【豊臣兄弟!】『太閤記』から見る織田信長が秀吉に敵地に要害を造ることを許した理由

  • 2026/02/24
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟」第7回は「決死の築城作戦」。『太閤記』(江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が記した秀吉の一代記)には美濃攻めの際に秀吉が主君・織田信長に叱責されたとの逸話が記されています。

 信長が美濃国に発向した時、見られぬ旗を指している者を見かけます。信長が「誰ぞ」と尋ねると「木下藤吉郎秀吉の旗にございます」との返答がありました。信長は「一体、誰の許しを得て指しておるのか」と大いなる怒りを見せます。怒りの言葉を発するのみならず、信長は旗竿を切り落としてしまうのでした。ところが秀吉は信長の行動を恨みに思うこともなく、軍勢の先頭に進み、または殿(しんがり。軍勢の最後尾)で活躍していたとの逸話が『太閤記』に記述されているのです。

 信長は美濃国の西方を焼き払い帰陣しますが、思うような戦果が出ていないことに頭を悩ませていました。ある時、信長は老臣を呼び集めて評議します。その時、信長は「度々、美濃国に攻め入り、敵方に攻撃を加えているが、敵は屈服する気配もない。かえって味方の兵の士気が緩み、軍勢は疲れ成果はあがっていない。よって川向かいに要害を拵え軍勢を入れ置き、謀計を尽くし、戦功を励まし、美濃一国を平定し、長年にわたる忠勤に報いたいと思うが如何」と皆に語りかけたと言います。重臣は信長の見解に賛同したので、信長は上機嫌でした。

 しかし問題は誰が敵地に城を造るかです。が「誰が城を造るか」との信長の問いに手を挙げる者はいませんでした。暫くして信長は秀吉を呼び寄せ、要害の件をどう思うかを密かに相談します。秀吉は「当国には夜討ち・強盗を営みとしている者の中に良き兵(つわもの)が多くおります。それらの者を選び出して部隊に組み入れ、要害に入れ置くのは如何でしょうか」と憚ることなく言上するのでした。信長は秀吉の主張に賛成します。

 秀吉はこの作戦の大将になりたいという者が出なければ「それがしを遣わして欲しい」と願い出るのです。(出しゃばりな奴だ)と信長は内心感じつつも、秀吉の強気に感心し、その主張に賛成するのでした。秀吉の「大志」を信長は誉めて帰したと言います。難しい作戦に皆が尻込みする中、自ら志願した秀吉の「強気」と「大志」に信長は感心したと『太閤記』は記述しているのです。

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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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