【ばけばけ】ふたりの旅 好む場所や趣味は違っても、夫婦はいつまでも仲睦まじく……

  • 2026/01/26
:フリーライター
隠岐諸島・菱浦港にある小泉八雲夫妻の銅像
隠岐諸島・菱浦港にある小泉八雲夫妻の銅像

ハーンとセツ、ふたりの初めての旅へ

 明治24年(1891)の夏、ハーンは中学校の夏期休暇を利用して、同僚教師の西田千太郎と一緒に旅に出た。出雲大社から近い稲佐浜に滞在して海水浴を楽しんでいたのだが、2日後、そこにセツもやって来た。

 彼女は松江の自宅で留守番していたが、「すぐこちらに来て欲しい」というハーンからの手紙が届き、すぐに向かったのである。セツが合流した後、一行は出雲大社門前の旅館「いなば屋」に移った。

ハーンが海水浴をした出雲大社近郊の稲佐の浜
ハーンが海水浴をした出雲大社近郊の稲佐の浜

 ハーンは以前にも出雲大社を訪れ、外国人としては初の昇殿を許され、千家宮司とも親しく親交した。この時もまた、宮司の屋敷に招かれて接待を受けている。

「古書ヲ観、非常ニ鄭重ナル饗応ヲ受ケ、夜半ヲ過ギテ帰ル。ヘルン氏大酔。」

 と、この日の様子が西田の日記に書いてある。ハーンにしては珍しくハメを外して酔っ払い、かなりご機嫌の様子だった。

出雲大社
出雲大社

 その後も、しばらく出雲に滞在して地元の夏祭りや盆踊りを見物して、8月4日には再び千家宮司の屋敷を訪問した。この時はセツも同行している。また、大社内で催された天神祭や豊年踊りにもふたりで参列し、8月7日には島根半島西端にある日御碕神社を参拝して、小野尊光宮司の接待を受けた。宮司の妻はセツの従姉妹だという。

日御碕神社
日御碕神社

 旅に出てから約2週間が過ぎた8月10日、一行は小型汽船で宍道湖を渡り、松江に帰った。

 セツとハーンが一緒に旅をしたのは、これが初めてのことだった。縁結びの神様である出雲大社という場所柄〝ハネムーン〟といった感じがしないでもない。まあ、西田という同行者がいたことはさて置いて。

 千家宮司の接待を受けた時にハーンが、ご機嫌になって泥酔したのも、あるいはセツとの関係を打ち明けて、皆から祝福されて有頂天になったのかも?

 その後、ハーンはセツを伴って再び千家宮司の屋敷を訪問し、大社境内の催しにも一緒に参列していることから、大社側からも「夫婦」として認められていたのだろう。

出雲大社
出雲大社
ふたりの旅は松江を基準に、西は出雲大社~日御碕、東に米子~下市~八橋、北に隠岐(出典:国土地理院地図)
ふたりの旅は松江を基準に、西は出雲大社~日御碕、東に米子~下市~八橋、北に隠岐(出典:国土地理院地図)

旅の宿で聞いた怪談話に魅了される

 出雲大社から松江に帰ってきた3日後の8月13日になると、ふたりはまた慌ただしく旅に出掛ける。ハーンは残りの夏休みを伯耆(鳥取県西部)を旅して楽しむつもり。旅好きの夫のせいで、セツも家でのんびり休むことができない。

 大橋川の袂にある船着場から蒸気船で米子まで行き、そこから人力車に乗って街道を東へ向う。1年前、ハーンが松江に赴任した時に通ったルートを逆に辿る。盆踊りを観て感動した下市宿を通過し、さらに東へ10キロほど行った八橋で滞在することにした。

 八橋は山陰街道有数の規模を誇る宿場。街のメインストリートには旅籠や店舗が軒をつらね、大勢の人々でにぎわっている。が、そこから脇の路地に入ると、すぐ目の前に延々とつづく白い砂浜が広がっていた。

八橋宿で二人が宿泊した旅館の裏手には日本海、ハーンが海水浴を楽しんだ砂浜
八橋宿で二人が宿泊した旅館の裏手には日本海、ハーンが海水浴を楽しんだ砂浜
砂浜にはハーン夫妻の記念碑もある
砂浜にはハーン夫妻の記念碑もある

 ハーンは八橋での滞在中ずっと昼間は海水浴を楽しみ、夜はセツの怪談話を寝物語に聞いて過ごした。

 この頃になるとセツのストーリーテラーとしての才能も開花して、ハーンは彼女の話す怪談や奇談に目を輝かせて聞き入る。

 その反応を見てセツも嬉しくなり、夫が興味を持ちそうな新ネタの収集にいっそう力を入れるようになっていた。この旅の道中でも、セツは老人に話を聞いたりして地元に伝わる怪談や奇談を収集した。

八橋宿で小泉八雲夫妻が宿泊した旅館(改築しているが建物は現存)
八橋宿で小泉八雲夫妻が宿泊した旅館(改築しているが建物は現存)

 八橋の宿でセツから聞いた怪談・奇談のなかで、ハーンが最も面白がって気に入った話が「鳥取のふとん」。後にハーンの著書にもでてくる有名な怪談話だが、じつはこれをセツに教えたのは、彼女の前夫・為二だったといわれる。彼は鳥取の出身だった。

