【豊臣兄弟!】人間心理をよく理解していた織田信長の小牧山移転に関する話
- 2026/02/02
- ※本記事は一部にプロモーションを含みます
大河ドラマ「豊臣兄弟」第5回は「嘘から出た実」。永禄6年(1563)、織田信長は居城を清須から小牧山に移します。信長家臣の太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』には小牧山への移転にまつわるユニークな逸話が掲載されています。
信長はある時、家臣らを悉く召し連れて、山の中の高所である二の宮山(犬山市内)に登りました。そして家臣らに「この山に要害を築く。よって皆々、家宅を移すように」と命じるのです。「この嶺、あそこの谷間には誰々が作れ」と具体的に屋敷の割り当てに関する指令を出す信長。その日はそのまま清須に帰りますが、後日、信長はまた前述の移転話を持ち出すのです。
清須は尾張国の中心であり、富裕の地でありましたので、正直、家臣らは信長の命令に困惑し「この山中へ清須の家宅を移すというのは・・難儀なことだ」と迷惑顔。そうした頃合いを見計らって、信長は前言撤回し「小牧山に移ろう」と言い出すのです。小牧山は山の麓まで川が続き、資財・雑具を運ぶのにも便利な土地でした。その事もあって、家臣らは「わぁ」と喜んで小牧山に引っ越したのです。
小牧が便利な土地であったとしても、信長が最初から小牧山に移ろうと宣言していたら、家臣はいい顔をしなかったはず。やはり住み慣れた清須の方が良いと反発したはずです。それを見越していた信長はあえて最初はより難所の二の宮山への移転話を持ち出し、その後でそれよりはかなりましな小牧山への移転に切り替えたのでした。そうすれば家臣たちの移転への精神的ハードルが下がると考えたのです。信長はこの点に関しては人間心理というものをよく弁えておりました。
信長が小牧山へ移ったのは、犬山城主・織田信清(信長の従兄弟。当時は美濃斎藤氏に通じていた)へ圧力をかける意味合いがあったと言われています。小牧山からそう遠くない場所の小口に信清の支城がありましたが、小牧山に築城されていくのを見て、城を明け渡し犬山城に退いていきました。早速、小牧山移転の効果が出たと言えるでしょう。



コメント欄