【検証】明智光秀と濃姫は「いとこで恋仲」だったのか?秘められた美濃出身の絆と真相
- 2025/10/23
織田信長の家臣・明智光秀と正室・濃姫(帰蝶)は、いとこ同士だったという説があります。幼い頃は親しく、大人になってからも互いに想い合っていたというロマンチックなエピソードも。大河ドラマ『功名が辻』では、恋仲としての三角関係が本能寺の変に絡めて描かれました。実際のところ、いとこで恋仲だったのか?史実とフィクションを交えながら、二人の関係性を詳しく検証します。
信長の家臣と正室、美濃国出身の共通点
信長に仕えた明智光秀と、その正室である濃姫。この二人に共通しているのは、信長との密接な関わりだけでなく、美濃国(現在の岐阜県南部)出身という点です。光秀は美濃国の明智城(岐阜県可児市)生まれとされ、濃姫も美濃の大名・斎藤道三の娘として美濃に生まれました。「濃姫」というのも「美濃国の姫」という意味の通称で、本名は「帰蝶(きちょう)」または「胡蝶(こちょう)」など複数の説があり、定かではありません。
同じ国の名家出身者同士は、政略結婚などで親戚になることも少なくありません。光秀は明智氏の出身ですが、実は濃姫の母・小見の方(おみのかた)も明智氏の出身だったのです。
濃姫は光秀のいとこ?
『美濃国諸旧記』によると、濃姫の母である小見の方は永正10年(1513)生まれとされています。『明智軍記』や『大日本史料』所収「明智氏一族宮城家相伝系図書」によると、彼女の父は明智光継(みつぐ)です。
この系図のつながりから見ると、濃姫の母と光秀の父が兄弟(または姉弟)となり、光秀と濃姫はいとこ同士ということになります。
しかし、これらの記述をそのまま鵜呑みにすることはできません。『明智軍記』は歴史の一級史料ではない軍記物であり、誤りも多く信用度は低いとされています。「明智氏一族宮城家相伝系図書」も同様です。また、『美濃国諸旧記』も信頼性の高い書物とは言い難く、一級史料とは異なる記述が散見されます。
残念ながら、信憑性の高い史料には二人の関係を示す記述がありません。そのため、二人が「いとこ同士であった可能性がある」としか断言できないのが実情です。
二人は恋仲だったのか?
確かな史料がないため、上記の史料を参照することを前提に二人の関係を追ってみましょう。濃姫は天文4年(1535)生まれとされています。光秀の生年は不明ですが、通説の没年(55歳)から逆算すると、光秀は濃姫より約7歳年上になります。
濃姫が信長に嫁いだのは天文17年(1548)。濃姫13歳、光秀20歳の年でした。この頃、まだ明智十兵衛と名乗っていた光秀は斎藤道三の近習であり、濃姫とは親しい間柄だったようです。
では、ドラマのように二人は恋仲だったのでしょうか?
光秀は濃姫が信長と結婚する3年前、すなわち天文14年(1545)頃にはすでに妻木煕子(つまきひろこ)と結婚していたとされています。その頃、濃姫はまだ10歳になるかならないかの年頃です。いとこ同士として仲良く交流していたとしても、恋に発展するには幼すぎるとも考えられます。「絶対にない」とは言い切れませんが、二人が恋仲であった可能性は低いのではないでしょうか。
本能寺の変で光秀に味方したという説
『明智軍記』から生まれたエピソードの一つに、本能寺の変の際、濃姫が信長を裏切り、光秀に味方したという話があります。いとこ同士で将来を誓い合った仲だったが、政略結婚で引き裂かれた二人。最後は信長への恨みを募らせる光秀に味方し、その後の消息は不明に――。
もし事実なら興味深いロマンスですが、これは後世に書かれた創作だと考えられます。なぜなら、濃姫は信長と結婚して以降の記録がほとんど残っていないからです。実家の記録である『美濃国諸旧記』にも登場しません。
結婚後は信長の子を産むことなく、夫婦仲が悪かった、あるいは逆に円満だったなど諸説あります。早々に信長の人生から姿を消したとする離婚説・早死に説や、本能寺の変で信長と共に亡くなった説、逆に生き延びて長寿を保った説など、その最期も定かではありません。
記録が極端に少ないため、後世の人々が想像で好き勝手に物語を書き足したのでしょう。本能寺の変で光秀に味方したというのも、「仲の良いいとこ同士が政略結婚で引き裂かれた悲劇のロマンス」として、読者の関心を引くために面白おかしく創作された可能性が高いと言えるでしょう。
【参考文献】
- 藤田達生『明智光秀伝: 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館、2019年)
- 二木謙一編『明智光秀のすべて』(新人物往来社、1994年)
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この記事を書いた人
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。
卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。
当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...
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