【豊臣兄弟!】小一郎の姉・とも(演:宮澤エマ)とはどんな女性?その生涯をたどる
- 2026/01/15
今回はそんな”とも”の生涯をたどってみたいと思います。
藤吉郎が天下を一統するまで
ともは天文3年(1534)、なかと木下弥右衛門(やゑもん)の間に誕生しました。藤吉郎(のちの秀吉)より3歳年長、小一郎(のちの秀長)より6歳年長、あさひ(旭姫)より9歳年長です。名前は漢字で「智」、または「智子」と書かれ、出家後は「村雲尼(そんうんに)」や「日秀尼(にっしゅうに)」などと呼ばれました。やがて、ともは尾張国海東郡乙之村(愛知県あま市)の弥助(上川周作)と結婚、三人の男児を産み育てます。永禄11年(1568)に豊臣秀次(幼名は万丸)・翌永禄12年(1569)に豊臣秀勝(幼名は小吉)・天正7年(1579)に豊臣秀保(幼名は辰千代)を生みました。
当時の初産としては、かなりの高齢出産(秀次出産時点で35歳)です。もしかすると彼ら以外にも夭折した子がいたのか、あるいは貧しすぎて、とても出産・子育てができる環境でなかったなどの可能性が考えられているようです。
やがて秀吉が出世すると、一家の暮らしは大きく様変わりし、ともの息子たちは子供がいない秀吉の後継者として、成長を期待されるようになりました。これが後の悲劇を招くことに……。
天正10年(1582)ごろに長男の秀次が三好康長(みよし やすなが)に養子入りすると、夫の弥助も三好吉房(よしふさ)と名乗ります。続いて天正16年(1588)には三男の秀保が、男児のいない秀長の養子となりました。
そして天正18年(1590)、秀吉が念願の天下一統を果たすと、論功行賞により夫婦そろって尾張犬山城(愛知県犬山市)へ移住します。この時に次男の秀勝は甲斐・信濃両国(山梨県・長野県)を与えられました。しかしともはこの恩賞に抗議。「遠い国に住まわせるのはかわいそうだから」と秀吉にゴネた結果、秀勝は美濃岐阜城(岐阜県岐阜市)へと移されたのです。
ともは現代で言うところのモンスターペアレントだったのかも知れませんね。
豊臣家の滅亡を見届ける
さて、天正19年(1591)1月には秀長が死去。続いて同年8月に秀吉が嫡男・鶴松を亡くすと、秀次と秀勝は秀吉の養子にとられました。そして同年12月に秀次が秀吉から関白の職を譲られると、とも・吉房夫婦は京都の聚楽第に移住します。しかし、我が子が天下人となった喜びも束の間、天正20年(1592年。文禄元年)9月に次男の秀勝が挑戦出兵中に陣没。悲しみにくれる夫婦に追い討ちをかけるように、文禄4年(1595)4月には三男の秀保が不可解な急死を遂げます。
秀吉は秀次に対して、秀保の葬儀を執り行わないよう命じたそうです。それはあまりにも酷すぎる……、ともは寧々(演:浜辺美波)に泣きついて、何とか葬儀を執り行えたようです。
これは秀吉の嫡男・豊臣秀頼(幼名は拾丸)が誕生したことと無関係ではないでしょう。さらに同じ文禄4年(1595)7月には、長男の秀次がいきなり謀叛の疑いで切腹させられてしまう秀次事件が勃発。
このとき夫の吉房も連帯責任として讃岐国(香川県)へ流罪とされてしまいました。流石にともまでは処罰されなかったものの、彼女の孫(秀次の遺児)たちは、そのほとんどが斬首されるという惨たらしい仕打ちを受けるのです。
ともは嵯峨野に善正寺(ぜんしょうじ。京都市左京区)を建立して一族の菩提を弔い、文禄5年(1596)正月に出家しました。
慶長3年(1598)に秀吉が世を去り、慶長17年(1612)に夫・吉房が先立ち、そして慶長20年(1615)には大坂夏の陣で豊臣家が滅亡するのを見届けます。
この時に最後の孫娘であったお菊(秀次の娘で山口兵内妻)も徳川家によって処刑されてしまいました。失意と孤独の中で晩年を送ったともは、寛永2年(1625)4月24日に92歳で天寿をまっとうしたということです。
今上陛下も!?ともの子孫たち
かくして豊臣家の興隆と栄華、そして滅亡までを見届けた”とも”。しかし彼女の子孫が、実は現代日本にも存在していました。その一人が、今上陛下すなわち現在の天皇陛下です。※ともから今上陛下までの略系図
とも ─ 豊臣秀勝 ─ 豊臣完子(さだこ)─ 九条道房 ─ 待姫 ─ 九条輔実(すけざね)─ 九条幸教(ゆきのり)─ 二条宗基(むねもと)─ 二条治孝(はるたか)─ 九条尚忠(ひさただ)─ 九条道孝 ─ 貞明皇后 ─ 昭和天皇 ─ 上皇陛下 ─ 今上陛下
他にも多くの子孫が繁栄しており、豊臣兄弟姉妹の中で最もパワフルだった?ともに相応しいと言えるでしょう。果たして大河「豊臣兄弟!」では、どんな活躍を魅せてくれるのか、宮澤エマの好演が楽しみです!
【参考文献】
- 杉山博(編)ほか『豊臣秀吉事典 コンパクト版』(新人物往来社 2007年)
- 黒田基樹(編)『羽柴秀吉一門(シリーズ・織豊大名の研究)』(戎光祥出版 2024年)
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