天正10年(1582)6月2日の本能寺の変がおきた日、徳川家康は堺から京都にもどる途中、本能寺の変を知り、急遽、伊賀越えで伊勢に出、白子から舟で三河にもどったとされてきました。 ところが、令和3年(2021)2月、奈良県香芝市在住の郷土史家 上島秀友さんが『本能寺の変 神君伊賀越えの真相-家康は大和を越えた』という本を地元の奈良新聞社から出され、本のサブタイトル通り、通説とは異なる「大和」越えルート説を提起されていますので、今回は、この本を中心にお話し致します。
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