【豊臣兄弟!】織田信長はなぜ兄・秀吉よりも秀長を「優遇」したのか?

  • 2026/06/08
:歴史学者・作家・評論家
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 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第22回は「播磨大誤算」。

 羽柴秀長は、兄・秀吉の誘いを受けて、織田信長に仕官することになります。この事は秀長の運命を大きく変わることになりますが、秀長は最初から秀吉の下で働いていた訳ではなく、当初は信長の直臣だったと考えられています。しかも秀長は信長の「長」の字を与えられ「長秀」と名乗っていました(本稿では煩雑となるので、基本的には秀長と記載)。

 天正2年(1574)、信長による伊勢長島一向一揆攻めで、秀長は信長の御馬廻衆(親衛隊)・浅井信広と共に「先陣」を務めています(信長の一代記『信長公記』)。よって秀長も信長の御馬廻衆だったとの見解があるのです。

 秀吉は小者奉公から織田家への仕官をスタートさせていますので、これをもってして、信長は秀長を秀吉よりも「優遇」していたとする説もあります。そしてその違いを秀吉・秀長兄弟の父の違いに求めるのです。秀吉の父(弥右衛門)は織田家の足軽、秀長の父・筑阿弥は主君の側近く仕える織田家の同朋衆。この父の奉公歴の差が秀長を信長が「優遇」した理由ではないかというのです。

 しかし、近年では「豊臣兄弟」は同じ父のもとに生まれたとする説が有力です。そうだとすると、2人の父の奉公歴の差が「優遇」した理由とは言えなくなります。筆者は信長が秀長を「優遇」した根本的理由は別にあると考えています。1つは、秀吉が秀長よりも早くから織田家に仕えて、信長からその才能を認められていたこと。2つは秀吉が小柄だったので、身体能力が必要な馬廻衆には向かなかったこともあるのではないでしょうか(秀長が小柄だったとする話は現時点においては出てきていません)。

 こうした理由から、筆者は信長が秀長を馬廻衆として「優遇」したと考えています。秀吉は身体能力ではなく「頭」、秀長は身体能力で、当初、織田家に仕えていたと言えるでしょうか。

【参考文献】
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  この記事を書いた人
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。 武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。兵庫県立大 ...

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