上の神である天津神(あまつかみ)たちは動揺します。このままでは天孫の降臨に支障をきたしてしまう…。そこで、天津神たちは分かれ道に陣取っている神の正体を探るため、使者を1名派遣します。

 「あなたは何者か?」と問いかけた天津神の使者。問われた神はこう答えます。

「僕(あ)は国津神(くにつかみ)、名は猿田毘古神(さるたひこのかみ)なり」

 そう、彼こそが猿田彦でした。この「国津神」というのは、葦原中国にいる神のことをさしています。天上界にいるアマテラスやニニギノミコトたち「天津神」とは異なる神なのです。

猿田彦(『日本の神様 : 古事記絵ばなし 3版より』。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
猿田彦(『日本の神様 : 古事記絵ばなし 3版より』。出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 猿田彦は、「天孫が葦原中国に降臨されると聞きました。僭越ながら道案内をさせていただこうと思い、ここでお待ちしていたのです。」と使者へ伝えます。

 ひとまず敵ではないと知り、ホッとする天津神たち。確かに天孫とは言え、不慣れな場所を訪れるのは不安がつきもの。土地勘のある者が味方になり、道案内をしてくれたら心強いですよね。

 さらに猿田彦は、ニニギノミコト一行を「筑紫の日向と言う土地にある高千穂の槵触峰(くしふるみね)」に案内し、そして自分はその後「伊勢の狭長田(いすず)の川上」へ向かうと伝えます。猿田彦の先導により、ニニギノミコトは無事に高千穂へ降り立つことができたのです。

 こうして猿田彦は、この時ニニギノミコトの道案内を務めたことにより、「道開きの神」「衢の神」とも呼ばれるようになりました。

奥様はあの有名な神!?

 天孫・ニニギノミコトの先導という重要な役割を果たした猿田彦。ちなみに、彼の奥様はあの有名な神なのです。

 奥様の名は「天鈿女(あめのうずめ)」。彼女は天孫降臨以前に起こった「天岩戸隠れ」の事件で、アマテラスを岩戸から出すため、岩戸の前で舞踊を披露した神です。

天岩戸のイラスト
天岩戸のイラスト

 彼らの出会いは、天孫降臨の際に登場したあの八衢。そう、異形の神「猿田彦」の正体をさぐる為、分かれ道に陣取る猿田彦へ「あなたは何者か?」と尋ねた使者が彼女だったのです。

 さらに驚くのは、猿田彦と対峙した時の彼女の出で立ち。なんと、「胸乳を露(あらわ)にかきいでて、裳帯(もひも)を臍の下におしたれ」ながら彼に問いかけたのだとか。つまり、ほぼ裸の状態で初対面の猿田彦と対峙したというのです。

 正直言うと、どちらが怪しい者か分からない状況ですが…。

 そもそも、なぜ彼女が使者として選ばれたのでしょうか?天鈿女という神は『古事記』によれば、「い對(むか)ふ神と面(おも)勝つ神」、『日本書紀』では、「目人に勝ちたる者」であるとされています。このことから、彼女の眼には相手を怯ませる辟邪(へきじゃ)の眼、「辟邪視」の力があるとされているのです。

 だからこそ、ニニギノミコトたち天津神は、四つ辻で猿田彦と出会った時、相手が誰なのか、敵か味方かもわからない状況の中、辟邪の眼(辟邪視)の力を持つ彼女に、正体不明である謎の神と真正面から対峙させたのです。

 こうして猿田彦の案内のもと、無事に高千穂に降り立ったニニギノミコト一行。その後、ニニギノミコトは天鈿女に猿田彦を伊勢まで送り届け、今後は猿田彦に仕えるよう命じます。

「ここをもちて猿女君等、その猿田毘古の男神の名を負いて、女を猿女君とよぶ事これなり」

 これ以降、天鈿女は猿田彦の名をとり、「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになったとか。

死因は○○!?猿田彦の最期

 記紀には天孫降臨後の猿田彦のエピソードも残っています。それは、猿田彦が亡くなった時の話。

「かえその猿田毘古神、阿耶訶(あざか)い坐す時、漁(すなどり)して、比良夫貝(ひらぶがい)にその手を咋ひ合さえて(くひあわさえて)、海塩に沈み溺れましき」

 猿田彦は阿耶訶(旧一志郡阿坂村、現松阪市)という土地で漁をしていた時、比良夫貝という貝に手をはさまれ、そのまま海へ引き込まれてしまい、溺死したというのです。

 この「比良夫貝」。どのような貝なのか正体は不明です。しかし一説によると、この貝はシャコ貝のことではないかと言われています。実際に、猿田彦を祀っている神社の1つ、伊勢の夫婦岩で有名な二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)にはそれらしきシャコ貝が飾られています。

 しかし、神話の中の猿田彦は天を衝くような大男。そんな猿田彦を挟み、溺死させた貝なのですから、通常のシャコ貝よりも殻の大きさが1メートルを超えるようなオオシャコ貝だったのではないかと考察されています。

おわりに

 導きの神「猿田彦」。ニニギノミコトを道案内した神ということから、道の神や境界の神である「塞ノ神」と結びつけられ、「道祖神」と同一視されるようになりました。

 この場合、妻とされている天鈿女と共に祀られます。さらに中世以降、庚申信仰にも結びつけられるようになります。これには諸説ありますが、庚申の「申」が「さる」と読むことから、猿田彦と結びつけられるようになったとか。
 
 このように猿田彦は単に神話に出てくる神様というだけでなく、長い間人々の近くに寄り添う身近な神として信仰されていったのです。


【参考文献】
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  この記事を書いた人
大学で日本中世史を専攻。 現在本業のかたわら、日本史メインでWeb記事やYouTubeシナリオを執筆中。 得意分野は古代~近世の日本文化史・美術史。 古文書解読検定準2級取得。

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