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【べらぼう】忘八を上回る!?遊女を責め殺すこともあった恐怖の女監督官とは?

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 大河ドラマ「べらぼう」第44回は「空飛ぶ源内」。

 「べらぼう」においては個性豊かな吉原の遊郭経営者いわゆる「忘八」が注目されがちですが、遊女の取り扱いは同じ女が良いとされていました。特に「老婆」(江戸時代後期に成立した随筆『世事見聞録』)が良いとされたのです。遊女の行動を監督するこのような女性は「遣手婆」「妻妾」「廻し女」などと称されました。忘八は、年長で「意地の悪き女」を抱え置いて、その者に遊女の取り扱いを任せていたと同書は記します。忘八は「妻妾」「娘分」を養い手懐け、または「無頼の老婆」を囲い置いて遊郭の経営に邁進したのでした。

 遊郭においては客の取り扱い、送迎などは男が介在するのは良くないとされていました。そうしたことは女でなければ「品よく」できかね、男が混じってはかえって「邪魔」になるとされたのです。では忘八はどうしていたか。あくまで『世事見聞録』によると、家の建物にて「昼夜遊び事」に精を出していたというのです。

 では老練の遣手婆はどのように遊女を監督したのでしょうか。遊女に怠け心が起こらないように、食事をしっかりと食べさせず、夜も眠らず客の機嫌をとるように時々戒めたと同書にはあります。しかし、普通に考えたらこうしたことが続くと、逆に遊女の肉体や精神は疲弊していくでしょう。

 眠ったり愛嬌の良くない遊女がいた場合、遣手婆はどう対応したのか。遊女を「厳しく叱り責むる」ことがあったと言います。よって遊女は遣手婆から厳しく叱られることを恐れて、客を大切に取り扱ったとのことです。もし客の機嫌を取り損じた遊女は激しく「打擲」(殴られた)されました。それでも反省していないと見做された場合は、数日断食させられ、雪隠(便所)の掃除をさせられ、あるいは縛られ丸裸にされて水を浴びせられたのです。縄が肌に食い込み、苦しみ泣き叫ぶ遊女もおりました。時々、責め殺される遊女もあったとのこと。まさに地獄の苦界ですが、遊郭経営の裏には遣手婆が幅を利かせていたことが『世事見聞録』から分かります。


【参考文献】
  • 北小路健『遊女  その歴史と哀歓』(人物往来社、1964年)
  • 小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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