 八橋宿での滞在が長くなり、とうとうセツが仕入れた地元ネタも尽きたのだろうか。八橋宿からは比較的近く、また、同じ鳥取県内でもあることから、苦し紛れに話をしたのかも。

 前夫から聞いた話だというのを、ハーンに知らせたかどうかは分からないけど、ハーンは興味津々で話に聞き入り、そして、

「あなたは、私の手伝いができる人です」

 話を聞き終えたハーンは感極まった様子でそう言ってきたという。

 セツは最愛の妻であるとともに、最高のセンスと技量を有する語り部。自分の創作活動においても最良のパートナーになりうる存在だと、この「鳥取のふとん」の話を聞いてハーンは確信するようになる。

ハーンは離島への移住を目論んでいた

 明治25年(1892)の夏、ハーンとセツは日本海に浮かぶ隠岐諸島を旅した。この頃すでに熊本の第五高等学校に転任していたのだが、松江にいた頃からずっと隠岐に行ってみたいと思っていた。やっとそれを実現してハーンは上機嫌……だが、それとは逆にセツの表情は冴えない。

 本土の境港と隠岐を結ぶ『隠岐丸』は、わずか96トンの小型木造蒸気船。狭い桟敷の船室には人と荷物があふれて身動きできず、天井は中腰でも頭がつかえるほどに低い。おまけに機械油や食物、人の汗が混じった悪臭が充満している。隠岐まで5〜6時間、ずっとこんな場所で耐えねばならない。

 そのうえ、日本海は夏でも大きな波が立って船はよく揺れる。慣れない者は船酔いにも苦しむ。セツも辛い思いをしたようである。

 船の運行は月にわずか3〜5回、時化による欠航も珍しくはない。簡単に行き来できない秘境、そんな場所には多くの独特の文化が残っているものだ。それこそハーンが最も好む場所である。

隠岐諸島・菱浦港
隠岐諸島・菱浦港
隠岐諸島・菱浦港にある、ふたりの銅像。セツの銅像はこれが唯一だとか。
隠岐諸島・菱浦港にある、ふたりの銅像。セツの銅像はこれが唯一だとか。

 なかでもハーンのお気に入りは、中ノ島にある菱浦という静かな入江の集落。ここで8日間を過ごし、帰りの船の中でも遠くなってゆく島影を眺めながら「菱浦ニ住ミタイデス」とセツの耳元で囁いたという。

 一方、セツの視線はハーンとは真逆の方角に向いている。隠岐が遠くなるほどに、本土の山々がはっきりと見えてくる。もうすぐ船酔いからも、何もなく退屈だった島の生活からも解放される。と、そのタイミングで島に住みたいなんて言われても……

「冗談じゃない!」

 というのが、セツの偽らざる心境だろう。

 ハーンはセツが了承すれば本気で隠岐に住むつもりだったが、彼女はこれをきっぱりと拒絶。隠岐移住計画は潰えた。

「ヘルンは辺鄙なところ程好きであつたのです。東京よりも松江がよかつたのです。日光よりも隠岐がよかつたのです」

 とはセツの自著『思い出の記』の一節だが、夫の変人ぶりに呆れているようでもある。

 ハーンは騒がしい都会が大嫌い。大自然の景観と静かな環境を好む。それがあれば、不潔で不便な環境でもまったく気にしない。

 しかし、セツは退屈な田舎よりも都会が好みだった。歌舞伎や芝居などのエンタメが趣味で、甘味処などのスィーツも大好き、今時の若い女性と共通する嗜好の持ち主だ。また、潔癖症でもある。不潔な場所は苦手。蚤や虱の巣窟になっている汚い旅籠、農村に漂う肥の臭いも大嫌いだった。

 時が経っても、ハーンとセツは夫婦仲がよく愛しあっていた。しかし、夫婦生活が長くなると、お互いの好みの違いもよく理解している。相手に自分の好みを押し付けるようなことはしなくなり、また、無理して相手の趣味にあわせることもしなくなった。

 東京に住むようになってからは、ハーンは夏になると静岡県の焼津に長期滞在して海水浴と避暑に出掛けるのが常。だが、セツはそれには同行せず、東京に残って好きな歌舞伎を観ながら留守番した。それでも、盛んに手紙をやり取りしているから、お互いの近況は手に取るように分かる。

 セツの手紙にはいつもハーンの体調を気遣う言葉があふれ、また、ハーンの手紙はいつも「可愛いママさん」などと彼女への賛辞で締めくくられる。離れてもお互い心は通じあっている。いや、むしろ離れて暮らすことで夫婦の絆がより深まったか!?

  この記事を書いた人
歴史、紀行、人物伝などが得意分野なフリーライター。著書に『首都圏「街」格差』 (中経文庫)、『浪花千栄子』(角川文庫)、 『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社)、『戦術の日本史』(宝島文庫)、『戦艦大和の収支決算報告』(彩図社)などがある。ウェブサイト『さんたつ』で「街の歌が聴こえる』、雑誌『Shi ...
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