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 2019/03/04

伊達政宗所用の甲冑解説!トレードマークは三日月の兜と重厚な造りの鎧。

伊達政宗のトレードマーク・三日月の兜
伊達政宗のトレードマーク・三日月の兜

侠気があり、派手な振る舞いをする洒落者のことを「伊達」といいます。この言葉のもとになったのは、言わずと知れた戦国武将「伊達政宗」の生きざまです。

東北の雄・政宗はその磊落な振る舞いや奇抜な衣装、そして豪快なエピソードに彩られた人物で、戦国武将の中でも屈指の「かぶき者」として知られています。そんな政宗は、いわば戦国期のファッションリーダーともいえる独自のセンスを持っていました。 服飾やヘアスタイルは言うに及ばず、それは武将の生命を守る甲冑にもあらわれていたのです。

本コラムでは、伊達政宗を象徴する「甲冑」についてフォーカスしたいと思います。
(文=帯刀コロク)

政宗のトレードマーク、「黒漆塗五枚胴具足」

「鎧」や「兜」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのはどんな形と色のものでしょうか?もしかすると伊達政宗の甲冑は、そんなイメージの筆頭格として挙げられるかもしれません。

漆黒で統一された装甲に、大きな三日月形の兜前立て。誰しも一度は目にしたことがあるといっても過言ではない、「黒漆塗五枚胴具足」が政宗の代表的な鎧です。

そのスタイリッシュで神秘的な佇まいは、映画『スター・ウォーズ』で圧倒的な存在感を放つヴィラン、「ダース・ヴェイダー」のデザインヒントとなったことはあまりにも有名です。

伊達政宗所用「黒漆五枚胴具足」(仙台市博物館蔵。出所:政宗が育んだ“伊達”な文化)
伊達政宗所用「黒漆五枚胴具足」(仙台市博物館蔵。出所:政宗が育んだ“伊達”な文化

鎧の名前はずいぶんと長く、難しい字も多いので一見わかりにくいようにも感じますが、実は「色・構造・形式」を表したとてもシンプルなものになっています。

上記の内容に当てはめて、政宗の「黒漆塗五枚胴具足」がどのような鎧だったのかを読み解いてみましょう。

まず、“黒漆塗”とは読んで字のごとく、黒漆塗装で仕上げたことを意味しています。この鎧の印象的な黒いツヤは、漆によるものであることがわかりますね。

次に“五枚胴”とあるのは、胴体を覆う部分には五枚の鉄板を用いている、という意味です。 この枚数は装甲の厚みではなく、いくつのパーツで構成されているかということを表します。 五枚胴であれば、腹面・背面・左脇に一枚ずつ、そして右脇に二枚の鉄板が配されているのが標準的な造りです。

最後の“具足”は甲冑そのものという意味でも使われますが、厳密にはいくつかある鎧の種類を表しているものです。

政宗が生きた戦国時代は、集団戦の発達や鉄砲の登場などにより、鎧に求められる強度の質が変化していった時期でした。 軽さと動きやすさを要求されつつ、弾丸の直撃にも耐えられる構造が工夫されました。それらを源平合戦の頃の「大鎧」に対して「当世具足」と呼び、政宗の鎧はまさしくそんな当世具足であったことを示しています。

政宗の甲冑の意匠と機能について

政宗の鎧を見てみると、意外にも渋くなんとなくメカニカルな印象を受けはしないでしょうか?その秘密は重厚で飾り気のない、メタリックな胴にあります。

平滑な表面とゆるやかな曲線の装甲は、弾丸や刀槍を受け流しやすいというメリットをもっています。 また、胴を構成する五つのパーツは蝶番(ちょうつがい)で接合されており、このタイプは分解が容易なことから「解胴(ほどきどう)」ともいいます。

政宗は足軽に至るまでこの胴を推奨したため、やがて「仙台胴」と呼ばれ伊達家中を象徴する鎧ともなりました。

源平合戦頃の大鎧では、敵の矢から身を守るために「袖」と呼ばれるシールド状の大きな装甲が肩に付いていましたが、機動性を重視する当世具足ではこれが小型化、あるいは削除されていきます。

伊達家中の鎧ではほとんどが袖を設けない形式で、政宗の黒漆塗五枚胴具足もそのタイプに当たります。肩の部分は細かい鎖帷子で覆われており、いかにも軽快な腕の動きを可能にしているように見受けられます。

そして、政宗の甲冑をもっとも印象付けているパーツといっても過言ではないのが、兜に装着された大きな三日月形の前立です。 月をモチーフにした前立はよく見られるものの、政宗のそれは現存する兜の中でも最大級の派手なものとして知られています。

なぜ月なのか、という意味付けについてはさまざまな考察がなされており、胎蔵界曼荼羅の象徴や、星神である妙見菩薩への信仰などの説があります。しかし、胎蔵界曼荼羅に描かれた円は「月輪(がちりん)」、つまり満月であり、その他にも複雑な構造を描いているため三日月形の前立との関連が少しぼやけてしまいます。

また、妙見信仰についてもその神格は「北極星」であり、月そのものを表しているわけではありません。 家老である片倉小十郎の兜にも半月形の前立がありますが、その中心には「愛宕山大権現」の護符が据えられており、月=曼荼羅・妙見の説は再考の余地がありそうですね。

政宗の三日月形前立は右半身側がやや短く、左半身側に向かって長く伸びるというアシンメトリーの絶妙なデザインとなっています。金箔押しのこの前立はいかにも重厚ですが、材質は木であるため意外に軽いもののようです。

右半身側の前立が短くなっているのは、太刀を振る際に邪魔にならないようにとの実戦的な意図があるとも言われています。 しかし、構造材が肩幅を超えているように見受けられ、動きやすい当世具足とはいえ存分に太刀を振り上げることは難しかったのではないでしょうか。

もっとも、将たる者の役割は自ら白兵戦を行うことではないため、よく目立つ兜でその存在を知らしめることにこそ、意義があったといえるでしょう。

政宗の甲冑を考察する

最後に、政宗の鎧について少し考察し、まとめとしたいと思います。

派手好きなかぶき者の政宗ですが、部隊の鎧は黒で統一したといわれ、少々意外な気もしますね。 戦国期には絢爛な甲冑で武者ぶりをアピールすることも重要だったため、奇抜な甲冑で衆目を驚かせたのではとイメージします。

右目が見えなかったという政宗を「独眼竜」というのはよく知られていますが、これは元々、彼が尊敬する中国・唐代末の軍人「李克用」の二つ名だったものです。

李克用の軍は黒い装備で統一され、その様子から畏怖の念をもって「鴉軍(あぐん)」と称されたそうです。 政宗はその故事にあやかり、黒ずくめの甲冑を選んだのではとも言われています。加えて、出兵などで違う家中の部隊と並んだときに、もしかすると黒ずくめの軍団はかえって目立ったのではないでしょうか。

趣向を凝らした色とりどりの武者が林立する中、額に黄金の三日月を頂く漆黒の甲冑がひときわ存在感を放つ……。 そんな様子を想像すると、それこそ政宗の計算通りだったのかもしれませんね。



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