【豊臣兄弟!】織田信長が秀吉に激怒!兄・秀吉の危機に小一郎は?

  • 2026/05/18
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第19回は「過去からの刺客」。

 天正5年(1577)、織田信長は柴田勝家を総大将として、加賀国に出陣させます。勝家に従う武将は滝川一益・羽柴秀吉・丹羽長秀・前田又左衛門(利家)・佐々内蔵助(成政)などでした。加賀に乱入した織田軍は、小松村(小松市)や富樫(金沢市)などを焼き払い、陣を構えます。ところがこの時、羽柴秀吉は主君・信長の許可を得ずに無断で「帰陣」してしまうのです。

 『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)にはその理由は書かれていません。しかし信長が「曲事」として大いに怒ったということは書かれています。秀吉が謹慎・蟄居していたなどのことも同書には記述されていません。ところが『武功夜話』(尾張国の土豪・前野家の動向を記した覚書などを集成した家譜の一種。偽書説もあり史料的価値は低いとされる)には、無断帰陣が理由で秀吉は長浜に蟄居していたとあります。

 秀吉は織田重臣の林佐渡守を通して、今回の件を信長に謝罪せんとしたとあります。主従は対面することになりますが、信長は平伏する秀吉を前にして当初、言葉を発しなかったとのこと。城中の控えの間には、浅野弥兵衛・蜂須賀小六・前野将右衛門・竹中半兵衛そして秀吉の弟・小一郎(秀長)がおりました。

 浅野弥兵衛は心配の余り、小用に3度までも立ち、蜂須賀小六などは斬り死を覚悟して懐中の短刀を撫していたそうです。小六は秀吉は信長から許されず処刑され、自分たちも信長により殺されると踏んでいたのです。しかし「易々とは討たれぬぞ」と小六は短刀を撫し、辺りを警戒していたのでした。

 では小一郎はどうであったのかというと、無言のまま白扇を開いて懐に風を入れ、庭先にある菊花を見つめていたのです。浅野弥兵衛や蜂須賀小六に比べて、余裕の表情の小一郎が『武功夜話』には描かれているのです。同書の別の箇所には小一郎は大敵と遭遇しても顔色ひとつ変えない胆力の持ち主と記されていますが、今回の逸話もそれを表すものでしょう。

【参考文献】
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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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