「このきんかん頭!」明智光秀のあだ名「きんかん」って何?

本名ではなく見た目や性格などからつけられるあだ名。「ニックネーム」ならいい印象もありますが、「あだ名」というとつけられた側からするとなんだか嫌な気持ちになることもあり……。

周りの人はおもしろがっていても、本人にしてみれば悪口に感じられることのほうが多いものですよね。光秀のあだ名「きんかん頭」も決していい意味ではなかったのです。

庚申待の酒宴の席のエピソード

安土桃山時代の16世紀末ごろ(奥書によるが、実際は江戸時代成立とされる)に書かれた世間話集『義山後覚(ぎざんこうかく)』や、『続武者物語(ぞくむしゃものがたり)』に明智光秀のあだ名に関するエピソードが書かれています。

庚申待(庚申(かのえさる)の夜、神(猿田彦)を祀って徹夜する行事)の夜、信長は家臣ら数十人と酒宴の席にあって夜中まで盛り上がっていたのだが、光秀が途中厠に立ったのが目についた。信長はそれを咎めて「いかにきんかん頭、なぜ中座したか」とののしるばかりでなく、鑓を持って光秀を追いかけ、その穂先を光秀の首筋に当てて怒った。


ほかにも、同じく「きんかん頭」とののしって頭を叩いたとか、酒を飲まない光秀に無理強いして飲ませたとか、内容が少しずつ変わって伝わっているものもあります。

「きんかん頭!」とはじめて命名されたのがこのときかどうかは不明ですが、このエピソードが記録されていることで、信長がつけたという不名誉なあだ名はあまりにも有名です。

なぜ「きんかん頭」なの?

そもそもきんかん頭って何なのか。「きんかん」は柑橘類の「金柑」のことですが、まるで金柑のように赤く光って禿げた頭のことをいいます。

光秀は禿げだったのか……?光秀の肖像画として唯一残っているものを見ても、冠があるので禿げているかどうかは判別できません。そもそも肖像画がどこまで本人に忠実に描かれているかわかりません。

明智光秀の肖像画
明智光秀の肖像画

ではなぜ「きんかん頭」だったのか。それは、光秀の「光」の字と「秀」の字の一部を組み合わせると「禿」の字になるからだとも言われています。なるほど、名前の漢字を使ったなかなか巧妙なあだ名だったわけです。とすると、信長は禿げ頭をからかってそう呼んだのではないのかもしれませんね。

信長による造語ではない

ところで、このエピソードのおかげで「信長が光秀をきんかん頭とののしった」ことばかりが有名ですが、実はこのあだ名は信長オリジナル作品ではありません。

「きんかん頭」ではなく「きんか頭」が正しいのですが、江戸時代の俳諧にもちらほら登場しています。

「ひかりものなりあらおそろしや たれしかるきんかあたまをふりまわし〈静寿〉」(『鷹筑波集(たかつくばしゅう)』/1638年)

「きんか頭の蠅すべり」(『世話尽(せわづくし)』/江戸時代初期)

「きんか頭」は光るらしい、蠅もすべるほどつるつるらしいことがわかります。どちらの例も信長より少し後の時代ですが、古くから「きんかん」単独での使用例もあり、「きんかん=光る」ということで禿げ頭の意で使われていたようです。

本能寺の変の動機だったのか?

名前のもじりだったのなら信長にからかう意図はなかったのかもしれませんが、実は光秀はこのあだ名が気に入っておらず、信長への怨恨につながった、という説もあります。つまり、本能寺の変につながる動機のひとつだったのだ、と。

しかしどうでしょう。人ひとりを殺める動機としてはあまりにもお粗末ではないでしょうか。『明智光秀のすべて』(新人物往来社)において、宮本義己氏は「後まで光秀が根にもち、謀叛の動機としたとはとても信じがたい」と述べています。

そもそも信長が怒って鑓を突きつけたとかいう話も事実かどうかは疑わしい。百歩譲ってもし似たような出来事があったとしても、これを以って光秀が信長に恨みを抱いたとは考えにくいのではないかと思われます。

「きんかん頭」のあだ名が史実かどうかですが、信長は秀吉のことを「禿げネズミ」と呼んだり、平野甚右衛門を「ちょっぽり甚右衛門」と呼んだり、いろいろあだ名をつけていたようですし、光秀が実際に「きんかん頭」と呼ばれていてもおかしくはありません。でも、別に恨むほどではなかったのではないでしょうか。


【主な参考文献】
  • 二木謙一編『明智光秀のすべて』(新人物往来社、1994年)

  • ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
  • ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。