大河ドラマ「べらぼう」エレキテルを復元した平賀源内はなぜ殺人事件を起こしたのか?
- 2025/04/21

大河ドラマ「べらぼう」第16回は「さらば源内、見立は蓬莱」。安田顕さん演じる平賀源内(1728〜1780)の死が描かれました。
源内は江戸時代中期の本草学者・科学者・戯作者として有名であり、特に「エレキテル(摩擦起電機)を発明した」ということで知られています(実際は発明ではなく、復元)。「元祖マルチタレント」とも言うべき人物ですが、その晩年は不幸でした。
源内は、安永3年(1774)、蔦屋重三郎(江戸中期の出版業者)が編集・取材した吉原細見『細見嗚呼御江戸』の序文を執筆しますが、源内にとり戯作(小説類)などの執筆は生活費を稼ぐための手段に過ぎなかったとも言われています。源内は秩父鉱山の開発・指導にも精を出しますが、失敗に終わっていました。彼の経済状況も悪化していきます。自らの意図したことがなかなか上手くいかない焦りがあったのでしょうか。安永7年(1778)には次のように一句詠んでおります。
「功ならず名斗(ばかり)遂(とげ)て年暮ぬ」
翌年(1779)、源内の運命を決する大きな出来事が起こります。同年11月20日の夜半、神田にある源内宅には、源内の門人・久五郎と、源内の友人・丈右衛門が宿泊していました。ところが明け方にこの3人は口論となります。そしてあろうことか源内は刀を抜き、久五郎と丈右衛門に傷を負わせてしまうのです。労しいことに久五郎は傷がもとで亡くなってしまいます。源内による殺傷事件の内容や経緯については諸説ありますが、源内はこの事件により入獄することになるのです。
そして同年12月18日、獄中にて死去します。破傷風がもとで亡くなったとも言われています。源内は同時代人から「人品は頗る立派」と評されていますし、性来客を好み、これを厚く遇しました。温情たっぷりの人との評もある源内に一体、何があったのでしょうか。事件前、源内は怒りっぽくなっていたと言われています。
前述したように事業や生活がなかなか上手くいかないことが性格の変化の要因だったのでしょうか。何れにしても、才気煥発・多技多能の源内が前述のような事件を起こし、ついに獄死してしまったことは、惜しむべきことです。
【主要参考文献】
- 岡田唯吉『讃岐偉人平賀源内翁』(鎌田共済会、1934年)
- 城福勇『平賀源内』(吉川弘文館、1971年)
- 芳賀徹『平賀源内』(筑摩書房、2023年)
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