【豊臣兄弟!】織田信長は浅井長政らの首を前にして何を語ったのか?
- 2026/05/11
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大河ドラマ「豊臣兄弟!」第18回は「羽柴兄弟」。
天正元年(1573)、織田信長は越前国の朝倉義景、北近江の浅井長政(妻は信長の妹・お市)を滅亡に追い込みます。その翌年、つまり天正2年(1574)の正月一日、都やその隣国の諸将は、岐阜にいる信長に挨拶に参上しました。酒宴が行われ、それが終わると諸将は退出。部屋には御馬廻(大将の馬の周囲に付き添う親衛隊的存在)のみが残ります。その席にこれまで見たことも聞いたこともないような「珍奇の御肴」(肴とは酒を飲む際に添えて共に楽しむ対象のこと)が登場し、また酒宴となるのです。
ではその珍しい「御肴」とは何か。それは「朝倉左京大夫義景首」「浅井下野首」(浅井久政。長政の父)、「浅井備前首」(浅井長政)だったのです。信長が討ち滅ぼした敵将の首が漆で固められ、更に金泥で薄く彩色されて「御肴」として出されたのでした。首を前にして信長とその馬廻衆は御謡、遊興したのです。これは信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』に記されている有名な逸話です。
この逸話は江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵の著作『信長公』にも記述されています。同書には「珍しき肴あり」として、先ず「黒漆の箱」が酒席に出されたと記されます。(これは一体、何であろう)と皆、怪しんでいたところ、柴田勝家がその箱の蓋を開けたとのこと。すると箱には漆で固められ金泥で薄く彩色された首3つ(朝倉義景、浅井久政・長政父子の首)が入っていたのです。その肴を前に皆、歌い舞ったと言います。
暫くして信長は次のように語ります。
と。そして信長は多くの刀・脇差を家臣に下賜したのでした。『信長記』は『信長公記』より史料的価値が下がるとされますが、『信長公記』にはない話も含まれており、興味深い書物ではあります。

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