旧・東急東横線渋谷駅 カマボコ屋根の駅舎があった頃……

旧・東急東横線渋谷駅のかまぼこ屋根
旧・東急東横線渋谷駅のかまぼこ屋根

再開発で激変している渋谷

「えーと、東口はどっちだろうか?」

 とか、最近は渋谷駅で電車を降りたら必ず迷ってしまう。

 平成24年(2012)に「100年に一度」といわれる大規模な再開発がスタートしてからの10数年間、駅構内や周辺ではずっと工事がつづいている。来る都度に改札口からの道筋や景観が激変して、記憶の書き換えが追いつかない。

2025年現在も再開発中の渋谷駅西口
2025年現在も再開発中の渋谷駅西口

 私の記憶にある渋谷駅……まず思い浮かぶのは地下鉄の駅が地上 3 階にあったこと。銀座線のオレンジ色の列車が、山手線よりも高い場所に設置された高架線路を走っていた。

 銀座線渋谷駅と一体化した東急東横店の壁には、ぽっかりとトンネルのような穴が開き、そこに列車が吸い込まれてゆく。改札口を出るとすぐ、東急東横店の文具売場があった。売場にならぶ高級そうな万年筆などを眺めながら、百貨店の中を通って東急東横線の乗り場へ。と、いうのが昔よく歩いたルート、それならいまも迷わずに行ける自信はあるのだが。

2012年の東急東横店(出典:wikipedia、撮影:Ippukucho)
2012年の東急東横店(出典:wikipedia、撮影:Ippukucho)

思い出はすべて地下の深くに埋められて

 東急東横店は、昭和9年(1934)に完成した東横百貨店がルーツ。東京では初の本格的なターミナルデパートで、2 階には東京横浜電鉄(東急東横線の前身)の駅があった。また、昭和13年(1938)12月には3階に東京高速鉄道(銀座線の前身)の駅も設置され、翌年には浅草〜上野間が全通している。

 昭和20年(1945)5月の山手大空襲で被災し館内が全焼したが、幸い建物自体は残り、終戦から数年後には全館営業を再開している。

 戦後の経済発展と歩調をあわせるように、西館や南館などが増築されて規模は拡大してゆく。そして、JR山手線の線路や駅を囲む巨大で複雑な建造物ができあがり、それが「渋谷駅」の景観として親しまれるようになった。

 長年にわたり増改築を繰り返してきた内部は、まるで迷宮のようだったが、いまの渋谷駅とは違って迷うことはなかった。考えてみると、それも不思議なことではある。

 そんな渋谷駅の象徴ともいうべき眺めも、もはや見ることはできない。令和2年(2020)3月をもって東急東横店は営業を終了し、いまは取り壊されて影も形もない。百貨店の 3 階にあった銀座線は、地下鉄が本来あるべき場所の地下3階に移り、また、東横線も平成25年(2013)には地下化されている。

渋谷駅周辺(上の写真が2007年、下が2019年。出典:国土地理院地図)
渋谷駅周辺(上の写真が2007年、下が2019年。出典:国土地理院地図)

 私の渋谷駅の思い出も、みんな地下の奥深くに埋められてしまった。

渋谷駅前の空は昔よりも狭くなった!?

 80年代に上京した当初、祐天寺に住む友人宅に1ヶ月ほど居候していたことがある。その時には毎日東横線に乗って渋谷まで通った。あのカマボコ屋根の駅舎や駅前に建つプラネタリウムの屋根が印象的な東急文化会館をいつも目にしていた。

 東京で暮らしはじめたばかりの頃だけに、思い出深い。残像が鮮明に残っている。そう思っていたのだが……渋谷駅東口に出て付近を眺めまわしてみると、その自信もすっかり揺らいでしまう。

 現在、東口駅前の東急文化会館は「渋谷ヒカリエ」に建て変わった。また、東横線の駅舎や東急東横店の跡地は、渋谷ヒカリエよりもさらに高い230メートルの「渋谷スクランブルスクウエア」や「渋谷ストリーム」などの超高層ビルが林立している。

渋谷駅東口バスターミナルと渋谷ヒカリエ
渋谷駅東口バスターミナルと渋谷ヒカリエ

 地上から見上げると、高層ビルに覆われた空の眺めは狭くて圧迫感がある。昔の渋谷駅東口駅前から眺めた空はもっと広々とした感じだったのだが。そういえば、駅前のバスターミナルもまた昔よりも狭く思える。

「これも目の錯覚か、いや、本当に狭くなっているのか?」

 分からなくなってきた。

 大変貌した駅前の景観を眺めるうち、鮮明だったはずの残像も朧げに霞んでしまう。昔の記憶を呼び起こそうと「渋谷リバーストリート」に行ってみることにした。

 東急東横線が地上を走っていた頃、渋谷川に沿って高架の線路が、現在は渋谷ストリームの方向へと延びていた。鮮やかな赤色に塗装された電車がさかんに行き来し、川面にその姿を映していた。渋谷リバーストリートは、その線路跡を整備して造られた約600メートルの遊歩道である。

