【べらぼう】忘八を上回る!?遊女を責め殺すこともあった恐怖の女監督官とは?
- 2025/11/17
大河ドラマ「べらぼう」第44回は「空飛ぶ源内」。
「べらぼう」においては個性豊かな吉原の遊郭経営者いわゆる「忘八」が注目されがちですが、遊女の取り扱いは同じ女が良いとされていました。特に「老婆」(江戸時代後期に成立した随筆『世事見聞録』)が良いとされたのです。遊女の行動を監督するこのような女性は「遣手婆」「妻妾」「廻し女」などと称されました。忘八は、年長で「意地の悪き女」を抱え置いて、その者に遊女の取り扱いを任せていたと同書は記します。忘八は「妻妾」「娘分」を養い手懐け、または「無頼の老婆」を囲い置いて遊郭の経営に邁進したのでした。
遊郭においては客の取り扱い、送迎などは男が介在するのは良くないとされていました。そうしたことは女でなければ「品よく」できかね、男が混じってはかえって「邪魔」になるとされたのです。では忘八はどうしていたか。あくまで『世事見聞録』によると、家の建物にて「昼夜遊び事」に精を出していたというのです。
では老練の遣手婆はどのように遊女を監督したのでしょうか。遊女に怠け心が起こらないように、食事をしっかりと食べさせず、夜も眠らず客の機嫌をとるように時々戒めたと同書にはあります。しかし、普通に考えたらこうしたことが続くと、逆に遊女の肉体や精神は疲弊していくでしょう。
眠ったり愛嬌の良くない遊女がいた場合、遣手婆はどう対応したのか。遊女を「厳しく叱り責むる」ことがあったと言います。よって遊女は遣手婆から厳しく叱られることを恐れて、客を大切に取り扱ったとのことです。もし客の機嫌を取り損じた遊女は激しく「打擲」(殴られた)されました。それでも反省していないと見做された場合は、数日断食させられ、雪隠(便所)の掃除をさせられ、あるいは縛られ丸裸にされて水を浴びせられたのです。縄が肌に食い込み、苦しみ泣き叫ぶ遊女もおりました。時々、責め殺される遊女もあったとのこと。まさに地獄の苦界ですが、遊郭経営の裏には遣手婆が幅を利かせていたことが『世事見聞録』から分かります。
【参考文献】
- 北小路健『遊女 その歴史と哀歓』(人物往来社、1964年)
- 小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)
- ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
- ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
コメント欄