【麒麟がくる】第17回「長良川の対決」レビューと解説

戦が始まる直前まで戦を止めようと奔走した光秀は、道三につくことを決めました。光秀が「敵は……!」と言うとどうしてもアレを思い浮かべてしまいます。本能寺での謀反と同じくらい、一か八か、一世一代の決断だったのでしょう。

高政が使った家紋

長良川の戦いで、父と対立する道を選んだ高政は道三が使った「二頭立波」の紋ではなく「撫子」の紋を用いています。この撫子紋は土岐氏の桔梗紋にちょっと似ていますが、もともと美濃守護代の家であった美濃斎藤氏が用いていたものです。

これまでのエピソードからわかるとおり、道三は本来の美濃斎藤氏の血筋ではありません。油売りから身を立てた父は主君の長井氏の姓を名乗っていましたし、道三も斎藤の名を賜るまでは長井を名乗っていました。

道三はそのまま美濃斎藤氏の撫子紋を継承してもいいようなものを、どうやら使わなかったようです。彼が使用したのは道三プロデュースのオリジナル家紋・二頭立波で、これは道三だけが用いました。

あえて新しい家紋を用いるところは、「自分の父は油売りから身を興した成り上がり者」と堂々と言い放つ “正直者” の道三らしいですよね。

一方、「道三、わが父に非ず」と言ってのけた高政は、自分の本当の父だという土岐頼芸の桔梗紋を使うでもなく、本来の美濃斎藤氏の撫子紋を使う。道三の子であることを口では否定するけど、美濃斎藤氏の名は捨てきれない、なんとも中途半端な感じがします。


道三の最期、「親殺し」の高政

長良川の戦いは道三の兵力が2000~3000であるのに対し、高政は1万以上。力の差は始まる前からわかりきっています。それでも道三が戦いに挑んだのはなぜでしょう。

実際の道三がどういう思いで息子との決戦に向かったのかはわかりませんが、「麒麟がくる」の道三は息子の誤りを正しに行ったわけです。単騎で駆けていく道三のシーンはたまりませんでした。

まあ、そこでただ敗北してやるつもりはないというのがマムシらしいところで、道三は最後に「親殺し」の罪を子に負わせ、死んでいきました。直前に稲葉良通が「親殺しは評判が悪い」とつぶやくシーンがあるところがまた嫌味っぽい。

儒教的価値観に基づけば子は親の所有物なので子殺しは大した罪になりませんが、親殺し、特に父殺しは最も罪が重い。だから、高政はこれからその罪を背負って生きていかねばなりません。実際、この戦のあと高政は出家しているので、罪の意識はあったかもしれません。

ただ、儒教的価値観を外して見れば、「父殺し」は物語の類型としては「成長」や「革命」として描かれることが多いものです。神話やギリシャ悲劇の「オイディプス王」、映画「スター・ウォーズ」もそう。子にとって父は最大の敵で、それを倒すことで何かが得られるもの。

他にも、例えば漫画「ゴールデンカムイ」で尾形は「父殺しは通過儀礼」と言っている。つまり父殺し神話は古代からよくある話型なのです。

殺しという物騒な形ではないにしても、何らかの形で「父を超える」ことはいろんなヒーローの成長として描かれてきたことですが、父に勝利した高政がゆく道は正義のヒーローとして称えられる幸せな道ではありません。信長との関係は悪くなり、高政(義龍)の嫡男・龍興の代になると信長に滅ぼされてしまうのです。

こうなってしまうのはやっぱり高政が正直者ではなく偽りを申す者だったからなのか……。


敗者の道を選んだ明智家

道三に与した光秀でしたが、主君の死に間に合いませんでした。光秀もまた「真の気持ちを聞きたい。道三様はそなたの実の父親ではなかったのか」と高政に問います。

ここで高政が正直に答えていればあるいは違った形になったかもしれませんが、高政はやはり「わしの父親は土岐頼芸様」と答えたのでした。

この問いがふたりの関係を修復する最後のチャンスだったと思うのですが、光秀はとうとう意見を変えなかった高政に別れを告げ、落ち延びる道を選びます。

明智城で叔父・光安は光秀に家督を譲り、水色桔梗の四半旗を手渡しました。「後から追う」と言って光秀、左馬之助を先に逃した光安の死ははっきりとした形で描かれませんでしたが、逃れた光秀は炎上する城を見ています。

軍記物では、光安は明智城に籠城して落城と同時に自害したとされています。


光秀は帰蝶の計らいで越前へ

高政方に追われる光秀を救うのは帰蝶です。もともと戦を避けて父を越前に逃がすよう手配していた帰蝶は、伊呂波太夫を光秀のところへやって、越前の名門・朝倉義景を頼るよう取り計らったのです。これは長年の通説どおりの流れです。

光秀は諸国を放浪したとか医者として知識をつけて活躍したとかいろいろ説はありますが、今後「麒麟がくる」ではどの説が採用されるのか楽しみです。

帰蝶は弟二人を失い、助けられたはずの父は言うことを聞かず死にに行き、今回誰よりもままならない身で辛かったのは帰蝶かもしれません。

観音経を写経して気を紛らわそうと必死なのに夫は「親父殿が!」と落ち着かぬ様子で加勢に向かった。「皆愚か者じゃ!」という帰蝶は思い通りにいかないもどかしさと夫が父を助けに行った嬉しさ半々というところでしょうか。いや、愚か者とは本当に、そのとおりで……。長良川の戦いは愚か者のケンカです。

戦が始まってしまえば帰蝶には写経をするくらいしかできることはなく、前田利家の報告を聞いてようやく動くことができるのです。一瞬だけ泣いた帰蝶は、次の瞬間には伊呂波太夫を呼んで光秀を逃がす計画へ。

名門の越前朝倉氏当主・朝倉義景は、正室が細川晴元の娘、継室が近衛稙家の娘と、朝廷とも幕府とも密接なつながりをもつ大名です。のちの将軍・義昭も義景を頼って越前に身を寄せました。

道三が去って、今度はユースケ・サンタマリアさんの義景。また一癖ありそうなキャラクターです。


【参考文献】
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)
  • 横山住雄『中世武士選書29 斎藤道三と義龍・義興 戦国美濃の下剋上』(戎光祥出版、2015年)
  • 二木謙一編『明智光秀のすべて』(新人物往来社、1994年)
  • 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)
  • 高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館、1958年)

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
東滋実 さん
大学院で日本古典文学を専門に研究した経歴をもつ、中国地方出身のフリーライター。 卒業後は日本文化や歴史の専門知識を生かし、 当サイトでの寄稿記事のほか、歴史に関する書籍の執筆などにも携わっている。 当サイトでは出身地のアドバンテージを活かし、主に毛利元就など中国エリアで活躍していた戦国武将たちを ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。