渋谷リバーストリート
渋谷リバーストリート

遊歩道沿いには鉄道遺跡がいっぱい

 リバーストリートの南端近くに行ってみる。鎌倉街道に面した場所は、コンクリートが一段高く盛られている。戦前までここにあった並木橋駅のホームを模したものだという。太平洋戦争の空襲で駅舎が全焼し、その翌年には駅も廃止されてしまった。この付近には多くの女学校があり、ここのホームを降りてぞろぞろと並木橋を渡るセーラー服の集団がよく目にされたのだとか。

旧・並木橋駅ホームを模したコンクリート
旧・並木橋駅ホームを模したコンクリート

 リバーストリートの道沿いに描かれた数字は、東横線の高架線路の橋脚があった場所を示すものだ。「52」とあれば渋谷駅から数えて52番目の橋脚ということ。道沿いには橋脚を支えていたコンクリートの台座、鉄製の高架橋など貴重な鉄道遺跡も多く残されている。鉄道マニアにも興味深い。

線路高架橋の台座
線路高架橋の台座
八幡橋と交差する東横線高架の画像
八幡橋と交差する東横線高架の画像
東横線高架と同じアングルから撮影した現在の八幡橋近辺
東横線高架と同じアングルから撮影した現在の八幡橋近辺

 蛇行する渋谷川に沿ったリバーストリートは微妙にカーブしている。そういえば、地上を走っていた頃の東横線に乗った時もこのカーブを背中や尻に感じていた。懐かしい。渋谷駅が近くなって徐行運転する列車は、線路の曲がりにあわせてガタゴト揺れる。クロスシートに座る体も左右に緩やかに振られて、渋谷川に沿って曲がる線路が体感できた。

蛇行する渋谷川とリバーストリートの風景
蛇行する渋谷川とリバーストリートの風景

 リバーストリートには、かつての東横線の軌道をなぞるようにしてレールが埋め込まれている。それを辿って歩けば、なんだか本当に電車に乗っているような臨場感も少し味わえる。

 金王橋を越えて渋谷ストリームに入る。と、飲食店がならぶ館内の通路にもレールはつづいていた。さらに進んで渋谷ストリームの出口付近まで行ったあたりで、通路の幅が少しずつ広がってくる。橋脚の番号が「13」になったあたりでレールはふたつに分離した。このあたりはもう東横線が地上を走っていた頃は駅構内だった場所である。

渋谷ストリーム館内に埋め込まれたレール
渋谷ストリーム館内に埋め込まれたレール

 渋谷ストリームと向かいにある渋谷スクランブルスクウエアの間には、地上駅だった頃の駅舎の幅とほぼ同じサイズの広々とした歩道橋が設置されている。路面には白いペンキで1〜3のトラックナンバーが書いてあった。かつてこの場所には4面4線のホームがならんでいた。歩道橋には旧駅舎ホームのカマボコ屋根も再現されている。

渋谷ストリームとSHIBYA SKYを結ぶ歩道橋とホームのペイント
渋谷ストリームとSHIBYA SKYを結ぶ歩道橋とホームのペイント
渋谷ストリームとSHIBYA SKYを結ぶ歩道橋と高速道路
渋谷ストリームとSHIBYA SKYを結ぶ歩道橋と高速道路

 歩道橋の階段を降りて玉川通りに出てカマボコ屋根を見上げる。駅舎を貫くようにして通っていた首都高速道路3号線も懐かしい。昔はこのアングルでよく眺めたものだった。

東急の旧ロゴのあるマンホール蓋
東急の旧ロゴのあるマンホール蓋

 そして、ここでまた面白い発見が……足元のマンホールに刻まれた東急のロゴは、戦時中の昭和17年(1942)から昭和48年(1973)4月までの間に使用された古いもので、現在使用されているロゴとは違う。

 うっかり交換し忘れたのか、それとも、わざと残したものかは分からないのだけど。

  • ※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
  • ※Amazonのアソシエイトとして、戦国ヒストリーは適格販売により収入を得ています。
  この記事を書いた人
青山誠 さん
歴史、紀行、人物伝などが得意分野なフリーライター。著書に『首都圏「街」格差』 (中経文庫)、『浪花千栄子』(角川文庫)、 『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社)、『戦術の日本史』(宝島文庫)、『戦艦大和の収支決算報告』(彩図社)などがある。ウェブサイト『さんたつ』で「街の歌が聴こえる』、雑誌『Shi ...

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。