【豊臣兄弟!】織田信長が足利義昭に突きつけた「五ヶ条の条書」の真の狙いとは?
- 2026/04/06
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大河ドラマ「豊臣兄弟」第13回は「疑惑の花嫁」。
永禄11年(1568)、織田信長は足利義昭を奉じ上洛し、義昭はついに征夷大将軍に任じられます。義昭は将軍になったとは言え、自力で天下を治める力はありませんでした。信長の後ろ盾が必要だった訳ですが、そうなると、どうしても信長の発言力というものが増してきます。それを象徴するのが、元亀元年(1570)1月に信長から出された「五ヶ条の条書」というものです。
「条書」は朝山日乗(信長に重用された僧侶)・明智光秀宛に出され、義昭はそれに黒印を押し、内容を認める形となりました。では「条書」の内容はどのようなものだったのでしょう。
1つは、将軍が諸国へ御内書(書状)を送る時は、信長に事前に知らせて信長の書状も添えること。義昭は諸国の大名に書状を送り、和睦を促したりしていましたが、信長は義昭の行動を監視しようとしたのです。信長が知らないうちに手紙を出すということができなくなります。
2つ目は、これまで義昭の「御下知」(例えば知行の安堵・宛行など)は全て破棄、もう一度よく思案して定めること。こう言われたら義昭としても気分の良いものではなかったでしょう。
3つ目は幕府に対して忠節があった者に恩賞を与えたいと思っても恩賞地がなければ、信長の領地を提供しても良い。これは一見、義昭に有利な申し出に見えますが、恩賞の配分を義昭が自由に行えないということになります。
4つ目は、天下のことは全て信長に任せ置かれたのだから誰であっても将軍の見解を聞かず、信長の分別で「成敗」する。義昭など眼中にないとでも言いたげな文言です。
5つ目は、義昭は朝廷のことを油断なく務めれば良い。「天下静謐」のことは信長が務めるので、義昭は朝廷への対応をしっかり行ってくださいと信長は主張しているのです。
義昭が(それでも良い)と思う性格でない限り、両者の決裂は時間の問題でした。信長は義昭を「象徴将軍」として祭り上げ、実権は自分が握ろうとしたのです。
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