日本史の中でも戦国期は、その波乱の情勢と濃密な人間の生きざまを感じることから、多くの人の心をつかんで離さない時代であるといえるでしょう。あまたの戦国大名が興り、それぞれに勝利と敗北を繰り返しながら版図の拡大や権益の強化、そして最終的には全国の平定を目指して戦いの日々を送っていました。
「下剋上」という言葉が生まれたのもこの頃で、弱かった者が自身より強い者を打ち倒して勝者となり、そしてまた新たな敵の前に敗者となる……。そんな中、やがて「三英傑」とも呼ばれる天下統一への道筋をたどった三人の武将が登場します。
いわずと知れた「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」のことですが、中でも信長は実質的な天下人への王手をかけ、後の天下統一ヘのルートを切り開いた人物でもあります。
その信長が歴史の表舞台に躍り出るきっかけとなったのが、世に名高い「桶狭間の戦い」でしょう。
圧倒的な戦力差がありながら、寡兵による奇襲攻撃ではるかに格上の軍を破り、織田家の栄華への第一歩となったといっても過言ではない出来事です。
信長が撃破した武将の名は、「今川義元」。当時「もっとも天下に近い」と称されながら、あり得べからざる敗北によって滅びた東海地方随一の戦国大名です。信長の活躍と対比されることが多く、あくまでも「敗者」としてのイメージが強い今川義元ですが、近年その能力や人物は公平な視点で再評価されつつあるようです。
今回はそんな武将を輩出した、今川氏の家紋についてのお話です。
そもそも今川義元を生んだ「今川氏」とは、どのような氏族だったのでしょうか。
今川氏は「吉良」という氏族の分家にあたりますが、この吉良家は足利将軍家の同族で「渋川氏」「石橋氏」と並んで「御一家」と呼ばれる高い家格を有していました。
御一家は足利宗家と同じく「征夷大将軍」の継承権を持っており、つまり将軍を輩出することができる家柄であることがわかります。御一家のうち吉良氏の分派でありながらも、やはり今川は将軍継承権を持つという別格の位置づけとされていました。
また、代々駿河国の守護に任命もされてきましたが、「足利宗家が潰えたら吉良家から、吉良家が潰えたら今川家から将軍を出す」という意味の伝承もあり、名実ともに将軍の地位にもっとも近い一族のひとつであったといえるでしょう。
そんな超名門の今川氏ですが、家紋もその家格に恥じない相応のものを用いていました。
ひとつは「丸に二つ引両」、そしてもうひとつは「五七花桐」です。
丸に二つ引両の紋は、足利宗家の定紋としてよく知られています。
丸の内に二本の太い線を引いたシンプルなデザインですが、足利家の陣幕の横線がモデルになったとも、上下の線が2匹の龍を表しているともいわれる伝統的な紋様です。
今川氏は御一家の分家という立場でありながら宗家と同じ家紋を用いたことから、その家格への自負や誇りを示した証でもあるのでしょう。
「五七花桐」に見られる「桐」の紋は、本来「菊花」と並んで皇室が用いる紋章でありました。
歴史上初めて天皇より桐紋の許しを得たのは、足利将軍家初代の「足利尊氏」であるとされ、以後の武家のなかには、やはり時の天皇より桐紋を拝領する者が現れるようになります。
今川氏が足利宗家に許された桐紋を使用していることは、まさしく宗家に非常に近い格の証ともいえますが、紋のデザインは足利独自のアレンジを加えた「花桐」というタイプとなっています。
通常の桐紋に見られる葉の上の「五・七・五」の数で配置された蕾状の部分が、花のように開いた形となっているのが特徴です。
桐の紋は現在でも皇室、ひいては日本国の紋として認知されており、官邸の備品や500円硬貨の図柄などにも用いられています。
このようなことから、今川氏が超名門の一族であったことがよくわかりますね。
敗北者のイメージのみが一人歩きしてしまっている感のある今川義元ですが、「海道一の弓取り」という最大級の賛辞で語られる有能な武将であったことが知られています。
「海道」とは東海道のことで、東海地方を指しています。
「弓取り」とは戦士や武士の異称で、「東海地方一の武将」といった意味となります。
同様の賛辞で語られるのはほかに「徳川家康」ただ一人であり、当時の義元がいかに有力な戦国大名であったかを推し量ることができます。
また、自身の家中による領国統治や周辺諸国との折衝等、内政や外交にも優れた手腕を発揮したことが記録からうかがえ、決して家格と武力だけに頼った人物ではなかったとして近年その評価が高まりつつあるようです。
今川義元は足利将軍家と深いゆかりのある今川氏第11代の当主でしたが、まるで「下剋上」を象徴するかのような劇的な敗北を喫したことからこれまで過小評価されてきた武将といえるのではないでしょうか。
歴史研究の進展とさまざまな視点の広がりから、その事績を公平かつ冷静に分析する風潮が高まっています。
伝統的な足利将軍家の紋の使用も含め、今川氏の歴史的評価が一新される日も遠くないかもしれませんね。
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